デジタルライフへ向けて

桑山さん来訪。

Googledrive。ScanSnapIX500。H band。CamCam。Googleフォト。Voice memo。GooglechromeWifiミレル。メルカリ。Moodle

 

5日、大岡信逝去。朝日新聞一面の「折々のうた」は29年間で6762回の連載。47歳から76歳まで。

高齢化社会7%。高齢社会14%。超高齢化社会21%。1965年6.3%。1995年14.5%。2010年23.0%。2015年26.7%。2050年38.8%。

 

「副学長日誌・志塾の風」170406

  • 杉田学部長:人事案件(採用)
  • 事務局との定例会議:宮地事務局長、川手総務課長、水嶋教務課長。杉田学部長、私。「入学式の総括。非常勤教員。副委員長。処理でなく遂行、、、」。教員側と職員側の意思疎通のための重要な毎週のミーティング。

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  • プレゼミの担当学生(2年生)と面談
  • 杉本係長:戦略会議(入試)
  • 杉田学部長:相談
  • 渡辺客員教授:本日は今年度最初の講義。情報交換。

「名言との対話」4月6日。ジェームス・ワトソン「小さな疑問からは、小さな答えしか得られない」

ジェームズ・デューイ・ワトソンJames Dewey Watson, 1928年4月6日 - )は、DNAの分子構造における共同発見者の一人として知られる、アメリカ出身の分子生物学者である。「核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見」に対して、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

大学1年生で「遺伝子の情報を明らかにすれば、偉業となる。オレがそれを、解明するのだ」と決意で、研究に励んだ。それがDNA二重螺旋構造の発見という世紀の大発見となり、その後の分子生物学の飛躍的発展につながった。発表した論文はワトソンとクリックの順番にした。コインを投げて決めたそうだ。9年後34歳でノーベル賞を受賞。

「生命とは何か」という大いなる謎を解こうと決意したこの若者は22歳で博士号をとり、25歳でその謎を解く重要な発見をする。あまりに若くして有名になったこともあり、その後の人生ではノーベル賞のメダルを売るほどの困窮に陥っている。

しかし、小さな疑問を解いても小さな業績しか得られないと考えたこ野心が大発見のエンジンとなった。大きな、そして大いなる疑問を解こう。

2017年度入学式・保護者説明会--史上最多の入学者を史上最強の教育スタッフ(教員・職員)が迎える

「副学長日誌・志塾の風」170405

 2017年度入学式。

経営情報学部406名(史上最高)。グローバルスタディーズ学部183名(史上最高)。

寺島学長:大人への準備期間。自立。学び。友人・先生。人的ネトワーク。気づきを行動に。2つの課題。高齢化社会:2016年で65歳以上3300万人・80歳以上1000万人。2050年で65歳以上4000万人・80歳以上2000万人。人生設計。アジア・ダイナミズム:アジアとの貿易5割。10年後6割。インバウンド2400万人、8割はアジア。時代を見抜く目、そのための人的ネットワーク。

田村理事長:現代の志塾。卒業後の特許庁勤務、初代長官は高橋是清。自伝。職務で大成すること。学問は使ってみて初めて効用。実学の多摩大。学園歌。輝ける日々、、。

阿部多摩市長:大変化。EU.トランプアメリカ。ナショナリズム。多摩市14.8万人。歴史と文化。青春を謳歌

八木多摩信金理事長:多摩市・多摩大・多摩信金三者連携。421万人の人口。全国トップ規模の信金。多摩の未来を託せる人材。勉強の継続。

経営情報学部の青田代表:福島。小学6年生で東日本大震災に遭遇。南相馬でサムライフェスティバル。アクティブラーニングの多摩大。問題解決。志。

グローバルスタディーズ学部のリン代表:2014年台湾から来日。高知明徳義塾。異文化理解。英語・日本語・中国語。グローバル人。少人数。チャンス。友人をつくり、留学。

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 終了後、保護者向け説明会。

  • 概況(久恒)。方針(杉田)。プレゼミ(趙)。アクティブラーニング(小西)。留学(バートル)。就職(中庭)。
  • プレゼミのクラス別担当教員挨拶。
  • 個別相談会

多摩大史上最強の教育スタッフ陣(教員・職員)であるこを確信した。

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終了後、京王プラザホテルで岩澤君とHP打ち合わせ。

その後、知研の八木会長と軽く飲みながら懇親。

 

「名言との対話」。4月5日。カラヤン「学ぶんだ、学ぶんだ、見聞きするものについて、なにも言うな。ともかく口を閉ざして、仕事をしろ、そして学ぶんだ」

ヘルベルト・フォン・カラヤンHerbert von Karajan, 1908年4月5日 - 1989年7月16日)は、オーストリア指揮者。。20世紀クラシック音楽界において最も著名な人物のひとりであり、日本では「楽壇の帝王」と称されていた。

ジェット機を乗り継ぎ世界中を飛び回って活動していた。また昨無類の好きでありスピード狂としても知られている。スキーでもスピード狂だったとか。

 「与えられた仕事を着実にこなしていく。これが私のモットーです」

「落ち着け。人を恨んで自分をダメにするな」

「演奏者だけが盛り上がって聴衆が冷めているのは三流、聴衆も同じく昂奮して二流、演奏者は冷静で聴衆が昂奮して一流」

小澤征爾を弟子とし、君が代を「この曲は世界の国家のうち最も荘厳なものだ」と言い、自宅での最後をソニーの大賀典夫社長の腕に抱かれて亡くなるというように、日本には縁が深かった。

その天才カラヤンは仕事を次々とこなしながら学び続け頂点に立った。日々の仕事こそ最高の学校である。

知研フォーラム336号

「知研フォーラム336号」が届く。

1992年の「民博訪問記の再掲」には、私の質問「先生は図解コミュニケーションを知的生産の技術の系譜においてどう評価されますか」に対する梅棹忠夫先生の発言が載っている。初めての単著「図解の技術」を書いたばかりの私は、この梅棹先生の言葉に励まされて研究を続けた。そういう意味では私にとって歴史的な訪問となった。

  • 「理論というものはモデル形成なのです。どんな理論でも、人文科学的理論、自然科学的理論に至るまで全部モデルをいかにつくるかということです。それによって説明しようとする現象がかなり細部にまで説明できればいいんです。それがセオリーということです。どんなセオリーでもモデルになっている。モデルということは図解なんです。現実の事象を単純な図式に置き換えて組み立てる作業なんです。うまい図解というのはうまい独創ができたということなんです。うまい理論ができたということなのです。図解を大いにやてください。ただ、単純化ではないです。図解というのはモデル形成ですが、かなりの細部にわたって現象を反映していなくてはいけない。そういうモデルを見つけることはかなり大事です。うまく見つかれば大変うまいモデルができる。たぶん図にかいてもよくわかる図になる」
  • 「図と言語との対応関係は完全にはできない。しかしかなりの程度対応関係があって、言語で考えてそれを図に反映する。図を解読して言語にもっていく。それは昔からそういうことがありまして、仏教的世界観を図にしたものが曼荼羅(マンダラ)です。だから図解は曼荼羅をつくるという作業だと思うんです。私はマンラリゼーションという言葉を使っています。それに対して図が語るものを言語化、文章化する。これはギリシャ語でビブリオ(本)といいますが、私はビブリオゼーションという言葉をつくりました。マンダリゼーションとビブリオゼーションの相互作用はしょちゅう起こっている。またしょっちゅうやらなければならない。文章だけでずっと考えている人ははなはだインチキがおこります。あぶないです。哲学の大部分はそうなんで本当にわけのわからんことになっている。明確な議論というものはマンダリゼーションの過程があるはずだと私は見ているんです」

他の重要発言。

・「ひらめきをキャッチして定着する、その装置を自分でつくっておかねばならない」

・「おもいついてみろ! ただの思いつきで何が悪いんだ!」

・「自分なりのなりの、自分のためのデータベースを構築していけばいい」

・自然科学、地球物理、天体物理も歴史科学です。世界観を育成するには、歴史に対して鋭敏でなければ構造的な世界認識はできません」

・「新しい体験をした子どもをその時にそれだといって教えてやる。教えてやるのではなく、見守るということではないでしょうか」

 

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  • 八木哲郎会長の「教育勅語ができるまで」も読み応えがある。これは後日、書きたい。
  • 黒川康徳「いま日韓問題を説く」は、深い論考。

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徒歩通勤で1万歩9キロ。帰りにプールで300m。

 「副学長日誌・志塾の風」170404

  • 水谷IR室長:2017年度入学生の分析
  • 高野課長:人事委員会

 

「名言との対話」。4月4日。山本五十六「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」

山本 五十六(やまもと いそろく、1884年明治17年)4月4日 - 1943年昭和18年)4月18日)は、日本海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。最終階級元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。

 ハワイのアリゾナ記念館には真珠湾攻撃の指揮をとった山本五十六大将と攻撃隊の南雲忠一中将の写真が貼ってあった。ハーバードで学びワシントン駐在経験がある山本はアメリカ人とその戦い方を熟知しており、工業力の底力もし知っていたとある。そして山本は当初は日米開戦に反対であったが、陸軍に牛耳られていた政府の圧力に抗しきれずに、遂に真珠湾奇襲作戦の強力な指導者となったと買った解説書にも書いてあった。山本五十六大将にはやや同情的な書き方だった。

海軍兵学校時代は聖書を座右に置いていた。35歳から2年間のハーバード大学への留学時代にはアメリカの研究に励み、油田や自動車産業、飛行機産業に強い印象を受けた。関東大震災時には「日本人は偉大な民族であり、前より立派に復興する」と周囲を励ました。公私分別、操縦感もよく、適材適所に使い、情義厚く、航空隊内では山本は偉くなるぞと評判であった。41歳駐米大使館付武官。対立した人も「聞き上手で話やすい人。真に度胸のある、正しい素直な人。いつ論じ合っても後味の悪い事がない」と評している。「劣勢比率を押しつけられた帝国海軍としては、優秀なる米国海軍と戦う時、先ず空襲を以て敵に痛烈なる一撃を加え、然る後全軍を挙げて一挙決戦に出ずべきである」。これが後の真珠湾攻撃になる。

「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」

上杉鷹山の「してみせて言って聞かせてさせてみる」を、後の山本五十六は「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」と変えている。この山本五十六の人間観が、高い人気と強い統率力をもたらしたのだろう。改めてこの人の伝記を読みたいと思う。

挨拶の日:新入生オリエンテーションと教員への辞令交付式。

 2017年度が始まった。

午前中は、新入生オリエンテーションと教員への辞令交付式。

 「副学長日誌・志塾の風」170403

 2017年度が始まった。

午前中は、新入生オリエンテーションと教員への辞令交付式。

10時40分から辞令交付式。司会は小林学長室長。

 4人の新任教員と5人の新委員長への訓示。前列は新人。後列は新委員長。

「再建途上。第二ステージ。組織の発展・活性化の中核は人。不断に新しく。転職すると風景が一変。外部の新しい目。良い転職と悪い転職。人的ネットワーク。仕事が仲間をつくる。異動すると景色が代わる。内部を新しい目で。昇進で鳥の目。異動で複眼。同じ景色を仲間にコミュニケーションで伝える。進化した新しい目で多摩大を新たなステージに引き上げていこう。健闘を。」

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新人は前のめり。旧人(?)はリラックス。司会と新学部長はせっせとメモ。

神妙に(?)辞令を受け取る新学部長の杉田先生。

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 9時半から新入生オリエンテーション

冒頭の私の挨拶は15分。

写真は杉田学部長の挨拶。手前は教務課の中沢さん。

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  •  出勤途上に学長室の山本さんと一緒になる。T-Studioの次回の放送などを相談しながら大学へ。
  • JALからの転職者の総務課職員を川手課長から紹介される。
  • 杉本係長:戦略会議。民芸品の椅子。
  • 趙先生:水。
  • 中庭就職委員長:「景色が変わる」。企業開拓。
  • 高野課長
  • 研究室で秘書の近藤さんとスケジュールなどを打ち合わせ。

 

「名言との対話」4月3日。金田一春彦「春風秋雨是人生」

金田一 春彦(きんだいち はるひこ、1913年4月3日 - 2004年5月19日)は、日本言語学者国語学者国語辞典などの編纂、日本語の方言におけるアクセント研究でよく知られている。

 東京本郷で生まれ、日本語研究の第一人者といわれ、全国のお茶の間で親しまれた金田一春彦(1913−2004年)博士の記念図書館は、意外なことに山梨県北杜市にある。。図書館の前の道は、金田一春彦通りと命名されており、この地の人々にいかに愛されたがよくわかる。

1963年4月25日吉展ちゃん誘拐事件が発生した。自宅のテレビで犯人の身代金要求電話の録音を聴き、何気なく「この発音茨城栃木福島だよ」と呟いたところ、夫人がNHKに電話しこの発言を伝えたため、マスコミから正式に取材を受けることになった。その後、逮捕された犯人が茨城県栃木県に境を接する福島県南部の出身だったため、的確な分析が話題を呼んだ。

大学で教鞭をとる傍ら、NHKで日本語についての番組に多く出演する。NHK用語委員、NHK放送研修センター評議委員、日本ペンクラブ理事、(株)シャープ顧問、国語学代表理事、東洋音楽学会副会長、図書館協議会会長、日本琵琶楽協会会長、波の会副会長、方言研究で犯罪捜査に協力、本居長世を慕う会会長、ユーフォニック合唱団顧問、日本レコード大賞選定委員、、、、。こういう経歴を見ると、単なる学者という枠にとどまらず、多彩な興味と行動力、そして誰からも敬愛される人柄であったことがわかる。

85歳の時に書いた「春風秋雨是人生」という博士の座右の銘が展示されている。思い通りにならないのが人生という意味だろう。華やかな活躍とみえるが、父・金田一京助を永遠のライバルとした本人が望んだ方向ではなかった。しかしそれでよいという人生観が垣間見える。「失敗は恐るるに足らない。大切なのはそのあとの処置である」とも語っている。確かに世の中は失敗しないとわからないことだらけだ。失敗しない人は本当はわかっていない。失敗を恐れない人は真実がわかる。長い目でみれば、失敗を多くした人は成功する確率は極めて高くなる。失敗を恐れ続けた人は小成に甘んじるほかはないのは当然のことである。失敗する人は成功する。

 

日本未来学会シンポ「参加型メディアの未来」(日本科学館)--参加型メディアに関係するオールスターのシンポジウムであり、とても刺激を受けた。

日本未来学会は1968年創立。

1967年に林雄二郎、梅棹忠夫小松左京加藤秀俊川添登の5人が「Energy」で未来学を提唱し、国際未来会議の受け皿として設立された。2018年に50周年を迎える。私も最近この学会の理事を拝命した。

「近代国家には近代の法律と倫理があり、情報化社会には、情報化社会の、社会ソフトウェアが必要である」(林雄次郎)

参加型メディアに関係するオールスターのシンポジウムであり、3時間半という短時間とは思えないほどの刺激を受けた。

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 第一部 大喜利シンポジウム「インターネット・メディアの課題と希望」。

大喜利(おおぎり)とは、一つの質問に専門や地域などバックボーンが違う登場者たちが語るスタイル。一つの質問に対してさまざまの角度から照射がかかり、短時間で問題を巡る全体状況がつかめる方式。その場で答えるので思いがけない交流があり楽しめる。6人。教授・会長・社長・翻訳者・経産省・理事。

ソーシャルメディアとは何か?  サピエンスはうわさ話、茶飲み話から始まった。グローバル・ビレッジ。本業への導線。評判のメカニズム。スマホは楽しい大リーグ養成ギブス。

ネトウヨがなぜ増えたのか?  左翼が減った。本音をいえる。悪口メディアは普通のサラリーマンの拡大装置。右翼の方が面白い。既存メディアはピューリタリズム、建前。打ち壊し運動。

DeNAのキュレーションサイト問題?  グーグル検索にはLINE・FBはひっかからない。ビジネスとなるには長続きが必要。受け手が賢くなること。N対Nがインターネット。「若気のいたり」がなくなった。アーカイブの暴力。敵対というより互いを見張る感じ。インスタグラムではなるべく言葉を使わないのがコツ。アメリカではチャットブーム。スナップチャットは24時間で消えるのがいい。10代から20代前半。日本でもそうなる。

参加型?  参加してメリットがある仕組みがいる。情報を創りだすのは難しいが評価は誰でもできるからSNSは参加型。行政にも出入り自由の参加型を。勝敗分野はAI。AIの下請けの幸福も。

 

第二部 10分トークライブ「メディアの現在・未来」。

メディア関係者のそれぞれの領域の現在と未来が短時間のシャワーでわかる仕掛け。

9人:ペーパー・深呼吸歌人・地球生命・イスラエル・クチコミ・アプリ・映像・ビジュアルブック・DMO。

新聞販売店:ソーシャルな活動の代償として新聞をとるという形。

TED:TEDXで小さなTEDが167ヶ国で1万回以上。

科学情報:正確性とわかりやすさのジレンマは揺るサイエンス(ゆる度の異なる情報のパッケージ)で解決。関連性を考えてもらうインタビュー映像、同じ質問で串刺し。

イスラエル:スタートアップ大国。テクノロジー立国。国全体がシリコンバレー。人材・拠点・スタートアップ・還元というエコシステム。

クチコミ:クチコミの9割はポジティブ情報で勇気づけられる。ワンピースのモンキー・D/ルフィー。聞く力、メディは媒介者。

VR/AR/MR:仮想現実・拡張現実・融合現実。二つの人生を生きる時代。コンタクトレンズ型。音声入力から脳波入力へ。アニメ・マンガ:MOOC大規模公開高度教育オンライン講座。美術に向いてる。AIに代替されない分野は文芸・芸術・音楽・演劇など。手作り、ライブパフォーマンスが珍重。

出版:R25の廃刊。出版クラウドファンディング。ブランドとアイコンの強度に応じた最適ディストリビュート。1万円100人で自由度があがる。都市空間:公開空地の活用で街直し。

 

第三部 シンギュラリティ以後の世界へ

国際社会経済研:ポリモルフィック(多形構造)ネットワーキングの時代。デジタルのつながり。車座に向き合うしくみ。創発(インターラクションによる)。問いをつくる教育。宇宙観・生命観・人間観を含む社会的ソフトウェア。

よはとつ図形:参加型メディとはコミュニティづくりだった。個人参加のコミュニティ。涅槃社会へ。

総括:用語事典に代表されるルールがなくなった。SNSの炎上をマスメディアが報道。100万回は視聴率1%しか。発信者が急増。広く深く総量が大きい。新しい方法論の発見。

 

「名言との対話」。4月2日。熊谷守一「自分を生かす自然な絵をかけばいい。下品な人は下品な絵。ばかな人はばかな絵。下手な人は下手な絵をかきなさい。結局、絵などは、自分を出して生かすしかないのだと思います」

熊谷 守一(くまがい もりかず、1880年明治13年4月2日 - 1977年(昭和52年)8月1日)は、日本の画家。日本の美術史においてフォービズムの画家と位置づけられている。しかし作風は徐々にシンプルになり、晩年は抽象絵画に接近した。極度の芸術家気質で貧乏生活を送った。

豊島区千早にある熊谷守一美術館には知的な感じの老夫婦らがゆっくりと訪れていた。この画家がようやく売れ始めたのは1964年頃というから84歳頃と、随分と貧乏な時代が続く。好きな小さな子供と鳥と虫を題材に絵を描いて楽しんで97歳で没している。「画壇の仙人」の自然体の暮らし方に共感するファンは多い。

「たとえ乞食になっても絵かきになろう」と絵かきを志す。「もし神様がいたらこんな姿では」とアイヌが思った絵をかいた。「これ以上人が来るようになっては困る」と文化勲章を辞退した。こういうエピソードは熊谷の人柄と志をよくあらわしている。

「自分で何かを考え出したりつくったりするのは平気だし好きなのだが、人のマネというのが不得手なのです」

「絵を描くのは、初めから自分にも何を描くのかわからないのが自分にも新しい。描くことによって自分にないものが出てくるのがおもしろい」

「大好きなのは、世の中にいっぱいあります。特に小さな子供と、鳥と虫には目がありません」

熊谷守一の好きな言葉は「独楽」「人生無根帯」「無一物」「五風十雨」であり、嫌いな言葉は「日々是好日」「謹厳」だった。この人は自然体の人だった。下品な人、ばかな人、下手な人、それぞれの人にふさわしいものしかかけないから、それに徹せよということか。表現されたものには表現者の姿がうつる。それを突きつめるしかない。

4月1日からの新任務に挑む。

5年間の多摩大学経営情報学部長と後半2年の副学長兼務が終わった。

2012年3月の学部長就任時の挨拶では、「尊敬する人は二人。野田一夫先生と寺島実郎先生。野田先生が創り、寺島先生が現学長の多摩大の再建は、私の天命と受け止めている」と教授会で語ったことを思い出す。

それから5年経った。教職員の協働によるきめの細かい努力の結果、教学面では文科省の改革総合支援事業での「大学改革ランキング全国1位」の獲得(全学)、経営情報学部の入試は定員320名のところ2年連続で400名を越え、就職率も大変好調だ。そしてグローバルスタディーズ学部は3年連続、大学院もようやく今年定員を充足した。外形的な量的な意味での再建の第一ステージは終了した。

今後は、副学長として、グローバルスタディーズ学部と大学院を含め、全学の質の充実に力を注ぎ、同志と一緒に多摩大再建の第二ステージに挑みたい。

 

「副学長日誌・志塾の風」170401

品川キャンパスで大学院入学式。

始まる前に学長と懇談:自民党。全国戦略経営塾。国立科学博物館大自然史博物館、、、。

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  •  寺島学長:知の再武装。2016年:65歳以上3300万人、80歳以上1000万人。2050年:65歳以上4000万人、80歳以上2000万人。スキルと全体知。人的ネットワーク。インターゼミ。
  • 田村理事長:平均36歳。素晴らしい教授人。志の高い院生。同窓会ネットワーク。
  • 徳岡研究科長:深い専門領域。それらを結びつけるつながり。80科目。知の再武装。イノベーターシップ。ビジネスモデル、ルール形成、データサイエンス。
  • 武井同窓会長:深いつながりの同窓会。大学院の一番良かったのは刺激。
  • 大久保院生代表:イノベーターシップ=イノベーション+リーダーシップ。実践知。現場の問題解決。
  • 新入生代表:ライフシフト。100歳人生。変身資産。48歳。知の再武装。仕事と家庭と学業。

入学者が多いため「勢い」がある。また入学者の面構えもいい。楽しみだ。

 

終了後、田村理事長から辞令をいただく:「副学長」。「研究開発機構長」。

武井同窓会長に「大学改革ランキング全国1位」の資料を渡し説明。

水木客員教授

金先生・高野課長とスケジュールの打ち合わせ

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「名言との対話」4月1日。親鸞「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の浄土真宗の宗祖とされる。

教行信証」には、「苦しみを抜くことを「慈」といい、楽しみを与えることを「悲」という」「どんな徳もすべて具えているものを涅槃といい、どんな道にもすべて通じているものを菩薩と名づけ、どんな智もすべてを収めているものを仏陀と称するのである。」とある。

幕府が念仏禁止の挙に出たため、20年を過ごした常陸を捨て京都に帰る。このとき62歳。このあとさらに30年という寿命を生きる。75歳で「教行信証」を完成、76歳で「浄土和算」と「高僧和算」、85歳ごろに最後の「正像末浄土和算」を書いている。60代の初めはやっと人生の峠を越えたばかりであり、その後の30年近くは著書の執筆に膨大なエネルギーを注いでいることにも驚く。

宗教家の没年齢という資料がある。イエス31歳。フランシスコ・ザビエル46歳。一遍50歳。道元53歳。カリヴァン55歳。最澄55歳。日蓮60歳、空海61歳。マホメット62歳。ルター63歳。孔子73歳。法然78歳。仏陀80歳。親鸞90歳。親鸞は世界でも稀な長寿であった。

 親鸞の他力本願と日蓮の法華信仰とは正反対の教えである。浄土は死後にあるとしひたすら南無阿弥陀仏を唱えよという真宗。この世を浄土にしようと願い南無妙法蓮華経を唱えながら現世の改革にあたろうとする日蓮宗宮沢賢治とその父の相克はこの点にあった。

親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という悪人正機説の悪人とは、庶民、つまり小人と考えればよくわかるように思う。君子はもちろん浄土に行ける。そして小人も仏によって救われる。小人を救えない仏教などに意味はないという絶対平等の思想である。キリスト教に近い。浄土の真実の心を意味する浄土真宗は、国家鎮護の仏教から庶民を救う仏教への一大宗教革命であった。

日光東照宮--「政を為すに徳を以てするは、たとえば北辰の其の所に居て、衆星の之に共(むか)ふが如し」(論語)。家康は北極星であった。

日光東照宮

 世界遺産日光東照宮の「平成の大修理」が行われている。その中には国宝「陽明門」の修理工事があり、3月10日から4年ぶりに公開された。その直後に訪問する機会を得た。400年前の壮麗な姿を堪能した。一日中みていても飽きないことから「日暮らしの門」と名付けられたのも頷ける見事なものだった。

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「遺骸は駿河久能山に葬り、祭礼を江戸の増上寺に申しつけ、位牌は三河大樹寺に立て、一周忌が過ぎたのち、日光山に小堂を建て勧請せよ。これによって関八州の鎮守となろう」。75歳で亡くなった家康のこの遺言どおりの処置が行われた。ただ、結果的に日光には小堂ではなく、壮麗な東照宮が建った。

日光は「宇宙を主宰する神」である北極星(北辰)と江戸の線上に位置する。そこでは家康は絶対神である東照大権現として日光で再生し徳川政権と国家を護った。天下人とは天帝から選ばれた者であり、意に沿わなければ命を改め追放される。それが革命である。

「政を為すに徳を以てするは、たとえば北辰の其の所に居て、衆星の之に共(むか)ふが如し」(論語)。家康は北極星であった。

家康を尊敬する三代将軍家光は建築費用「おかまいなし」(無制限)の大造営を行った。現在の価格にして200億円以上、のべ454万人を用いた。

家光は朝廷から天皇の勅使を派遣するよう願い、伊勢神宮の伊勢例幣使を復活し、同様に国家神である日光東照宮への日光例幣使を新設した。これは1646年から222年間続いた。日光例幣使は、中山道を下り、日光例幣使街道を進み、帰路は日光街道から江戸経由で東海道で戻った。全行程1200キロ、一日40キロの厳しい旅路であった。

朝鮮通信使は江戸時代12回の来日があり、東照宮参詣は3回。使節団500人のうちの200人に警護・接待を加えて1000人を超えた。

琉球使節は3回参詣している。一行は70-100人で総勢は500人規模だった。

1873年明治6年)、別格官幣社

1946年(昭和21年)、国家管理を離れ宗教法人

 

東照宮の建築装飾は、人物・霊獣・動物・霊鳥・野鳥・水鳥・樹木花木・果物・草花・穀物野菜・水草・自然など実に多彩である。以下、新しい知識。

聖賢は儒教の高潔な理想人物。仙人は道教の不老不死の仙術を体得した理想人物。龍は天子たる皇帝のシンボル。逆鱗。鳳凰も皇帝のシンボル。唐獅子は聖域の守護神でライオン。狛犬は神域の守護神。麒麟は仁徳の瑞獣。漠は平和のシンボル。虎は家康の干支で百獣の王。鳳凰は聖徳の天子の兆しの瑞鳥、雄が鳳、雌が凰。鸞は天下安寧の瑞鳥。鶴は神の乗り物で長寿と幸福のシンボル。

 

日光東照宮宝物館は日光東照宮四百年式年大祭記念事業として2015年3月13日にオープン。徳川家康公の遺愛品をはじめ、朝廷や将軍家・大名家からの奉納品、当宮の祭器具などを収蔵、展示公開。

 

「名言との対話」3月31日。横井庄一「恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」

横井 庄一(よこい しょういち、1915年3月31日 - 1997年9月22日)は、日本陸軍軍人評論家最終階級陸軍軍曹栄典勲七等青色桐葉章

アメリカ領グアムで敗戦を知らずに28年間の逃亡生活後、1972年1月24日にグアム島で島民に発見される。その時、56歳。2月2日グアム島から東京へ。4月25日帰郷。11月3日結婚、57歳。1997年永眠。享年82歳。横井さんは私の大学生時代に大ニュースとなった伝説の人物だ。

横井さんのお母さんは、ずっと「庄一は生きている」と言っていたそうだが、帰国する13年前に亡くなっっている。母の言葉が正しかったわけだ。名古屋の記念館は、25年ほど住んだ自宅の一階の二間である。館長は12歳年下の妻の美保子さん。品の良い奥様は1927年生まれだから私の母と同じ年である。奥様の美保子さんは「六十路越え喜寿も米寿もなんのその白寿も迎えて尚生きたまへ」という歌を詠んでいる。

28年間の逃亡生活を続けられたのはなぜか。捕虜になれば国に不忠、死ねば親に不忠となる。どちらも大事だから、自分の力で生きていけばいいと横井軍曹は考えたのである。1m50cmほどの深さ、幅は4m50cの穴倉での想像を絶する生活を支えたのは、手先の器用さと聡明さ、そして生き抜くという意志だったと思う。機織り機、ボタン、針、など生活上のあらゆるモノを作りだしていることに感動を覚えた。

「私はこれから、失われた日本人の心を探し求めたいと思います。、、勤勉な心を失った国民が本当に繫栄したためしはありません。、、食糧の大半を輸入に頼っているようでは独立国家と申せません。、、、子が親を大切にしないような教育、生徒が先生を尊敬しないような教育などあってたまるもんですか。そんなものがあれば、それは教育と言えません。」

戦争時に国に忠を尽くした横井庄一の目には、戦後日本は「国あって、国なし」とみえた。横井庄一は、国とは何か、重い課題を日本に突きつけている。