全国戦略経営塾2017--ウーバージャパンの高橋社長。経済産業省の前田審議官。三重大の西村副学長。寺島塾長。

全国戦略経営塾2017が九段のグランドパレスで開催された。全国から100名の経営者たちが参集。

冒頭は寺島塾長の挨拶。

続いてウーバージャパンの高橋正巳社長「Future of Mobility テクノロジーに夜交通の変革」。

ボタンを押すと車が来るサービス。77ヶ国600都市。一日1000万乗車。現在は全体の4%、10-15年後には25%へ。ウーバー・プールでの乗り合いにより交通量の削減。ライドシェア(所有から利用へのパラダイムシフト。ウーバーブラック(高級車)、バン、SUV、2輪、小型、タクシー、アシスト、、、。都市の抱える問題を解決していく。タクシーとのパートナーシップ。

テクノロジーによる安全安心の提供。ユーザー:相互評価(ユーザーとドライバー)。情報の対称性。リアルタイムで情報共有。カード決済。ドライバー:200万人以上。自分の責任・自由な働き方。週15時間以下が多い(一日1-2時間)。副業や子育て者。専用アプリは50言語。需給が見えるのでマッチング。ダイナミックプライシング。

海外:フランス:成長の2%に貢献。収入、保険、リース、販促、飲食、観光に影響。

日本:東京は3年半前からハイヤーと提携したハイエンド向きサービス。地方では2つの過疎地域で自治体と組んで実験。京丹後ではNPOに提供(タクシー・バス無し)。北海道中頓別町(JR廃止。高齢化4割)では住民ボランティアに提供(代理配車・現金。病院・買い物)。

ウーバーイーツ:フードデリバリーサービス(料理の注文・配達)。1年前から東京17区。1000店舗以上が参加。世界29ヶ国100T都市。横浜も。ユーザーeater(ホームパーティ・オフィス)は今どこか、配達車の名前、やりとりも分かる。手軽で選択肢が増える。一人前もOK.レストランはコスト安い、マーケティングに有効。配達者(パートナー)は5000名以上、大学生・高齢者・主婦・芸人・役者が登録。ゴールドパートナープログラムも。豊かな食生活。新しい働き方。

ウーバームーブメント:ビッグデータ(雨・災害時の動きなど)を都市開発者・シティプランナーに提供し都市づくりに貢献していく。自動走行サービスの提供を実験中(ピッツバーグ・アリゾナ)。ウーバーエア(空飛ぶ車)の研究開発。人を運ぶ。2020年にドバイ、ダラスで実用化を目指す。2時間が15分に短縮。トラック版ウーバー(物を運ぶ)。スマホさえあればOK。新しい働き方の提供。

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 経済産業省の前田泰宏審議官(IOT担当)。

ディープラーニング協会(松尾先生)。AIという用語もデータという用語も使わない。産業利用にフォーカス。目的。課題発見。テーマ設定。何のためのデータか。何処にどういうデータがあるか。重要なデータ。プライバシー・セキュリティ・権利配分が加わればビジネスモデルになる。日本はデータの利活用が遅れている。整理ができれいない。異業種交流が大事。教育産業政策、町工場とDJのコラボ、文学と数学、、。遊んでいる量に比例する。経営者は方向性を大胆に指示せよ。(飛騨高山にイスラエル人の記念館。誰か?) f:id:k-hisatune:20171107203234j:image

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 西村訓弘三重大学副学長。「三重から世界を見て最近思うこと」

末端から見える。テクノロジーによってライフスタル(生き方)が変わる。中国はフィンテック大国(スマホ決済)。カンボジア。Leapfrogingで一気に進展する。M-PesaでGDPの10%になったが、GDPは増えていない。イノベーションは起こっていない。社会は豊かになったのか?社会の背骨であるインフラに新たな技術を組み合わせる。組み合わせを生み出す能力がカギ。

三重県は南北格差。エア・ビービーの人気のおばあちゃん。若い農業者が定着しつつある。新結合。本居宣長伊勢商人。地方でじっくりと取り組むのもいい。「井の中の蛙大海を知らずされど空に青さを知る」

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寺島塾長。

時代認識:プラットフォームが大事。戦略経営塾もそれ。

中年の危機:出会いと使命感。

異次元の高齢化社会:80歳1000万人・100歳7万人。2050年に80歳1600万人・100歳53万人。80歳の7割は健常者、社会参画のしくみが必要。

知の再武装:ジェントロジー(学際的老年学)。レジリエンス(心の回復力)。時代と向き合う気迫が必要。価値観、メソドロジー(方法論)、情報基盤が必要。

世界をどう見るか?トランプ政権の経済政策(産業政策は保護主義。金融政策は規制緩和。エネルギー政策は化石燃料原子力維持)。株高。西海岸と東海岸の亀裂。西海岸シリコンバレーの光と影。ベンチャー経営者には天国、中間層には地獄(不動産2億円以上)。コンビニの無人化。時給1000円のレジはなくなる。中間層の没落が起こっている。トップと末端で成り立つ経営。バーチャル(IT)とアナログ(生身)のバランス。映画「ザ・サークル」。世界同時好況。アジアダイナミズム。日本との貿易:大中華(31.6%)は米国(15.8%)の2倍。中国:2000年は日本の4分の一。2010年並ぶ。2018年は日本の三倍。10数年後には6-7倍に。エネルギー:供給ではアメリカの原油天然ガスの京供給力が強くイランも登場。エネルギー弾性値の低下(日本はマイナス1.8%。世界は0.32%)で需要はあまり増えていない。需給関係からはバーレル70ドルを下回るはずだ。ただしマネーゲームの対象となれば100ドルもあり得る。日本は現在の50ドル前後が望ましい。脱石油。サウジとカタールの断交で湾岸産油国が割れた。イランの台頭とトルコの野心。ペルシャ帝国とオスマン帝国の再現という先祖帰り。100年前のサイコス・ピコ協定という大国の横暴。

日本:トランプへの接近。親米を装った反米。プーチンロシアへの接近。核兵器禁止条約への不参加。ASEAN9ヶ国とモンゴルが署名。東南アジアの非核化と北東アジアの非核化への構想。奇妙な状態。日本の政治:絶対得票率17.9%(投票率53.68%X比例自民党33%)。安倍政権支持は10数パーセント、議席は61.1%。国民とのギャップ。マグマの高まり。

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終了後のパーティ。モンゴル旅行でご一緒した方々と旧交を暖める。宮城大時代に交流のあった盛岡の山田裕幸さん(山田総合労務事務所長)とも久しぶりに近況交換。寺島さんから拙著『図解で身につく!ドラッカーの理論』の話題も。

 

「名言との対話」11月7日。久保田万太郎「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」

久保田 万太郎(くぼた まんたろう、1889年明治22年)11月7日 - 1963年昭和38年)5月6日)は、大正から昭和にかけて活躍した俳人小説家劇作家

生粋の浅草生まれの江戸っ子慶応義塾予科時代に森鷗外永井荷風に学び、運命が決まった。小説では伝統的な江戸言葉を駆使して滅びゆく下町の人情を描いた。

1934年昭和9年)4月、水原秋桜子富安風生らによって「いとう句会」が発足、その宗匠として招かれ、死の年まで続けた。晩年には日本全国各地を旅して紀行を執筆する。

 

戦後に俳誌「春燈」を主宰し文人俳句の代表作家となる。「神田川祭の中をながれけり」「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」「さびしさは木をつむあそびつもる雪」「あきかぜのふきぬけゆくや人の中」「水中花咲かせしまひし淋しさよ」「時計屋の時計春の夜どれがほんと」「あきくさをごつたにつかね供へけり」「叱られて目をつぶる猫春隣」

句碑も多い。桑名「獺に燈をぬすまれて明易き」。浅草神社「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」。駒形どぜうの庭「みこしまつのどぜう汁すすりけり」。慶應義塾大学構内「しぐるるや大講堂の赤煉瓦」。

1957年昭和32年)に文化勲章を受章しており、同時に文化功労者にもなっている。

戸板康二『あの人この人 昭和人物誌』は、交流のあった人物のエピソードを語る名作である。この中に何度も久保田万太郎が脇役で登場する。以下、記してみる。

徳川夢声と同じく久保田万太郎もスキャンダルや猥談をしなかった。明治の人のたしなみだった。川口松太郎は10歳年長の久保田万太郎のいちばん古い弟子で師匠としていた。「久保田万太郎と私」は名著。

渋沢栄一の末子渋沢秀雄は田園調布の生みの親であるが、久保田万太郎を俳句の宗匠にして渋亭と号していた。渋亭が「俳句なんて一向に進歩しないものですね」と言うと、ニコリともせずに「いえ、あなたの俳句は退歩しております」といったという。秀雄はこの話を嬉しそうに話していたという。

「茶の間の会」という親しい後輩が集まる会の席上でで、1962年の11月に銀座の「辻留」で野誕生会で「死後の著作権一切を、ぼくの慶応義塾に贈与する」とつげる。そして翌年5月に急逝。慶應義塾では「久保田万太郎記念講座」があり、内外の著名人を招いている。

晩年に酒を飲むと泣く癖があった。小泉信三が「君の作品は戦争中に書いたもののにも嘘はない」というと、突然泣き出したと小泉は追悼文に書いている。

以上、久保田万太郎という人物が匂うようなエピソードだ。自身は俳句は余技だとして位置づけていたのだが、そもそも俳句という文芸は本来は本業の合間に親しむ余技なのではないか。冒頭の俳句は久保田万太郎の人生をうたった傑作だ。

 

 

2017年度第2回研究開発機構評議員会

2017年度第2回研究開発機構評議員会を九段サテライトで開催。

私は研究開発機構長として議長役。今回は中間報告と全学(学部・大学院を含む)の情報交換会。

審議事項

・ルール形成戦略研究所人事:客員教授。副所長。

報告事項

多摩大学総合研究所:大いなる多摩学会。昭島市。多摩大出版会。2017年度事業進捗状況報告。

多摩大学情報社会研究所:LINE。ニトリ

多摩大学医療・介護ソリューション研究所:アジアヘルスケア戦略研究会。日本ドラッカー学会医療介護部会。カネカ。医療介政策ニュース。『医療危機:高齢社会とイノベーション』(中公新書)など出版。

多摩大学ルール形成研究所

その他

・2018年度事業計画スケジュール:2月9日〆切

多摩大学シーズ集:「大いなる多摩シーズ集」の原稿の依頼。11月30日〆切。

・第3回評議員会日程:2月13日。

・学部、研究会の近況報告と懇談。

 

 

「名言との対話」11月6日。川喜田半泥子「陶芸は余技だから売る必要がない。ゆえに自分の理想とするものを、他人のことなど気にせずに自由に自分の好きなように作ることができる」

川喜田 半泥子(かわきた はんでいし、1878年明治11年11月6日[1] - 1963年(昭和38年)10月26日[2])は、日本の陶芸家実業家政治家

1903年明治36年)に百五銀行の取締役に就任。1919年大正8年)に第6代頭取となり、1945年(昭和20年)2月まで頭取を務めた。彼の時代に百五銀行三重県有数の金融機関に成長した。頭取以外にも、三重県財界の重鎮として活躍した。50歳を過ぎてから本格的に作陶する。自由奔放で破格な作風であった。

2010年に銀座松屋の「川喜田半泥子のすべて」展で名前だけは知っていたこの人物に触れた。「東の魯山人、西の半泥子」と並に称された一流の風流人。伊勢の豪商の家に生まれ、百五銀行頭取、地方議員などの要職をこなしつつ、書画、茶の湯、絵画、写真、建築、俳句と多芸ぶりを発揮する。とりわけ陶芸では破格の才を示し、自由奔放ななかにも雅趣に富む世界を創造、「昭和の光悦」と声価をを高める。1878年生まれで、魯山人より5才上、加藤唐九郎より20才上。84才まで風流の道に生きた。

36才から号として用いた「半泥子」は、「半ば泥(なず)みて、半ば泥まず」という意味である。「半泥子は、なににでも没頭し、泥んこになってしまう。泥んこになりながら、冷静におのれを見つめることを忘れない。大胆なふるまいをし、ハメをはずしているようでも、芯となる風雅の要諦は、けっして踏みはずさない。」(美術評論家・吉田耕三)

無茶法師と名乗った連載随筆が本になっている。それが「泥仏堂日録」で、連載中から人気があった。この日録の冒頭には、「此の無茶法師無茶苦茶が、是から記される日記である。読む人こそ災難である」とあり、単行本になるときのあいさつでは「、、それにしてもこれを読まされる方々こそお気の毒さまである」と書いている。人柄や処し方がわかる気がする。

芸術は遊びであり、生活の手段ではない。本阿弥光悦も自分も同じ考えだと半泥子は言う。趣味と本業の関係をどうするかは、いつの世も難題である。趣味が本業となれば、自由は消える。半泥子は昼は本業の銀行業務に正攻法で精を出し、余暇を存分に使って余技の陶芸の世界を自由奔放に満喫している。半分どろんこという意味の半泥子という名はこの人の生き方だ。

 

夜は、弟と新宿の「銀波」で飲む。

多摩大学主催シルバー・デモクラシー企画第三弾「山梨ぶどうX講座」

 多摩大学主催シルバー・デモクラシー企画第三弾「山梨ぶどうX講座」に参加。

7時半に永山から出発、山梨で過ごした後、20時過ぎに永山に到着。

 

バスの中での講座

駒澤大学青木茂樹先生

・多摩大の趙先生

・私も5分ほど石橋湛山を解説。

 

 南アルプス市中央図書館の「ふるさと人物室」で石橋湛山を学ぶ。

2年落第で大島校長の薫陶。同級生に早川のりつぐ(東京メトロ)、中村せいほ。書斎にクラーク博士の肖像。早大学部首席(哲学)・中村は英文科首席。特待生。1940年8月25日「日本の未来は明るい。科学立国」。初の衆院選で落選するも大蔵大臣。石田博英松永安左エ門。「わが5つの誓」。

途中で、金丸一元市長の挨拶。「農業は楽しい。面白い。中野地区。10歳から18歳。望月日顕

名取えいいち(沼津市長)が地元対応をすべて行う。支えた人物。

 

東京タワーを建てた内藤多仲博士は「鉄塔博士」「耐震構造の父」。歌舞伎座

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南アルプス市ゆかりの人物「再発見」。17人。こういう企画は素晴らしい。

穴吹朝次郎(政治家)。石橋湛山(総理大臣)。ウェストン(近代登山の父)。小野徹’医師)。小野要三郎(果樹栽培)。河西豊太郎(文化人実業家)。北村雄治(北海道開拓)。功刀亀内(甲州文庫)。内藤多仲(東京タワー)。名取春仙(歌舞伎浮世絵版画)。埴原正直(外交官)。福田甲子雄(俳人)。矢崎きよみ(愛育の母)。矢崎源九郎(言語学者)。若尾逸平(甲州財閥)。

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甲州市勝沼「ぶどうの丘」。

・270度の絶景を眺めながら、バーベキューの昼食。

・講義

・・久恒「教養としての人物記念館巡り」:「山梨の人物記念館。教養とは? 二つのライフワーク。人物記念館の旅。わかったこと。人生100年時代のモデル。漱石山房記念館。名言の宝庫、、」20分

・・斉藤秀樹(南アルプス市教育委員会)「南アルプス市」20分

・ワインテイスティング

・懇親会

「IBM」「テニス」「日野市臨職」「稲毛。長州」「薬剤師。永山」「化学。ITリレー講座」「宮古島。49歳。」「長野移住。給食ボランティア。介護福祉士」「川崎。3世代同居」「73歳。公開講座」「団体。8年」「町田。夫とホスピス。初年度から。アクティブに」「山淵。日経と朝日。音楽」「広告。多摩センター。歩き」「世田谷。呉服業。マンション管理。メディアの会」「GIN。観光」、、、、。

・NHKビデオ「石橋湛山吉野作造。石橋:日中双方で冷戦を緩やかに解凍。第三原理。吉野作造片山哲南原繁丸山真男。増田弘「勇気」。選択肢を広げた。発想の柔軟性。、、」

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私の図解の本を読んでいる人。私のブログを毎日読んでいる女性。九大理学部化学科卒の女性。、、、。

さて、この3回シリーズの財産をどう生かすか。

 

「名言との対話」11月5日。入江泰吉「花は究極の美」

入江 泰吉(いりえ たいきち、1905年明治38年)11月5日 - 1992年平成4年)1月16日)は日本写真家

奈良市生まれ。画家を志すが断念するも、長兄からベストコダック・カメラを譲りうけ、写真に打ち込む。26歳、大阪で写真展「光芸社」を開業。文楽人形を撮影した「春の文楽」で世界移動写真展一等賞を受賞。文楽の写真家として活躍。40歳、疎開先から戻される東大寺法華堂四天王像を目撃し、アメリカに接収されるとの噂を聞き、写真に記録することを決意し、以後、奈良大和路の風景、仏像、行事等の撮影に専念する。『古色大和路』『万葉大和路』『花大和』で菊池寛賞を受賞。2009年には平城遷都300年記念・入江泰吉賞をが設けられる。

全作品のフィルム8万点を奈良市に寄贈、1992年に「入江泰吉記念奈良市写真美術館」が奈良市高畑にオープンした。高畑の志賀直哉旧居の近くにある美しい写真美術館を2014年に訪ねた。

入江の風景写真はしっとりした情感がふれており、山本健吉は「ミスター・ウエット・イリエ」と評した。また薬師寺高田好胤管長は入江の表現を「入江節」と呼んでいる。土門拳がシャッターを数多く切るのに対し、入江は納得のいくまで対象と対話し、「よし」と思ったときに、一度だけシャッターを切ったという。

53歳の初の本格写真集「大和路」以来、「仏像の表情」「お水取り」「古色大和路」「東大寺」「唐招提寺」「萬葉大和路」「阿修羅」「室生寺」「花大和」「仏像大和路」「四季大和路」「大和路有情」「万葉の花を訪ねて」「大和路巡礼」「新撰大和の仏像」「法隆寺」などの写真集が続々と刊行されている。まさに「大和」が入江のライフワークであった。

入江は晩年は「万葉の花」シリーズの撮影に時間を費やしている。風景や背景の入った大和路の作品とは違って、万葉時代に咲いていた「花」という芸術の原点そのものの美に迫っていった。入江は「自然造形にこそ美の根源があり、そこから芸術が生まれ育ってきたのではないだろうか」と考えたのだ。「万葉の花」は最晩年に入江が辿ついた美の境地であった。

 

 

 

 

 

 

 

「ライト・アクティブラーニング」の橋本メソッドを学ぶ高大接続FD/SD勉強会。

FD/SD勉強会。

富山大学の橋本勝教授が講師。で、「ライト・アクティブラーニング」で、橋本メソッドを学んだ。教職員40名に対するライトなアクティブラーニングの実習型の勉強会。和気藹々の1時間半。

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 ・「タイムスリップ」:清松先生、水谷室長、中村有先生、出原先生と、私のグループ

・「いかがでしょうか?」:水盛先生と中村有先生:楽しい

・橋本目そっだ:質問時間が半分以上。学生の発表と学生の質問。質問しやすくなる。授業の最後の「シャトルカード」、これをコメントをつけて返す。一対一の関係。

・「どう思われましたか?」:ライト・やる気の乏しい学生に焦点。競争原理とゲーム感覚。

・「学生はALを好むか?」:好むのは2割。マスプロ・資格試験、、という実状。学びにおける「楽しさ」・笑顔・目の輝き。「主体的、対話的、深い学び」。知的な楽しさを実感する学び。結果として深い学びが自然にでてくる。

「ディープか?ライトか?」:小林先生「生の経験による成熟度によるのではないか。」目黒の松井先生「学力水準によるのではないか、多様な学生、高校が変わりつつあるから大学も変わらなければならない」。潜在能力を出させる。多様性のある対応に工夫。萎縮させない。「幅広さ」と「工夫」のある授業。

・根拠はあるともないとも言えない。データを信用していない。研究論文としてまとめないが、かわりに授業を全部公開している。自分の目で実感して欲しい。400人以上。

・「ライト」は軽負担、write、、。シャトルカード。ALの核心は「楽しさ」「競争原理」「遊び感覚」「相互支援」、、。学生も含めたFD.教員は思考停止しないように。やり方の問題。

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 修了後、名刺交換。ラウンジで金アクテュビラーニングセンター長、担当の浜田先生を交えて橋本先生と懇談。

 

 

「名言との対話」11月4日。泉鏡花「恨めしいって化けて出るのは田舎者のお化けに限る。・・・・江戸っ子の幽霊は、好いた奴の処のほか出やしない」

泉 鏡花(いずみ きょうか、1873年明治6年)11月4日 - 1939年昭和14年)9月7日)は、日本小説家

金沢生まれ。1889年明治22年)4月、友人の下宿において尾崎紅葉の『二人比丘尼 色懺悔』を読んで衝撃を受け、文学に志すようになる。上京し紅葉門下に入り、尾崎家にあって、原稿の整理や雑用にあたり、紅葉の信頼をかち得る。1900年に代表作『高野聖』を発表。1939年逝去。1999年生家跡に泉鏡花記念館が開館。江戸文芸の影響を深く受けた怪奇趣味とロマンティシズムあふれる幻想文学の先駆者である。

生誕100年を記念して1973年に設けられた泉鏡花文学賞は、小説戯曲などの単行本で「ロマンの薫り高い作品」が対象。以下受賞した人々。半村良色川武大唐十郎澁澤龍彦筒井康隆宮脇俊三倉橋由美子吉本ばなな山田詠美村松友視田辺聖子久世光彦丸谷才一桐野夏生小川洋子横尾忠則瀬戸内寂聴。、、。

 

「予は目撃せり。日本軍の中には赤十字の義務を完うして、敵より感謝状を送られたる国賊あり。しかれども敵愾心のために清国の病婦を捉えて犯し辱めたる愛国の車夫あり、、」「一草一木の裡、或は鬼神力宿り、或は観音力宿る」「人間よくなるも悪くなるも一寸の間だ」

同郷・同窓・同門ではあるが紅葉にやや批判的であった徳田秋声とは、紅葉をめぐってトラブルも起こしているのも可笑しい。鏡花は紅葉の信奉者であった。

中島敦は「日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。ということである」と語っている。この言葉を読んで、特権を使わねばならないと改めて思った。

鏡花は「要するにお化けは私の感情の具現化だ」というのだが、お化けと幽霊の比較は面白い。「完全なる愛は『無我』のまたの名なり」ともいう鏡花の説によれば、お化けの恨みや幽霊の未練の両方とも「我」を忘れていないから、不完全な愛ということになるだろうか。

 

 

 

 

文化の日も授業:朝は学部「立志人物伝」。夜は大学院「立志人物論」。

11月3日は、「文化の日」。でも大学は授業がある。

 

午前。

・客員の久米先生と楽しく懇談:エニアグラム、、、。

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授業「立志人物伝」。本日のテーマは「怒濤の仕事量」。

紹介した人物は、漫画家。手塚治虫石ノ森章太郎。藤子不二夫。赤塚不二夫米沢嘉博明治大学「マンガ図書館」創設)。長井勝一(「ガロ」初代編集長)。

 

午後:六本木の国立新美術館で開催中の「安藤忠雄 挑戦」展。

目玉の「光の教会」をみる。回顧展でなく、「挑戦」がキーワードなのがいい。

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夜:品川キャンパスで大学院の授業「立志人物論」。今回のテーマは「持続する志」。

・運慶展。安藤忠雄展。ゴッホ展。来週は、石橋湛山鈴木貫太郎を予定。

・名言:中江兆民ミッテラン河上肇

・「持続する志」の講義:牧野富太郎大山康晴原敬池波正太郎。市川房江。宮城まり子羽仁もと子。講義と動画で解説。話し合い。「心が豊かになる授業」という声も。

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 以下、受講生の感想。

本日も貴重な講義をありがとうございました。池波正太郎の、「顔というものは変わりますよ。だいたい若いうちからいい顔というものはない。男の顔をいい顔に変えていくことが、男をみがくことなんだよ」という言葉が胸に突き刺さった。自身の面構えの甘さは日々行じることが足りず、真剣勝負をしていな証拠だと思う。人間的な深みを増していきたい。そのためにも、毎日の日誌を書くようにして(宣言します!)、毎日を振り返ることから始めたいと思う。

本日もありがとうございました。以下感想です。今回は大山康晴名人が一番印象に残った。29歳で名人になりその後長らくタイトルを保持していたが50歳にして無冠となる。本来ならここで引退し解説などへ進むのが一般的だと思うが、再起を誓い棋士としてまた勝負の世界に身を投じていく姿勢には感銘を受けた。私は勝負師というと個人種目のスポーツ選手や競馬のジョッキーなどを思い描いていた。また棋士については確かに勝負師ではあるが将棋しかできない人というふうに思っていた。しかし今回の講義で棋士の名言という動画を観てそのイメージはかなり変わった。「努力は嘘をつかない。ただその前には、長い目で見れば、という言葉がつく」「真剣に考えれば前進し、深刻に考えれば停滞する」「前進できない駒はない」など多くの棋士が人間として深みのある、共感できる名言を残しており、人間として、勝負師としての魅力を感じた。将棋の世界にはあまり関心がなかったが、これからは現在活躍している棋士の人物像について知りたいと思った。以上になります。次回もよろしくお願いします。

今日の授業の感想。大山康晴将棋棋士であるが、賞はごほうびであはなく、激励のしるしである。との言葉は自分のことと対照して考え深かった。われわれも人道援助や救命救急で何度もなく行政から表彰状や感謝状をいただきましたが、いただくことはわれわれの仕事を評価していただいたと素直に感謝します。しかし心の中ではいただいた以上これ以下の仕事はできないといつも思っています。たくさんの賞をいただけばいただくほど質の高いよい仕事をしなければならないと思います。毎回非常にためになることを教えていただきます。ありがとうございます。

今日の講義もありがとうございました。大山康晴は29歳で名人位に就いた天才棋士である。21年経つ、50歳で無冠になった。一般にはこの年齢が引退すべきが、大山康晴が人生に再出発した。「賞はご褒美ではなく、激励のしるしである」「一時の光栄を求めるより、長く続けることが大切」と話して、自分自身がこの信念を貫徹する。63歳のち機、当代の名人に挑戦して、一番年長な名人挑戦者になった。また、66歳の時、当代の棋王に挑戦して、一番年長な公式戦の挑戦者になった。69歳でA級在籍のまま死去した。一生はたくさんの名誉がもらったのに、満足できなかった。自分自身の全てが将棋に捧げ、自分の道が最後までも終わらず。私は心から尊敬の念を抱いている。

久恒先生、第4回の講義、ありがとうござい ました。今回も、文字で偉人の人生に接触し、色々な名言を勉強しました。大山康晴の「一時の栄光を求めるより、長く続けることが大切」という言葉が、「ブランド戦略」の授業を連想させました。一般的に小企業が目下の利益を追求する傾向にあります。それに対して、大手が長期計画、ブランド戦略を立てて、長い目で見た利益を求める特徴があります。確かに、小企業が人力や財力などに制限されます。だが、長期のもくろみが企業成長への重要性が無視できないことが事実だと思います。

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「名言との対話」11月3日。武田信玄「一日ひとつずつの教訓を聞いていったとしても、ひと月で三十ヵ条になるおだ。これを一年にすれば三百六十ヵ条ものことを知ることになるのではないか」

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ。 1521年12月1日(大永元年11月3日--元亀4年 4月12日(1573年5月13日))は、戦国時代の武将甲斐守護大名戦国大名

越後国上杉謙信と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃駿河、西上野、遠江三河と美濃の一部を領し、領国を拡大したものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、5月13日、信濃で病没した。

希代の名将であり、また信玄堤をつくるなど領国経営の達人でもあった信玄には、人心を集めるにあたっての名言が多い。「人は濠(ほり)、人は石垣、人は城、情けは味方、仇(あだ)は敵なり」「四十歳より内は勝つように、四十歳よりは後は負けざるように」「戦での勝ちは、五分をもって上とし、七分を中、十分をもって下とする」「いくら厳しい規則を作って、家臣に強制しても、大将がわがままなる振る舞いをしていたのでは、規則などあってなきがごとしである。人に規則を守らせるには、まず自身の言動を反省し、非があれば直ちに改める姿勢を強く持たねばならない」こういう言葉を眺めていると、武田信玄は、相当な人間通であったと思わざるを得ない。

軍師・山本勘助が書き、信玄自らが加筆して成立した心得集で、若い武士を対象とした日常生活の心得や守るべき常識を平易に記した「武田家百目録」(甲府武田神社で購入)などで、信玄の人生観はわかる。「朝の目覚めの方法。胸から臍の下まで3回なでおろし、臍下三寸の丹田をしっかりおさえてから起き上がれ」「寝床の上にあぐらを組み、その日の用事を心に描き、整理し、順序を立てて、寝床を出よ」「目の中はよく洗え」「寝る前に「便所へ行って、その日一日の仕事の内容を書く印紙忘れていることは記録して枕元へ置き、翌日真っ先に区切りをつけよ」「晴れ晴れとした気持ちで丹田を押さえ気持ちを落ち着かせて寝る」「枕元に干し飯、金銭、梅干し、樫の棒、草鞋2足をそろえよ」「得意の仕事を申しつけよ」「身辺の出来事をむやみに語らず慎み深くせよ」「金を貸すときは助け与える気持ちで」「一歩一歩歩みを踏み固め、段々と稽古に励め」、、、。

そういった心得のなかでも私が気に入っているのは、1日1つを続ければ1年で365になるというこの教訓である。ものごとは一気になるものではない。「一日一つ」ということの凄みを信玄はよく知っていたと思う。心したい名言だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

アイフォンでNHKの「聴き逃し」配信。大森拓也先生の授業参観。T-Studioでの公開講座「読書への回帰」に出演。リレー講座:西垣通「AIの過去・現在・未来」。

このところ、、アイフォンでNHKの「聴き逃し」配信を聞きながら、登下校している。1万歩前後歩いている。

・カルチャーラジオアーカイブス「声でつづる昭和人物死史--鈴木貫太郎」(保阪正康)2本:「ヒストリア 天皇のそばにいた男・鈴木貫太郎、太平洋戦争最後の首相」。「日本ニュース250号 大命を拝して。日本ニュース戦後編31号 戦後の暮らし」。鈴木貫太郎記念館(千葉県野田市)を訪問しよう。

・カルチャーラジオ歴史再発見「ルターと宗教改革500年」(ルーテル学院大学江口再起教授)5本:「95ヵ条で宗教改革は始まった」「宗教改革前史」「落雷体験から修道院へ」「塔の体験」「改革運動の前進」。

 

 「副学長日誌・志塾の風」171102

 

 2限目:授業評価の高く表彰の常連の大森拓也先生の授業参観。

「教育相談」というタイトル。カウンセリング技法が中心。共感のレッスン。

杉田、小西、金、浜田、バートル、同僚の先生たちが見学。

学生は心理学に興味あり。作業と発表という参加型のアクテュブラーニング授業。

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渡辺客員教授の授業も参観。

 

 3限目:T-Studioでの公開講座「読書への回帰」。中澤先生と飯田先生と私の鼎談。

38人の出席。この公開講座も人数も増えて定着している。

f:id:k-hisatune:20171102161536j:image 中澤先生「大学生の読書(1週間):ゼロ49%。30分ー60分は18.7%。60分以上は19.1%」「1ヵ月本を読まなかった大人47%」「積ん読の効用」

飯田先生「スマホの危険性」「本を読む意味」「つながり」「トーマス・マン魔の山。バーバラタックマンの8月の銃声。キッシンジャーの本」

久恒「なぜ読書か(探検と知的生産)」「私の読書データベース(ブログの読書日記)」「私の精読法--図読」「読書にカかかわる名言集」「目利き・SNSで若い人から学ぶ・耳読書」。最後に私の著書「偉人の命日366名言集」「団塊坊ちゃん青春記」「万葉歌の世界」20冊をジャンケンでプレゼント(感想、アマゾンの書評という期待も)。

 

 知研の高橋茂人さんと打ち合わせ。11月10日の件。地方(九州、東北、岡山、島根・徳島、、、)。

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リレー講座:西垣通「AIの過去・現在・未来」。

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・「人間は機械の奴隷になる」、「人間は不死の命を得る」という両極端の意見があるが、私はどちらにも賛成しない。

ビッグデータの時代:2020年には1人5兆バイトの情報、これは新書2000冊相当。

・コンピュータは思考機械という考え方。「人間の正確な思考とは論理記号の形式的操作にある」。哲学者のフレーゲラッセル。数学者のチューリングフォン・ノイマン

・AIという言葉は1956年のダートマス会議で誕生。囲碁などのソフトは計算能力が高まっただけだ。コンピュータには現実の問題は解けない。

・第一次AIブーム(1950年代後半):日本は出遅れた。第二次AIブーム(1980年代):日本経済の最盛期、第五世代コンピュータ開発に多額投資したが実用化は出来なかった。

・第三次AIブーム:第一次は論理、第二次は知識、第三次は統計。統計という意味は確率は高い者を提示するというものであり、間違ってもいいという考え方。実用性が高まった。深層学習とはパターンの特徴を自動抽出することであり、正確性には欠ける。高精度のパターン統計処理に過ぎない。

・シンギュラリティ(技術的特異点):レイ・カーツワイル2045年」に汎用AIの誕生という説。バラット「AIは最悪の発明だ」、これにビル・ゲイツ、テスラモータースの創始者、フォーキング博士などが賛成。軍事は危険。

・根本の議論が必要だ。AIの考え方は西洋の「絶対知」という考え方からきている。ユダヤ教から出発したキリスト教の「不死」、イスラム教の「絶対知」という概念。古代ユダヤ教の現在は試練という救済思想とギリシャの論理哲学(神の知)が融合したところからAIという考え方がでてきた。

・イエスユダヤ教の改革者だった。律法や十戒によってじ上層は救われるという考えから貧しい下層も救われると説いた。ユダヤ戦争に敗れて離散したが、300年後の4世紀に「すべての人は救われる」というキリスト教としてローマが国教化し広がった。神・イエス聖霊の三位一体で化意味と人間が近づいた。1517年の免罪符を否定するルター、カルヴァン「予定説」は活版印刷の発明とあいまって宗教改革が始まり、プロテスタンティズムが誕生する。そこでは「働く人は救われる」ことになった。

・神が宇宙も、人間も、機械も創造した。神はリゴス(真理)だ。機械も論理だ。論理を組み合わせっれば真理に近づくという考え方。ユダヤ系は神の真理を地上に実現しようとすれミッションをもって活動しているのではないか。選民思想

・私はそういう考えに違和感を持っている。生命と機械は違う!深く考えよ。生命は、未来に向けて意味を編集。今、この時点で生きている。身体活動を通じて観察者として世界を創り、多様な価値を追求する。機械は過去のデータを統計処理してデータを出す。没価値的に単一機能を追求する。だから、人間とコンピュータの競争はナンセンスで愚かなことだ。シンギュラリティ神話は、一神教的妄想である!・

・AIは人間の仕事を奪うか?AIはデータ処理。環境条件が安定していることが必要。変転流動する仕事には向かない。臨機応変は苦手。人間が行ってる家事労働、案内係なども流動的で無限に広い世界。環境条件は常に変化し、例外だらけだ。AIはサービス業には向かない。芸術という創造的な仕事は現代に生きる人間がやるべき仕事だ。自動運転など実用研究に絞るべきだ。本質を考えよ。

(日本人の自然観、無常観などが根底にある。西垣通ビッグデータ人工知能」を再読しよう)

 

「名言との対話」11月2日。岸田国士「一人では何も出来ぬ。だが、まず誰かがはじめなければならぬ」

岸田 國士(きしだ くにお、1890年明治23年)11月2日 - 1954年昭和29年)3月5日)は、日本劇作家小説家評論家翻訳家演出家

陸軍士官学校に入るが、反発して退役し、東京帝大仏文科に学ぶ。」演劇研究のために渡仏。在来の新劇運動を批判しフランスで学んだ演劇観を日本の土壌に移植することを志す。1932年、築地座を指導。1937年、久保田万太郎らと文学座を創設。第二次大戦中は大政翼賛会文化部長。公職追放を経て、戦後には芸術家集団「雲の会」を結成し幅広い運動を展開する。1954年、文学座の上演『どん底』(原作マクシム・ゴーリキー)の演出に携わっていたが、舞台稽古中に脳卒中に襲われ病院に運ばれたが翌日死去。63歳没。文字通り「演劇」に殉じた人生だった。芸術派運動の理論的指導者としての功績は大きく、新潮社は「岸田演劇賞」を創設し、新人劇作家の登竜門となっている。

長女は詩人岸田衿子、次女は女優の岸田今日子で、この劇作家の血を引いて活躍している。

岸田国士はペンを武器に演劇の世界を変えようとした。冒頭に掲げた言葉の「始める誰か」は岸田自身だった。なにごとも自分から始めたい。そこに人生の栄光がある。

 

T-Studio「トレンドウオッチャー」(久米信行客員教授)をリリース。T-Studioでの録画・録音「名言との対話」はセンテナリアンの「日野原重明」と「片岡球子」。

「家業の繊維会社のために、ITを活用したことが、日経や経済産業省の各種賞の受賞に繋がり、全国各地からの講演依頼に応えているうちに、地域観光、まちおこしの「プロの旅人」として、日々、東奔西走する久米信行氏。SNSを駆使して地域を元気にする極意を、久恒啓一教授との対談で伝える番組です。」

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多摩大T-Studioでの録音・録画風景。

本日のテーマは「センテナリアン(百寿者)」。片岡球子日本画家)と日野原重明(医師)。

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 研究室

・金先生:ディプロマポリシーの体系

ラウンジ

・杉田学部長:ディプロマポリシー

・講義にみえた多摩大OBの(株)バザールエンターテイメントの大和田氏、青山氏に紹介される。

 

 

「名言との対話」11月1日。中江兆民「民主の主の字を解剖すれば、王の頭に釘を打つ」

 中江 兆民(なかえ ちょうみん、弘化4年11月1日1847年12月8日) - 明治34年(1901年12月13日)は、日本思想家ジャーナリスト政治家衆議院議員)。

土佐藩の留学生として長崎(坂本竜馬と出会う)、江戸でフランス学を学ぶ。 1871年、司法省から留学生としてフランス留学。1874年帰国。東京外国語学校長、元老院権少書記官。1877年辞職。1881年西園寺公望らと「東洋自由新聞」を創刊(主筆)し自由民権論を唱え、ルソーの社会契約・人民主権論を『民約訳解』で紹介し「東洋のルs-」と呼ばれるなど、自由民権運動の理論的指導者となった。保安条例で東京追放の後は1888年以降、大阪の『東雲新聞』主筆として、普選論、部落解放論、明治憲法批判などを展開した。

「剣をふるって風を斬れば、剣がいかに鋭くても、ふうわりとした風はどうにもならない。私たちは風になろうではありませんか。」

アバタ面で背は高くなかった。性は豪放磊落で日常生活は無頓着であり、狂人や乞食、賭博の親分などと間違われたエピソードがあるなど、奇行が多かった。「秋水」とも名乗っていたが、この号は弟子の幸徳秋水(伝次郎)に譲り渡している。

「自由はとるべきものなり、もらうべき品にあらず」と自由の本義を語る兆民は、民が王の頭に釘を打つのが民主であると喝破した。冒頭の言葉はリズムがよく覚えやすい。