「偉人の命日 366 名言集」

  日本地域社会研究所を訪問。落合社長と進行中の出版打ち合わせ。

 

  • 著者校正の説明。前書き・著者紹介・参考文献の原稿説明。
  • 本の概要の確認。

  ・タイトル:「偉人の命日 366名言集」。サブタイトルは継続検討。

  ・発行:多摩大学出版会・日本地域社会研究所か、発行と発売を分けるか。

  ・480ページ。

  ・奥付は6月。本は4月末完成。

  ・価格・部数を確認。

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夜。

・俳句のプレパト。

 ・スタートレックの一話を堪能。

 

 「副学長日誌・志塾の風」170413

  • 杉田学部長:採用人事関係
  • 事務局との定例ミーティング:入試。、、、。
  • 明日の授業準備

 

「名言との対話」4月13日。吉行淳之介「私は自分の持病と一生連れ添う覚悟を決めています。できるだけ病気を飼い慣らしておとなしくさせるという方針を立てました」

吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ、1924年大正13年)4月13日 - 1994年平成6年)7月26日)は、日本小説家。代表作に『驟雨』『砂の上の植物群』など。対談やエッセイの名手としても知られた。

静岡掛川の記念館でサライの2007年3月15日号を手に取った。「ダンディズムを貫き通した機微の人」というタイトルだった。縁のあった作家たちが吉行をテーマにエッセイをかいている。瀬戸内寂聴によると健康雑誌を隅々まで読むという趣味が一致していたそうだ。「帰ってきたら、君のヒコーキの中の手紙が着いていて、胸がきゅんとなった。好きだよ」。君とは恋人の歌手・宮城まり子である。

吉行は多くの作品を書いた。「驟雨」「不意の出来事」「「星と月は天の穴」「暗室」「鞄の中身」「夕暮まで」などが小説の代表作だが、エッセイの名手でもあった。「軽薄のすすめ」「悪友のすすめ」など一連のエッセイも人気があった。総計で200冊を超えている。

そして「持病というものは飼い馴らして趣味にするより仕方がない」と病弱の運命を悟った言葉も遺している。吉行は病気の宝庫だった。アトピー、喘息、腸チフス、結核、躁と鬱、白内障、乾癬、肝炎、、、。病気と闘い、入退院を繰り返しながら、膨大な作品を描いた。よく70歳まで生きたという感じもする。怒涛の仕事量をこなしきれたのは「病気を飼い慣らす」ことを上手に成し遂げたからだろう。

 

 

 

クラウス・シュワブ「第四次産業革命」--ダボス会議が予測する近未来

 クラウス・シュワブ「第四次産業革命」(日本経済新聞出版社)を読了。

 「世界経済フォーラム」、いわゆるダボス会議が予測する未来の姿が書かれている。

著者のシュワブはダボス会議の創設者として世界の経済と政治を40年間にわたって観察し続けてきた人物。

第四次産業革命 ダボス会議が予測する未来

第四次産業革命 ダボス会議が予測する未来

 

第一次産業革命(1760年代ーー1840年代):蒸気機関の発明と鉄道建設。機械による生産の到来。

第二次産業革命(19世紀後半ーー20世紀初頭):電気と流れ作業の登場。大量生産。

第三次産業革命(1960年代ーー):1960年代の半導体、メインコンピュータ。1970-1980年代のパソコンの開発と1990年代のインターネット。コンピュータ革命。

現在は21世紀から始まった第四次産業革命の入り口にあり、これはデジタル革命である。偏在化しモバイル化したインターネット、小型・強力なセンサーの低価格化、AI、機械学習が特徴。大変革。根底からシステムが変革される。大きな利益と不平等の悪化。懸念の第一はリーダーシップ不足と変革への理解不足。第二は共通構想と説明がないこと。

物理的なメガトレンド:自動運転車。3Dプリンタ。先進ロボット工学。新素材。

デジタルなメガトレンド:IOT。センサーでモノをつなぐ。細かい監視と最適化。

生物学的なメガトレンド:遺伝学イノベーション。合成生物学。臓器、個別医療、バイオプリンティング、デザイナーベイビー。、。人間とは何か。

 

2025年(わずか8年後)までに起こること。(ダボス会議参加者の情報通信テクノロジー分野の役員・専門家への調査)。

  • 10%の人々がインターネットに接続された服を着ている。91.2%
  • 90%の人々が容量無制限の無料ストレージ(広告付き)を保有している。
  • 1兆個のセンサーがインターネットに接続される。
  • アメリカで最初のロボット薬剤師が登場する。
  • 眼鏡の10%がインターネットに接続されている。
  • 80%の人々がインターネット上にデジタルプレゼンスを持っている。
  • 3Dプリンタによる自動車第1号の生産
  • 政府が初めて国政調査の代わりにビッグデータの情報源を活用する。
  • 体内埋め込み式携帯電話の販売開始。
  • 消費財の5%が3Dプリンタで生産されたものになる。
  • 人口の90%がスマホを使用。80.7%
  • 人口の90%がインターネットに常時アクセス。
  • アメリカの道路上の10%が自動運転車になる。
  • 3Dプリンタ製の肝臓の初移植。
  • 法人の会計監査の30%をAIが実施。
  • 政府がブロックチェーンを介して初めて税金を徴収。73.1%
  • インターネットトラフィックの50%超が家電製品とデザイス用。
  • 自家用車ではなくカーシェアリングによる移動や旅行が世界的に増加。
  • 人口5万人を超える都市で初めて信号機が廃止される。63.7%
  • 世界GDPの10%がブロックチェーンノテクノロジーで保管される。57.9%
  • 企業の取締役にAIマシンが初登場。45.2%

労働市場への悪影響:労働代替的なイノベーションの波が発生。

  • 機械的反復と精緻な手作業を伴う労働の死。弁護士、金融アナリスト、医師、記者、会計士、保険業者、図書館司書、、などは部分的・完全に自動化。新産業で生み出される仕事は少ない。労働市場は二極化する。高収入の認知的・創造的職業は増加。定収入の単純労働も増加。中収入の機械的・反復的職業は大幅に減少。
  • 2020年には複雑な問題解決や社会的スキル、システムスキルの需要が高まる。雇用確保は悪化。男女不平等の悪化。

以上が、この本のポイントだ。

近未来に起こると予想されたことは日本にはほとんど起こるだろう。

中間層の没落は不可避である。。

人間の肉体と精神に関する高い知見を持つ人が行う仕事、人間が織りなす組織や社会に対応するスキルを有する人が行う仕事、等が生き残るということだろうか。近未来の職業人とは「人間通」の職業人である。

 

「副学長日誌・志塾の風」170412

研究室:秘書とスケジュール調整。授業・講演の準備。

ラウンジ:高野課長

 

「名言との対話:4月12日。頭山満「人間は火のついた線香じゃ。それに気がつけば誰でも何時かは発奮する気になるじゃろう。老若誠に一瞬の間じゃ、気を許すな」

頭山 満(とうやま みつる、安政2年4月12日1855年5月27日) - 昭和19年(1944年10月5日、幼名:乙次郎)は、明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭。玄洋社の総帥でもある。

明治・大正・昭和期のの国家主義者。玄洋社を結成。日露開戦を主張、戦後は講和条約反対運動を展開。大アジア主義者として金玉均孫文、ボースらの亡命者を援助。政界に隠然たる影響力を持った。

私の九州の実家には亀井南冥の「吐鳳」の書と頭山の書が九州の実家の座敷に飾ってある。また、頭山満は父らの会話の中で何回か耳にした記憶がある。福岡の玄洋社記念館を訪問してわかったのは、頭山は南冥の長男・亀井昭陽の息子の亀井玄谷に陽明学を学んだことだ。私の父は福岡出身だったから、この玄洋社頭山満に関心があったということだろう。ビルの2階に記念館はあった。商法制以前、社は志を同じくする人間が集まって研鑽をはかる士族の結社という意味を持っていた。玄洋社は「皇室を敬載すべし」「本国を愛重すべし」「人民の権利を固守すべし」との三原則を基幹とした政治結社で明治12年にこの名前になった。佐賀の大隈記念館で大隈外相を襲い条約改正を葬った来島恒喜が玄洋社社員だったことを思い出した。玄洋社は、自由民権運動憲法の新設、国会の開設、祖国の国力伸張に奔走する。また屈辱的外交条約の破棄、アジア主義に基づくアジア民族の自決独立の援助を行う。孫文を助けるなど中国革命における玄洋社の存在は大きく第二次世界大戦終了直後まで日中平和工作を継続していた。記念館入り口の写真や関係者の名簿に度肝を抜かれる。頭山満広田弘毅中野正剛緒方竹虎、進藤一馬などそうそうたる人材を輩出している。1946年に玄洋社は占領軍により強制的に解散される。

「ふるさと博多」シリーズという小冊子には「無位、無冠。在野の頭領。不思議な大きなひと」との評が出ている。萩の乱連座し投獄、出獄後は板垣退助と交わる。向陽社・玄洋社を組織。福稜新報を創刊し社長。大隈外相爆弾事件にかかわる。満州義軍結成を支援。浪人会を結成し大正デモクラシーの風潮と対決。純正普選運動を展開。孫文、ボースら亡命政客を保護。戦前右翼界の長老として晩年は神格化される。

「人間は魂さえ磨いて居ればよい。ほかに何も考えることはいらん。国も人も魂じゃ。魂の無い国、魂の無い人は国でも人でもない」

「反省をしなければならない。しかし、改心をしてはいけない」

「青年は圭角がなければならぬ」

火のついた線香である人間は、時限爆弾を抱えながら生きていることになる。時々刻々とその日は迫りつつある。この短い期間に気を許して時間を無駄にするな、発憤せよ、それが頭山の気概に満ちた言だ。

 

次作の「前書き」

「366名言(命日編)」の校正が終了。以下、前書きを書いた。

 

2005年1月から本格的に始めた全国を巡る「人物記念館の旅」も、早いもので12年目を迎えている。100館を超えたあたりでは、「百説」という言葉があるように、入門というか卒業というか、ある地点に立ったという感慨があった。200館を超えたときには、この旅は「聖人巡礼」だと意識することになった。その旅は私のライフワークともなって、2017年中には800館を超えるところまできている。

この旅の中で得た結論は、「人の偉さは人に与える影響力の総量で決まる」、ということである。周りに深い影響を与える人は偉い人だ。深く、そして広く影響を与える人はもっと偉い人だ。さらに深く広く、そして長く影響を与える人はもっとも偉い人だ。そして、彼が生きた時代を超えて、後の時代に至るまでその影響が及ぶということになると、影響力の総量はとてつもなく大きくなり、偉人と呼ばれるようになっていく。

 

また、2004年9月28日と、時を同じくして始めたブログ日記は現在まで毎日書き続けており、イチローの安打世界記録を超えて、すでに連続記録は4500日を達成している。

2015年には「名言の暦」というテーマで、その日が命日と誕生日の偉人の遺した言葉を毎日書き留めるということをやってみた。2016年にはその延長線上に、noteというサービスを使ってその日に亡くなった偉人の言葉を選び、生涯の解説と触発された感想を記すという試みに挑戦して、幸い1年間続けることができた。毎日早朝の時間を使って一人の偉人の生涯とその人の遺した名言に向き合う時間は、私にとって神聖な時間であった。

 

人選は生存中の人は省いている。「なべて人の一生は棺をおほふて後定むべければ也」だからだ。同じ時代に誕生しても人によって寿命が違う。60歳で亡くなった人と85歳で亡くなった人では、四半世紀の差があり、生きた時代が違う感じがする。だから誕生日よりも命日が重要なのである。

人物選定にあたっては、近代・現代の日本の偉人を中心とすることにした。そして人物記念館の旅で、訪れた馴染みのある人を優先的に選んでいる。適当な人が見つからない場合は、歴史をさかのぼる。それでもいない場合は、外国にまで対象を広げた。

選んだ言葉は、記念館、伝記、自伝などで、私の琴線に触れた名言であるから、有名なものもあるが、知られていないものも多い。

この行為はより良い人生を築こうとする自分のためでもあるが、授業でも若い学生にも紹介している。人生に関するこれらの名言は現代を生きる若者の心にも響くことを実感している。

 

この2016年に書き綴った名言と感想をまとめたのが本書である。

徳富蘇峰は「世に千載の世なく、人に百年の寿命なし」と言ったが、私たちは人生百年時代を迎えようとしている。そういった時代を迎え撃つには、人生観を磨き上げなければとても対処はできないだろう。偉人の名言は人生百年時代のソフトインフラにもなり得ると思う。この本が読者の参考になれば幸いだ。

 

なお、日本人の命日については、原則として明治5年(1872年9までは旧暦(太陰暦)、明治6年以降は新暦太陽暦)に拠っている。

 

 

           2017年4月           久恒啓一

 

 

「名言との対話」4月11日。小林秀雄「人はその性格に合った事件にしか出遭わない」

小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年明治35年)4月11日 - 1983年昭和58年)3月1日)は、日本文芸評論家、編集者、作家。

小林秀雄といえば私たちの世代のだれもが知っている文芸評論の神様で、入学試験問題はこの人の難解な文章を題材に出されることが多く、畏敬の対象であった。小林秀雄の冴えた筆にかかるとどのような権威も丸裸にされてしまうという恐怖に近い感覚を持った同世代の知識人は多かっただろう。

小林秀雄という山は大きな存在感に満ちている。一応は文芸評論家という肩書で紹介されているが、その仕事をなぞってみるととてもそのような表現で説明できる人物ではない。文芸にとどまらず、「モオツアルト」などの音楽、「ゴッホの手紙」などの絵画、などあらゆるジャンルで一流の活動をしている。音楽絵画、文学を同列に置いたマルチメディア評論家ということになる。

日本の近代批評の創始者である小林秀雄は膨大で緻密な作品群を残して圧倒的な存在感をもって時代の中に生き続けている。作家論、日本古典論、美術論、学問論と活動領域は広範であり実に多彩で、しかもいずれの分野も水準が実に高い。それは厳しい自己鍛錬の賜物であることが、新潮新書「人生の鍛錬--小林秀雄」を読むとわかる。

以下、その本の中の「仕事論」に関する言葉をあげる。小林秀雄の仕事の流儀である。

「実行をはなれて助言はない。そこで実行となれば、人間にとって元来洒落た実行もひねくれた実行もない。ことごとく実行とは平凡なものだ。平凡こそ実行の持つ最大の性格なのだ。だからこそ名助言はすべて平凡に思えるのだ」

「心掛け次第で明日からでも実行が出来、実行した以上必ず実益がある。そういう言葉を、ほんとうの助言というのである」

「転職という言葉がある。若し天という言葉を、自分の職業に対していよいよ深まっていく意識的な愛着の極限概念と解するなら、これは正しい立派な言葉であります」

「成る程、己の世界は狭いものだ。貧しく弱く不完全なものであるが、その不完全なものからひと筋に工夫を凝らすというのが、ものを本当に考える道なのである。生活に即して物を考える唯一の道なのであります」

私たちは事件に遭遇する。この事件とは外から襲ってくるものではない。自分が、自分の性格が招くものである。小林秀雄のいう「性格論」は腑に落ちる。あるとき、この言葉を読んで苦笑しながら来し方を振り返って深く納得した。

 

 

 

 

 

写真俳句か、フォト575か、、、。

 森村誠一写真俳句のすすめ」(朝日文庫)を再読了。

 写真と俳句が一体となった写真俳句はいいかもしれない。

人生の記録として凡句を重ねよう。

森村誠一の写真俳句のすすめ

森村誠一の写真俳句のすすめ

 

 ・写真を撮り、あとでじっくり観察して俳句をつくる。

・俳写同格

・時間と空間

・悠久の歴史。深遠な心理描写。

・句会にはでない。他人の句を批評しない。名句をたくさん読む。歳時記に親しむ。俳句は足でつくる。

・句境は持続性がある。句材は至るところに。

俳人にとって俳句に勝る人生の記録はない。人生の記録であるから凡句でも構わない。

写真俳句の特徴は、抽象化の極致である世界最短詩型の俳句と、具象的な写真をジョイントしたものである。

・350年近い歴史の俳句と最先端の機器を合体して写真俳句をつくる。

・人事。日常。旅。アウトドア。1万歩。

 

 マスターズでガルシアが初優勝。

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 来し方が 波紋のように 広がりて

 

喫茶店の棚

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 旧き物 想い出それぞれ 場所を占め

 

レストランの外で食事をする親子

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連翹や  赤とブルーの 母と子に

 

結婚式場の外で記念撮影

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ドレス白 春幾たびか 何色に 

 

改めて眺めてみると、そうだ、季語がない。フォト575か。

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「366名言」は4月ー8月の校正が終了。

 

「名言との対話」4月10日。永六輔「人と一時間話をすれば、厚い本を一冊読んだのと同じくらい何かを得るものだ」

永 六輔(えい ろくすけ、1933年4月10日[2] - 2016年7月7日)は、日本のラジオ番組パーソナリティタレント随筆家。元放送作家作詞家である。

永さんは前立腺がん、パーキンソン病で、一時ろれつが回らなくなった。人は得意なところがやられる、ということを想い出した。ビジネスマン時代に何度かお会いしているし、私の母が作曲家の中村八大と幼馴染だったことも話題になり、親しみを感じている。永さんとは富田勲先生との小旅行の途中の秩父駅で偶然会ったこともある。永さんは奥様を先に亡くしていて、それを詠んだ俳句がいい。

 看取られるはずが 看取りて 寒椿

「人間、出世したかしないか、ではありません。卑しいか卑しくないか、ですね」

「人間、今が一番若いんだよ。明日より今日の方が若いんだから。いつだって、その人にとって今が一番若いんだよ」

「いいですか。 夫婦ったって、アカの他人ですよ。 アカの他人どうしが起こす奇蹟。 それが夫婦というものです」

「家庭というのはこんがらがった糸ですよ。 こんがらがってるから家庭なんです。 ほどくとバラバラになっちゃいますよ」

「 人の死は二度ある。 最初の死は、肉体の死。 でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。 最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。 そう僕は思っています」

永六輔『大往生は』戦後の岩波新書の売上げトップに立ったことを聞いて驚いたことがある。確かに人生の機微を普通の言葉で表現する天才だった。人と話をすることで得るものは実に大きい。読書と読人で行こうか。

 

 

 

 

 

次の本に向けて

 次の著作「366日 名言集」(命日編)の最終校正。

・はじめに(必要なら、おわりに)と参考文献の原稿作成

・名前や、生年月日、没年月日の間違いがないかのチェック。

・3つのコマを使っている日は、内容を増やすか減らすか。

・著者紹介

以上の指示にしたがって作業を行った。1-3月が終了。

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雑誌「世界」の「脳力のレッスン特別編--トランプ政権の本質」(寺島実郎

以下、キーワードによるまとめ。

  • トランプ政権:「ポピュリズムの誘惑」「構想もビジョンも見えない」「カウボーイ・メンタリティ」「逆さまの世界」「コスモポリタン的価値の否定」「新しい価値を創造する力に欠ける」「全てはディール(取引)」「厚顔な自己顕示」「災禍に苦しむ」「オバマイラクの失敗とリーマンショックから生まれた」「格差と貧困はサンダース現象を生んだ」「メイ首相の役割」「保護主義」「リーマンショック再び」「末人」「情報技術革命に対する戦略構想の欠如」「環境問題軽視」「ロシア制裁解除とユダヤシフト」「影響力最大化戦略の分断統治」「グローバルガバナンスを失ことも拒否」
  • 日本:「日米関係の矮小化」「本領安堵御家人」「自前の羅針盤」「アジアの民主的賢人」「北東アジア非核化構想」「浩然の気」「日米関係再点検の好機」「米軍基地の縮小と地位協定の改定」「主権の回復」「抑圧的寛容」「自立・自尊への意思」「親米を装った反米」「成熟した民主国家・日本へ」。

 

「名言との対話」。4月9日。野間省一「もっぱら万人の魂に生ずる初発的かつ根本的な問題をとらえ、掘り起こし、手引きし、しかも最新の知識への展望を万人に確立させる書物を、新しく世の中に送り出したいと念願しています」

野間 省一(のま しょういち、1911年4月9日 - 1984年8月10日)は、日本の出版人、実業家講談社第4代社長日本書籍出版協会会長。出版文化国際交流会会長。日本雑誌広告協会会長。

社長在任は、1945年 - 1981年で、36年間という長期政権だった。以下、戦後の講談社を牽引した野間省一が創刊した主な雑誌、シリーズ。

ぼくら」(1954年)「なかよし」(1954年)「若い女性」(1955年)「たのしい幼稚園」(1956年)「週刊現代」(1959年)「週刊少年マガジン」(1959年)「週刊少女フレンド」(1962年)「小説現代」(1962年)「ヤングレディ」(1963年)ブルーバックス(1963年)講談社現代新書(1964年)「月刊現代」(1966年)「週刊ぼくらマガジン」(1969年)「テレビマガジン」(1971年)講談社文庫(1971年)日刊ゲンダイ(1976年)

野間は1976年の講談社学術文庫の刊行にあたっては「文庫と言う小さい形と、学術という壮大な城」の構築という目標を宣言している。

1964年の講談社現代新書の創刊の辞では「教養とは万人が身をもって養い創造すべきものであって、一部の専門家の占有物として、ただ一方的に人々の手もとに配布され伝達されうるものではありません」と問題を明らかにしている。そして冒頭の言葉は最後に結んだ言葉である。

最新知識を万人が理解できるようにやさしく解説するという文庫や新書の創刊は、志の高い事業であり、かつ難事業である。一部の専門家の専有物を公開しようとする知識の民主化は庶民の知識向上を創業の理念とする講談社にふさわしい企画だった。今もその恩恵に多くの人があずかっている。出版はまさに教育事業である。

 

 「名言との対話」4月24日。山下太郎「人間の真価は、困難のとき分かるものである」

 山下 太郎(やました たろう、明治22年(1889年4月9日 - 昭和42年(1967年6月9日)は、日本実業家。その業績から「満州太郎」「アラビア太郎」などと呼ばれた。楠木正成の子孫楠木正具の子孫にあたり、「楠木同族会」の初代会長を務めた。

戦前、実業家として満州経営に関わり、日本国内はもとより満州中国朝鮮台湾まで拡大し、「満州太郎」と呼ばれた。

戦後は復興のためにアラビア石油を設立。サウジアラビア、クエートの利権を獲得。1960年最初のボーリングで大規模海底油田を発見(カフジ油田)し、「アラビア太郎、100万ドルの笑顔」と世界中で報道され、以後「アラビア太郎」と呼ばれる。

幾多の困難を実行力で克服した山下太郎は、満州太郎、アラビア太郎との愛称をもらっている。まさに風雲児であった。郷里の秋田県横手市大森町に記念館がある。

 「好況の後には不況が来、不況が好況の前ぶれであるということは誰でも知っているが、いざ不況になってみると、これに処する態度は万人万様である。私は、自分の経験から、つねに誠実であること、積極的に努力することが一番大切であると信じている」
冒頭の言葉には、「また困難のときは、来るべき運命を拓く種を蒔くときでもある。だから困難のときは神の恵みと思い、神に試練を与えられたと覚悟してよいのだと思う」と続く。大プロジェクトに挑み続け、困難に遭遇した山下太郎がいうから説得力がある。

 

 

 

 

 

 

 

インターゼミ2017年度が始まる

品川キャンパス:12時10分から大学院教授会。

  • 審議承認事項:平成29年4月入学者。特待生。異動。コース変更。論文予備審査。
  • 報告事項:大学院事業計画。自己点検。分科会メンバー。入試広報分科会。教務分科会。院生分科会。企業派遣分科会。プロジェクト分科会。データサイセンスコース報告。ルール形成コース報告。ポラリスユニバーシティ報告。グローバルスタディーズ学部セッション授業。災害障害保険。授業料半額対象者。教授会時間変更。事務。その他。

 

九段サテライト:インターゼミ(2017年度)第1回。

  • 学長講話:社会工学研究会。独りでは課題解決はできない。タテ社会。仕事を通じて時代と関わり貢献するのが人生。インターゼミは模擬実験。過去の取り組み(8年間の実績の積み上げを読む)。知の力(時代・技術・競合、)。歴史認識によって時代認識をつくる。多摩学班(シルバーデモクラシー。ビジネス。社会運動)。アジア班(モンゴルが世界史に与えたインパクト。元。元寇李氏朝鮮清朝満州国。インドのムガール帝国。イランはイスラム化したモンゴル。ロシア、、ユーラシア史。サービス・エンタメ班(視界を広げるか)。地方・環境班(ICT/AI/ビッグデータ)。この8年で何が変わったか。ICTの加速。格差と貧困。アナログが重要に。生身の人間に語かける。学部生(参加しにくい。クオリティが上がっている。かまわない)。ヒューマンリレーションマップとアセットマップ。
  • 丹下先生(中小企業の海外展開)。水盛先生(中国の歴史。宇都宮太郎日記。外務省分析官として現代中国)。野坂先生(被災地の水産業イノベーション)。韓先生(観光まちづくり。フィールドワーク。身障者観光)。杉田先生(スポーツ社会学。レジャー。余暇開。名古屋のレゴランド)。荻野先生(朝日新聞東洋学園大。あらたにす)。木村先生(NHK。アジア・多摩学・震災・エネリギー。ジャーナリズムの死。トッド。ボクシングのトレイナー)
  • 松井(早稲田で日本史。江戸天保。文学研究科。マザーズ投資家。センター試験2021年度無くなる。調査書の点数化。大学は様々な人を求めてくる)。渡辺(金融。フィールドワーカー。アイルランドカンボジア原発、福島、チェルノブイリ、、)王(早大院。高齢者福祉とNPO)。追分(院OB。LAのジャパンタウン開発。移民の受け入れ。アクティビシニア事業。結婚相談所)。新部(日立。自動運転。ヒューマンリレーションマップ)。菊永(東芝、再生へ)。川合(院OB。医療機器メーカー。資格サポート)。葛生(院OB。ハワイ滞在者に物件紹介。葛飾区で空屋対策)。服部(旅行会社。サウジアラビア地域資源学会。欧州型カジノ)。越田(内閣府で青年交流。中年の危機。大企業病

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終了後、蕎麦屋で懇親会。

金先生、杉田先生、バートル先生、水盛先生、野坂先生、丹下先生、私。

 

「名言との対話」4月8日。ブッダ諸行無常

仏陀(ぶっだ、ブッダBuddha)は、ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。Buddhaサンスクリットで「真理に目覚めた人」「悟った者」などの意味である。BC560年頃生誕。2500年前。誕生。 ブッダは、17歳で結婚。29歳で出家。35歳で悟り。80歳で死亡。仏教の始祖。

ブッダは生きるためのアドバイスを語る。

「思慮のある人は、奮い立ち、努めはげみ自制・克己によって、激流も押し流す事が出来ない島を作りなさい。」

「 誠あり、徳あり、慈しみがあって、損なわず、慎みあり、みずから調え、汚れを除き、気をつけている人こそ「長老」と呼ばれる。」

「他人の過失を見る必要はありません。他人のした事と、しなかった事を見るのではなく自分がした事と、しなかった事だけを見るようにしなさい。」

「他の作と不作を見るなかれ。己の作と不作のみを見よ。」

「 今日すべきことは明日に延ばさず確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である。」

「「わたしは愚かである」と認められる者こそ、賢者である。逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい。逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい。」

さて、冒頭の「諸行無常」である。この世に存在するものは姿も本質も常に流動し変化し続けている。一瞬たりとも同じ存在を維持することはできない。諸行とはこの世のすべての事物と事象、無常とは不変のものはないの意。これが諸行無常の意味である。生滅するものなのに常なるものと観るから生滅の法を苦しみととらえてしまうのだ。この世の本質は、変化・生滅であることをよく理解して、こだわりを捨て去ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

学部の授業「ビジネスコミュニケーション」、大学院の授業「インサイト・コミュニケーション」が始まる。

 

「副学長日誌・志塾の風」170407

多摩キャンパス

  • 午前:学部の講義が始まる。ビジネス・コミュニケーション。100名規模の講義。留学生がかなり出席している。先輩に勧められているようだ。
  • 終了後、客員の橘川先生と歓談。インターネット放送局「トレンドウオッチャー」の日程を山本さんも同席して調整。
  • 飯田先生:「読書メーター」の多読会の活性化
  • 杉本係長:戦略会議の文案
  • 高野課長:明日のインターゼミ打ち合わせ

品川キャンパス

  • 日本未来学会の和田事務局長を徳岡研究科長、滝川課長に紹介。品川での未来学講座の打ち合わせ。品川塾、、、。
  • 18時半から21時40分まで「インサイト・コミュニケーション」の最初の授業。11名。うち留学生は2人。

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以下、受講生のフェイスブックへの書き込み。本日の授業の感想。

  • 箇条書きでお許しください。◆図解が必要な理由。箇条書きは項目間の関係性が分からないため、課題の深堀ができない。◆図解の仕方・文章を書く前に図を描く(全体像から)・A4サイズの大きさがベスト・数字や実体験を入れるとリアルになる・仕事の成果の先に社会が良くなることを意識すると良い。◆図解のメリット。・読書をしただけでは頭に残らない、図解で自分なりに考えてみると忘れない・考えるトレーニングになる・そもそも、考えることは、関係を考えることである・物事の構造を立体的に考えられる・ずらしたり、新たに矢印を引くと全く違うものが見えてくる。◆印象に残った言葉「図解は関係学」「ロジカルシンキングは単純パターン!アメリカのMBAはそればかり」「マインドマップには関係構造がないから、頭を使わなくて済む。だから人気がある」◆気づいたこと
    ・矢印がないところに矢印を引いて見ると、改めてその項目の関係性について考えさせられる・文章でごまかす自分を省みた・マインドマップが楽しいのは、楽に一人で発想できるから。図解は思考法だから苦しいが、伝わりやすいコミュニケーションツールにもなる。・自分の仕事を描いてみたら、大切にしているのが多様な人との関係性であることが分かったので、今後もそれを強みにしていこうと思います。
    久恒先生、皆さん、ありがとうございました。
  • 図解してみてその威力を実感しました。①作成時には全体像をイメージすることになり必然的に頭の整理につながる。②説明時には疑問な箇所を示しながら質問することで論点の焦点がぶれず相互理解が早い。③対話の中から新しい関係性を発見し課題解決のツールとしても使える。今回作成した図はシンプル過ぎて表現能力の不足を実感しておりますが、分かることから作成し後から追加し進化させていけばよいとの言葉に勇気づけられました。
  • 第一講ありがとうございました🏫私の弱みはまさに, 説明や意思を簡潔かつ的確に他者へ伝える力の欠如です。省内新聞や業務文書も活字量が多いため, 受講を通して, 読み手の理解を促進する図解表現を訓練させてください。追伸: 全府省や関連独法の仕事図解本是非出版してほしいです。
  • 「私の仕事」を図にしてみて、今まで組織を中心に考えてきたものにとって自分を中心に考えるということに慣れていないということに改めて気づかされました。図で自分の仕事の部分を囲んでみて自分の位置づけが理解できるようになったと思います。
  • 「考えるとは関係性を考えること」。この言葉が強く印象に残りました。図の材料である◯と◯の間に何があるんだろう?と考えながら練習を重ねたいと思います。
  • 今日はありがとうございました。私にとって、図でコミュニケーションするのはとても難しいです。図はきれいであればいいだと思いましたが、深い関係を考えていない。また、今の仕事をテーマとして、練習しましたが、やっぱりみんなとの考え方が違います。みんなの意見をいただき、ありがとうございます。
  • 今日はありがとうございました。図解=思考法であり図は進化する、という事を胸に刻んで学んでいきたいと思います。関係性に敏感になる事で、仕事だけではなく人生が豊かに出来そうな、そんな可能性を感じました。
  • 講義ありがとうございました。今まで自分の考えを説明する際に図解を使ったことはありましたが、今後は他人の話を図解で理解してみたいと思います。

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 「名言との対話」4月7日。法然「私の寺社は全国に満ちている。貴賤の別なく、念仏を唱える者。これはすべて私の寺社である」

法然(ほうねん、長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本である。浄土宗の開祖と仰がれた。

法然の弟子である親鸞の「善人なおもて往生す、いわんや悪人おや」という言葉が有名である。権威を恐れない絶対平等主義である。日本仏教は奈良・平安時代の国家仏教から、鎌倉時代法然親鸞の民衆仏教の全体平等主義へ転換した。この考え方はキリスト教の愛に近い。後にフランシスコ・ザビエルは「日本人には水がしみ入るように理解できる」と書いているのはすでにこういう下地があったからだ、。

「他の職につくことができないならば、今の身でよいから、ひたすら念仏せよ。阿弥陀如来は、そのような罪深い人たちのためにこそ、仏の本願にすがり念仏せよ。念仏申せば必ず極楽に往生できると教えている」(遊女に諭した言葉)

岡山に法然上人を本尊とする誕生寺があり、訪問すると1147年法然15歳のときに植えたとのいわれのある老木があった。法然の教えが1000年近く経っても生きていると感じた。その法然は、念仏を唱える者、これが私の寺社だと突き抜けた言葉を発している。国家鎮護の仏教から、民衆救済の仏教への一大転換、そして世界に通ずる宗教への飛躍であった。