日経新聞に『久恒啓一図解コミュニケーション全集』第一巻の広告。

本日、7月25日の日経新聞に『久恒啓一図解コミュニケーション全集』第一巻の広告

。見本ができたばかりなので、書店には8月上旬に配本される。

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本文の冒頭の寺島実郎さんの推薦文は以下。それの一部を使って表紙に載せている。

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久恒啓一氏の「図解コミュニケーション」の本質

           一般財団法人日本総合研究所会長 

                    寺島実郎

 「図解」は知的生産の技術の柱であり、この体系化と深化に久恒啓一氏はライフワークとして取り組んできた。その集大成がこの全集である。 

 私は久恒氏と40年近い年月にわたって親交を深めてきた。 

 彼の人生の前半はビジネス現場でコミュニケーション能力を磨くことに集中し、所属企業の改革に実績を挙げた。

 後半は大学の教壇に立って後進に図解による意思疎通の高度化という実学を教えるとともに、大学経営に図解を持ち込んで成果を挙げた。

  そして、一貫してNPO法人知的生産の技術研究会の中心的リーダーとして、社会人の知の再武装とその社会的実装に心を配ってきた。 

 この全集の意味は、論点を図解する技術論にあるのではなく、図解によって意思疎通を深め、時代の課題の解決のために行動しようという愚直なまでの情熱にあることに気付く。

  一隅を照らす人生に、こういうアプローチもあるのかと心が熱くなる。

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強調すべきところが違うなあ。

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「名言との対話」7月25日。花菱アチャコ滅茶苦茶でごじゃりまするがな

花菱 アチャコ(はなびし あちゃこ、1897年7月10日 - 1974年7月25日)は、大正・昭和期の漫才師俳優である。

実家から何度も養子に出されたり、小学校を途中でやめさせられて、父親からも勘当されるなど、苦労が絶えなかったが、役者に興味があり、これも紆余曲折を経験している。役者には不向きであることを自覚し、大柄な体と取り柄のない顔を喜劇で生かすことになり、17歳で転向する。

1926年落語にかわる演芸を探していた吉本興業に入社し、1930年に横山エンタツとふたたびコンビを組む。まだプロ野球がない時代に人気のあった東京六大学野球をネタにした『早慶戦』(水原茂リンゴ事件)などの「しゃべくり漫才」で人気を博した。

正月を祝うのが「萬歳」だった。太夫と才蔵の二人組が正月に家をまわり踊りなどを披露する芸だ。明治時代中期に、近代万歳の祖・玉子屋円辰が祝い事の要素を排除した演芸としての「万歳」を始める。歌や踊りの間に「喋り」が入るのが普通だったが、天才エンタツは、低俗で下品な万歳を嫌い、新聞などをヒントにした時事ネタを盛り込んだ漫才をつくった。エンタツアチャコは会話だけの新しい「漫才」をつくったのである。「きみ」「ぼく」という標準語、背広姿など新味を出した。二人のインテリ万歳はサラリーマンに人気がでる。ラジオ時代の幕開けにもあたり、エンタツアチャコのコンビは人気は全国的になっていく。

アチャコは吉本の一枚看板として吉本バラエティの初期を支えている。1952年長沖一原作のラジオ番組『アチャコ青春手帖』が大ヒット作となり映画化され、アチャコはスターになっていく。漫才時代はエンタツが売れていたが、舞台・テレビ時代はアチャコの独壇場になった。

テレビが日本の家庭に普及しつつあった高度成長期に「滅茶苦茶でごじゃりまするがな」の台詞で一世を風靡した。このセリフは私もよく覚えている。久しぶりに二人の漫才をユーチューブで聴いたが、話題がどんどん変わっていく。テンポがいい。

資料を調べるとアチャコの生涯は有為転変、波乱万丈である。その中をしぶとく生き残っていく。現代に続く漫才の創始者の一人となったアチャコはドケチで有名で財産も築いた。そして最後は喜劇界の大スターにもなった。辞世の句は「負けはせぬ、夢は舞台で見得をきり」だった。

 

 

 

午前:「大学生はコロナ生活をどのように過ごそうとしているか」(授業)。夜:日本未来学会のオンライン研究会で発表「梅棹忠夫からのメッセージ」。

学部授業。12回目。授業後の課題アンケートから、「大学生はコロナ生活をどのように過ごそうとしているか」という視点でピックアップ。

コロナウイルスでまだ中々外に出られない状況だが、その状況をどう有効に活用するかが自身の生活を変えるかだと感じた。

コロナの自粛って不便だと思うことが多かったのですが、本日の授業を通してコロナの自粛であるからできる勉強であったり、オンライン授業になったから時間を有効に使えるようになったりと、自身の時間の使い方で、とても有意義な時間になることを確信しました。何か私も勉強して身に着けたいという気持ちになりました。

新型コロナウイルスによって世界がどのように変わっていくのか、また自分がどう成長するべきか、どう変化していくのかを考えるきっかけになりました。

本学の学生は比較的選挙に積極的に参加している様子ですが、久恒先生や寺島学長が簡単なことを小難しく教えず、それでいて自力で考えさせる問題定義をされている影響はかなり大きいと思います。

ほとんどの人がコロナ禍で出来ることが限られた生活を強いられていってしまった中、何が出来るのか、何をすべきなのかと考えて行動する事が重要であると思います。また、誰よりも先に着目し、それを始める事で新しい事の発見になるのかなと思えます。

新型コロナウイルスによって世界がどのように変わっていくのか、また自分がどう成長するべきか、どう変化していくのかを考えるきっかけになりました。

今回の講義で印象に残ったことは、新型コロナウィルス時代になってしまったからこそ、出来ることなどを明確にするべきということです。出来ることは人それぞれだと思います。私はこの新型コロナウィルスの期間自分の進路に向けた勉強を頑張ってきました。内容としては、TOEIC、SPIを中心として勉強して自分の苦手意識があるものを就職するまでに減らしていこうと思いました。

今回の講義で学んだことは活動する前に自分がどんなことを一日でやるのか決めるといいということです。自分で計画を立てて実行することがとても苦手ですが時間を無駄にして何もやらないよりかはやることを決めておいてやってみるのもいいと思いました。計画を立てればなにをやればいいかすぐにわかることができ、今のステイホーム時間を無駄なく過ごせると思うので同じ時間でも過ごし方によっては怠けてしまうので怠けないためにも何かをやるのはいいと思います。

多摩市の選挙管理員にまで、反響があるのはすごいと思った。この講義で選挙に少しでも興味を持ったのは、確かである。

読書会の話について、意見を述べ合うだけではカオスになるが、図解を利用する事でカオスと秩序の問題は解決されると話していてそんな場面でも図解が活躍しているんだと感心した。私もオンラインで勉強会・セミナーに参加しているため、そこで図解を利用してみようと思う。

コロナ後の時代であってもzoomなどのオンラインによるアプリの使用は広がっていくので、大学生の段階からzoomを使い授業を受けることは授業の質が落ちるといったデメリットばかりではなく、将来的にzoomやオンラインアプリが広がった時の練習と考えればとても大きなメリットであることを実感した。またコロナ流行を悲観するばかりではなく読書や勉学など時間を有効に使い自分のためになるように時間を有効活用していきたい。

今回の授業では自分のコロナの自粛期間の行いを見直すことができた。自分はコロナの自粛期間に英語の学習やパソコンについて学んだり動画編集などこれからの時代に求められるスキルの上達に力を注げたのでとても有意義に送ることができたと振り返ることができました。

今回の授業でzoomあ今後発展していくとかかなりこの先のことについて学ぶことができました。現在このような状況でかなり衰退しているような企業また業界は数多くあると思います。しかし、逆も然りで発展または新たに出てくるような業種もあると思います。今日はそんな未来的に発展していくかもしれない業種や先生なりの意見も交えて聞くことができたのでとても貴重な授業でした。

新型コロナウイルスの流行により、周りの環境が大きく変わった。withコロナ時代を生きていくために、時代や社会の背景をしっかりと考えていきたい。

先生がおしゃっていたようにウイルスと共生していくことがこれから生きていく中で大切になってくるのではないかと学ぶことが出来ました。

今回の授業で学んだことは、図解したことにより誰かの興味をそそり、対談をすることになったというのを聞いて、図解の持つ力は図解がまだまだできない自分からすると未知数・無限大だなと感じた。
また、図解を使えるようになれば、新しいモノや人に出会えるのだと思い図解を覚えて損は絶対にないと思った。

今回の講義を受けて学んだことはこの時代にこそできることは何かと日々見つめ合うことが重要ということを学んだ。ただ見つめ合うのではなくそこからどう自身で計画し行動するかが周りと違う発見ができる要素などではないかと思う。コロナ時代で人と接触が難しい中どう人と触れ合い新たな発見することが今後に生かされると思う。学生だからこそ様々なものに参加できると思う。

寺島実郎先生の番組の解説の図解で内容理解ができた。録画をしているので見直して深堀りしていきたい。今までの寺島実郎先生の番組も録画をしているので、改めて見直して考えていきたい。人脈を広げることは、今後にとって大変重要なことであるなと思った。計画していること、やらなければならないことを書き出すことは忘れず、時間を無駄にせず取り組むことができるため、実践したいと思った。

今回の授業で橘川先生の「参加型社会宣言」の本について触れていたことに関してが、その本には木曜二限の事業構想論でも触れていて内容の一部を教えていただいたり、橘川先生の今後ポストコロナ社会で計画している企画の視野の広さに驚かされた。

家にいる時間が増えます。その時間の中に図解を生かした生活を少し心がけていこうと考えました。そして、こんな状況だからこそ周りとの差をつけるチャンスとも感じました。

今の新型コロナウィルスがある時だからこそ自分で出来ることをする人としない人ではやはり差が生まれると私も思います。今の時期だからこそインターンシップを積極的受けるだとか自宅にいる時間が長いのでパワポの練習をするだとか今までの生活では出来なかった発見できなかったことが見つかるかもしれない、そういったことを自ら見つけ改善しまたそれを自ら行っていくという行動力が今の時期だからこそすることであると授業を聞いていて強く思ったことです。

今回、コロナ期間中の行いが、どのように差となって表れてくるのかが少しわかった。コロナ期間中に、これからの未来について考えることによって、成功の仕方が少し見えてくると思った。

コロナウイルスによって大学やアルバイトなどがなくなっているが、今自分ができる最大限のことをすべきだと感じた。特に本を読んだり、何かに関心を持って勉強をすることは時間がある今しかできないことだと思う。私は今何をすべきか考えてはいたが、行動に移せていなかったのでこれから時間を無駄にせず、始めようと思った。

私は授業を聞いてコロナになってしまったという事実は変えられたいので今後は、なってしまったことに柔軟に対応していくべきだと思った。私は、多摩市に住んでいるので多摩市の投票所行ってきたが、多摩市の投票率や誰にナンパーセント入っているかを気にしていなかった。でも去年衆議院選挙の投票率は東京全体よりも高かったのが印象的で覚えている。

今回の授業で学んだことは、読書会などもオンラインでやるようになって意外と新型コロナウイルスに対応してきているという印象を受けた。

終息の目処も立たないままだとこのまま新型コロナウイルスと共存していかなくてはならない未来もあるかもしれないと感じた。しかし、その中でもできることを自分なりにやるべきだと思った。久恒先生がおっしゃっていたように、その日やることを紙に書き出して実行できなくても自分の中でそれを決めることが大事だと感じた。な

何事も見て納得するのではなく、書いて意識を高めるべきだと学んだので、先生がおっしゃっていたように夏休みなど長い計画を立てる時に、実際にやってみようと思う。

私たちにには選挙権があって、意見をいうことができる立場にある。いまのコロナもそうだけど、なんの問題に対してもまずその課題に対して自分が理解することが大切だと改めて感じた。内容が分からずただ投票するのだと投票してないのと同じだから、このコロナでの自粛期間を通してだからこそできる学びを深めたいと考えた。

今回の講義ではzoomの授業の取り組み方を知れた。現在、コロナが流行し、対面での授業があまりできないからこそこの機会をチャンスだと思ってしっかりとzoomでの授業に取り組んでいきたいと思った。また、授業の中で紹介された本も読んでみたいなと思った。

本講義でコロナ禍の現状について、自分の意見を持ちこの時期に行動する人こそ変われるといったことを再確認できた。

今コロナの影響がひどい中自分ができることを見つけて、目の前のことを全力でやるようにする。また、他の授業でのレポートや課題を一生懸命やり、頑張っていこう思う。

メディアによって切り取られた一部の情報だけを鵜呑みにするのではなく個人個人一人一人が新型コロナウイルスに興味関心を示し、正しく恐れ、正しい付き合い方を見定める必要があると感じました。

先生の話が面白くて見入ってしまった。体験談や例を上げてくれるのでわかりやすい。今回初めて図解のパワポというものに挑戦してみたのですが、思っていた以上に難しかった。図を作るのは簡単なんですが、適切な形に着地するまでに多くの時間を要しました。作業の9割くらいは考えることですね。考えているうちに自分の中でより理解が深まっていくのを実感できると思います。誰かに何かを伝えるという目的以外にも「深く理解する思考法」としても有用だと思いました。

コロナの時に自分は何をできたかと振り返ったり今からでもできることは、ないのか少し自分なりに考え直して、行動しなくてはいけないと思った。 

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夜:19時半から2時間。日本未来学会オンライン研究会で、「生誕100年ーー梅棹忠夫からのメッセージ」というテーマで1時間15分の講演と質疑応答。13人が参加。気合を入れてしゃべった。 

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 先ほど、このオンライン研究会に参加してきました。1970年に出版された「知的生産の技術」(何と現在100刷!)の著者、梅棹忠夫さんの思想について、しばしば引用させていただいている「偉人の誕生日366名言集」などの著者である久恒啓一さんが2時間弱、語ってくださいました。梅棹忠夫氏は「文明の生態史観」を書かれました。日本と西欧を東西の端に置いた見方を基軸にして世界を見ると、世界史や現代社会、文化が読み解け、今でもその価値は失われていないことがよくわかりました。さらに進んで、世界の見方として「国家」単位でなく「民族」で見ること。日本は2つしかない(大和、アイヌ)のでぴんと来ないが例えば中国は漢民族の他に55もある、といったことも自分には非常に新しいことでした。そして、大阪で行われる万博も、国単位でなく民族単位やったらどうか、という提案もだされました。今、コロナ禍と来年の開催も危うい東京オリンピックのことで一杯でほとんど話題になりませんが、大阪万博も国の威信発揚の場になったり広告代理店などのもうけの場になったりすることなく、どうせやるなら適正規模で多様性(民族、生物、人々)を最大限尊重したものを企画して欲しいと思います。全国各地から様々な分野の方が集まりコミュニケーションできるオンライン会議の楽しさを味わうことができました。(都築功さん)

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寝る前にBSで酒を飲みながら養老猛先生の番組を見る。「現在の自然は35億年の回答です」。

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「名言との対話」7月24日。 黒田 正玄茶杓はその人の人柄を象徴します」

第十三代黒田正玄(くろだ しょうげん。(1937年(昭和11年)? -  2017年(平成29年)7月24日)は、千家十職の一つで、竹細工柄杓師。

代々襲名している。柄杓の他、台子香合花入など竹を使う茶道具を製作し、千家に納めてきた家系である。

初代正玄は、元々武士丹羽長重に仕えていた。しかし関ヶ原の戦いで丹羽氏は西軍に付き改易、浪人となったために剃髪して大津に移り住み、竹細工職人となった。評判の竹細工師となった正玄は小堀政一遠州)からの注文を受け、茶道界・江戸幕府とのつながりを作る。以後明治維新に致るまで、歴代三千家・将軍の御用達柄杓師となる。

初代 正玄(天正6年(1578年) - 承応2年8月8日1653年9月29日))

二代 正玄(寛永3年(1626年) - 貞享4年4月14日1687年5月24日))。初代の三男。27歳の時に家督相続。

三代 正玄(明暦5年(1656年) - 享保2年10月2日1717年11月4日))。二代の長男。

四代 正玄(元禄5年(1692年) - 享保16年7月26日1731年8月28日))  。三代の長男。

五代 正玄(宝永5年(1708年) - 安永7年7月15日1778年8月7日))。四代に子供がいなかったため、二代の妻の実家・勝見五郎兵衛家から養子。

六代 正玄(延享4年(1747年) - 文化11年6月2日1814年7月18日))。五代の長男。

七代 正玄(明和5年(1768年) - 文政2年12月7日1820年1月22日))。六代の養子。

八代 正玄(文化6年(1809年) - 明治2年10月15日1869年11月18日))。七代の長男。

九代 正玄(天保8年(1837年) - 安政6年10月20日1859年11月14日))。八代の長男。

十代 正玄(文政8年(1825年) - 明治33年(1900年12月22日)。八代の婿養子。九代の急死のため、急遽師匠の命により呼び戻されて後継者となる。その時に妻子を離縁したという秘話が伝わっている。

十一代 正玄(明治2年(1869年) - 明治44年1911年8月15日)。十代正玄と八代正玄の娘の間に生まれた長男。

十二代 正玄(明治13年1880年) - 昭和48年(1973年))。十一代正玄の妻。

十三代 正玄(昭和11年1936年) - 平成29年(2017年7月24日

現在の十四代正玄は、十三代正玄の長女。

黒田正玄(くろだしょうげん)」という名は、千家十職(せんけじっしょく)のひとつである。 千家十職というのは、三千家の茶道具の製作を任されてきた職人の名。そのなかで黒田正玄は、竹細工や柄杓師を務める家だ。茶杓、柄杓のほか、台子(だいす)や香合(こうごう)など、竹を使った茶道具を千家に納めてきた家系である。に400年も続く名前である。その十三代をサッカーの中田英寿が取材しているブログをみつけた。「茶杓はその人の人柄を象徴しますね」の後に、「豪胆な性格の型は茶杓も太いですし、繊細な型は細い茶杓ですし。中田さんは、やはり茶杓の幅も広めの形はどうでしょう。」とアドバイスをもらっている。(中田英寿「に・ほ・ん・も・の」)

この連綿として続く14人を擁する家系をあげてみたが、実子の男女、養子、婿養子、妻などが、家を守り続けているのには、感銘を受ける。幕府の崩壊、戦中・戦後の苦難など、この家を継いでいく「家系」にはドラマがありそうだ。

『ZOOMオンライン革命!』の田原真人(マレーシア)さんとZOOM対談。

朝9時から:自宅での「ZOOM革命」の田原真人(マレーシア在住)さんとのZOOM対談は1時間半の長丁場になった。 とても面白かった。複雑系ファシリテーション。参加。、、、。

Zoomオンライン革命!

Zoomオンライン革命!

  • 作者:田原真人
  • 発売日: 2017/10/24
  • メディア: 単行本
 

 

大学。

・11時半から松本先生の「事業構想論」のZOOM講義を聴く。ゲスト講師は橘川さん。

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・昼:多摩大総研所長、副所長ミーティング。松本先生、長島先生。

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午後:自宅で明日の日本未来学会のZOOM講演の準備。

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「名言との対話」7月23日。東郷茂徳「いざ児らよ戦うなかれ戦わば勝つべきものぞゆめな忘れそ」

東郷 茂徳(とうごう しげのり)1882年明治15年)12月10日 - 1950年昭和25年)7月23日)は、日本外交官政治家

鹿児島県出身。第七高等学校では文芸部に所属し、東京帝国大学ドイツ文学科を卒業。外務省に入る。中国・欧米での勤務の後、欧米局長、欧亜局長、駐独大使、駐ソ大使などを歴任した。東郷はソ連大使として、ノモンハン停戦交渉、国境画定交渉、漁業と樺太利権をめぐる交渉、不可侵条約交渉などを担当した。1941東条内閣の外相兼拓務相に就任、日米交渉の打開に努める。翌年、東条と対立し外相を辞職した。1945年鈴木内閣の外相兼大東亜相に就任し、戦争の終結に努力した。戦後はA級戦犯として20年の禁錮刑を受け、拘禁中に病死した。

東郷は頑強に軍部に抵抗した人物であり、日米開戦に一貫して反対している。敗戦が濃厚になると終戦の実現のために外相に返り咲き努力する。 太平洋戦争開戦時および終戦時の日本外務大臣という特別な仕事をした人物だ。天皇が出席の午前会議では、「外務大臣の意見に自分は同意である」と述べて終戦が決定した。

東郷の実家は豊臣秀吉の朝鮮侵攻の際、島津の軍勢が連れ帰った朝鮮陶工の子孫である薩摩焼の技法を、美山に花咲かせた陶工たちの未裔である。裕福な陶器商だった父が株を買って平民から士族になった。父は「学問をしたものは何千人、何万人の上に立つ。国ば動かすことじゃ」と茂徳を学問の道に導いた。東郷家は鹿児島城下に住む城下士ではなく、分散集落に住む外城士であり、武士の中では下層であった。後に東郷は疑似白人待遇の日本は外城士と似ていると感じることになった。

 以下、外交官・東郷の茂徳を描いた阿部牧郎東郷茂徳 日本を危機から救った外相』(学陽書房)の東郷の発言と心境を記す。

「中国と戦争を始めたのは間違いだった」「スターリンヒトラーの戦いはソ連が勝つ

」「三国同盟は日本に何の利益もたらさない。アジアに巨大な利権を持つイギリスアメリカとの対立を深刻化するだけである」「満州は発展させて連邦制にでもすれば日本は欧米に負けない位になるはずだ」「アメリカとの国力の差。鉱工業生産の差は一対76であった」「「争には負ける。日本はアメリカに統治される。今の日本の子供たちはどうなるのか。卑屈でこすからい植民地の民になること以外多分道は無いのだろう」、、。

「交渉では、自分の国の、眼の前の利益を唱える人はいっぱいいる。でも、誰かが相手のことを考えて、長い目で自分の国にとって何が一番よいかを考えなくてはいけない。最後のぎりぎりの時にそれができるのは、相手と直接交渉してきた人なのよ。その人たちが最後に相手に『51』あげることを考えながらがんばり通すことによって、長い目で見て一番お国のためになる仕事ができるのよ」。これは茂徳の一人娘のいせが、癌を患い死の床にあった時に、息子の和彦(元欧亜局長)に祖父が外交の仕事で何が一番大切かをこのように語っていたと遺言した。長い目で見れば、相手に一歩譲る方が国益になるというのが東郷茂徳の外交哲学であった。孫で外務省の局長を歴任した東郷和彦はロシアとの北方領土交渉で小泉首相の不興を買い、鈴木宗男佐藤優とともに断罪され佐藤の上司であった東郷和彦はオランダ大使に転出し、2002年に外務省を退任する。

亡くなる4か月前に、獄中と病院中で大学ノート2冊と便箋に書き残すべき事実を書いた完成させている。病気をおしながらの渾身の遺稿である。原稿用紙に換算して800枚に達していた。タイトルは「時代の一面」。その中には二百十首の短歌と2篇の長詩があった。その一つが「いざ児らよ戦うなかれ戦わば勝つべきものぞゆめな忘れそ」である。勝算なく突入した無謀な戦争への悔いである。私は今まで鈴木貫太郎首相らが終戦に導いたとする映画などを見てきたが、東郷茂徳の果たした役割は忘れられているのではないかと感じた。鹿児島県日置市東郷茂徳記念館がある。 

 

大学。『全集』第一巻の見本を入手。知研東京セミナー。ZOOM読書会。

朝:大学で授業の準備など。

15時半:荻窪日本地域社会研究所で、待望の「全集」の見本を入手。完璧な仕上がりになっていて満足。書店に並ぶのは8月上旬。

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 17時半:代々木で知研東京の幹事会。

 18時半:知研東京の7月セミナー。「ZOOMの使い方」。講師は力丸さん。クラウドファンディングで寄付をもらった力丸、根岸の両氏に見本を贈呈。

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 21時30分頃に自宅到着。橘川幸夫『参加型社会宣言』のZOOM読書会に途中から参加。全部で60数人が参加。6グループで感想を述べあっている。私は主宰の田原さん、著者の橘川さんのメイングループにアサインされていた。13人で語り合う。仙台、北海道からの参加者も。新しい形の読書会だ。読書会の時代になるかもしれない。

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「名言との対話」7月22日。都千代「何かしらねぇ。おいしいものを食べることかしら(笑)」

 都 千代(みやこ ちよ、1901年明治34年〉5月2日 - 2018年平成30年〉7月22日)は、長寿者。

 昭和天皇と同年生まれで20世紀の始まりの年に誕生。日本人として田島ナビ田中カ子に次ぐ歴代3位の長寿記録保持者。歴代日本最長寿の田島が2018年4月21日に死去して以来、死去するまで長寿日本一・世界一となっていた。世界最高齢になった時点では孫が理事長をつとめる医療法人が運営する横浜市内の介護老人保健施設に入所していた。

日本抗加齢医学会による雑誌『アンチ・エイジング医学』の2015年10月号において紹介された。好物はうなぎワインクリームソーダ。趣味は夫との海外旅行。ギネス・ワールド・レコーズによれば、会話好きで怒ったことがなかったという。趣味は習字。美味しいものが好物で、寿司うなぎなどをよく食べていた。

 最後の数年は記録づくめだ。イチローなどのスポーツ選手が記録を積み上げるのを髣髴とさせる。2015年12月5日:国内2位の長寿だった石黒喜代子の死去により、日本で2番目の長寿、世界で5番目の長寿となる。2016年5月12日:世界で4番目の長寿となる。2017年4月15日:世界で3番目の長寿となる。9月15日:世界で2番目の長寿となる。10月25日:116歳176日で猪飼たねの死去時年齢を超え、日本人として歴代単独3位の長寿記録保持者となる。2018年3月10日:歴代の世界長寿記録保持者の中で上位10傑に入った。4月21日:田島ナビの死去により、116歳354日で世界及び日本最高齢の人物となった。5月2日:117歳の誕生日を迎えた。5月30日:117歳28日で大川ミサヲの死去時年齢を超え、日本人として歴代単独2位の長寿記録保持者となる。都千代はどんどん長寿者を追い抜いていく。そして、7月22日:117歳81日(満117歳没)で死去した。

115歳時のインタビューでは、「クリームソーダが好きで、お習字は昔から習っていて、今も書いてます」「 何かしらねぇ。おいしいものを食べることかしら(笑)」「うなぎは大好きねぇ」と語っている。

家族談:まるで女神のよう。おしゃべり好きで辛抱強く、怒ったところをほとんど見たことがなかった。話をしていると楽しくなる相手だった。趣味の1つは習字。子どもの頃から習い始め、最近まで字を書いていた。そしておいしい食事が大好きだった。よく寿司やうなぎを食べに出かけていた。

都千代の場合、超長寿の秘訣は、趣味と食事であった。明治、大正、昭和、戦後、平成、そしてあと少しで令和の時代を迎えるところまで生きたこのスーパーセンテナリアンの生涯は壮大な感じがする。

 

 

 

 

資料。メモ。人選。名簿。ヨガ。ジム。講座。

いろいろ準備。

・講演資料作成。

・対談用メモ作成。

・「名言との対話」平成命日編の12名の人選と本の注文。林屋辰三郎。蝋山昌一。溝畑茂。荒垣秀雄山田風太郎。E・H・エリック。コフィ・コナン。牛山清人アンジェイ・ワイダ横山隆一ロナルド・ドーア。安部欣一。もぅひと仕事。

・クラファンの名簿チェック。

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「ZOOM革命講座」第6回目。本日で終了。動画の作り方、編集方法を学んだ。第2グループは続いていく。

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早朝:ヨガ:1時間。8月からは土曜日。

午後:ジム:スイミング300m

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「名言との対話」7月21日。江上トミ「ご家庭の幸せは愛情をこめた料理から」

江上 トミ(えがみ トミ、1899年11月19日 - 1980年7月21日)は、料理研究家

熊本県出身。江上トミはテレビ放送の草創期からNHKきょうの料理』や日本テレビキユーピー3分クッキング』などに出演して、暖かい笑顔と熊本弁で人気を博した料理研究家である。

「ご家庭の幸せは愛情をこめた料理から」をモットーとし、家庭料理の普及に尽くそうと江上料理学院を創設した。この学院はトミの長男の嫁の江上栄子と孫の江上佳奈美に引き継がれている。

嫁の江上 栄子1935年9月28日生まれ)は、江上トミの長男と結婚し、トミが創設した江上料理学院院長を継いだ。 日本テレビの「キユーピー3分クッキング」に1981年4月から8年間出演した。「食べ物で人の心は養われる」「人間の基礎は食べ物。相手のことを考えた、心のこもった食べ物が、一番のぜいたく。これはお金を出して食べられるののではない」というトミの言葉に共感して自然に後継者となった。「お子さんにとっては、パパが作ったお料理ってどんなに嬉しいか」は栄子の言葉だ。

孫の江上 佳奈美1959年2月27日生まれ)も、料理研究家江上料理学院副院長をつとめている。佳奈美は義務感からではなく、自分から「やりたい」と学院を継ぐことを志願している。「愛する人とおいしいものを食べる喜びを一人でも多くの人に知ってほしいですね」。だそうだ。

1899年生まれの創業者のトミは「ご家庭の幸せは愛情をこめた料理から」、1935年生まれの嫁の栄子は「食を通じての幸せ作りのお手伝い」、1959年生まれの孫の佳奈美は、「家庭料理は家族を思って作るオーダーメイドの食事」、母と祖母の路線を踏襲しながら現代的な分野に挑むなど活躍の幅を広げている。

1930年に始めた東京市ヶ谷の江上料理学院は、すでに90年の歴史がある。男性、女性を問わず、また各年齢層が幅広く学んでおり、のべ10万人以上の卒業生を世に送り出している。トミの情熱と人柄は家族を後継者にし、三代続いており、時間の堆積とともに、歴史を刻んでおり、果たした功績は大きいものがある。

思い出すと、私は市ヶ谷のJICA(国際協力機構)で数年間、研修に関わったことがあり、そこへ向かう急な坂道の右側に「江上トミ料理学院」の看板があり、その都度、トミの笑顔を思い浮かべていた。

「料理」に関わった人たちの言葉を追ってみた。林原一郎(林原コンツェルン創業者)「料理の旨まさというものは家庭料理にとどめをさす」。 王馬 煕純(中国料理研究家 「食事は、家族の健康はもちろん、家庭の団欒と幸福を象徴する場」。 村上信夫(帝国ホテル料理長)「やはり平和が一番だ。うまい料理こそ平和の象徴。もう一度料理をつくろう」。

料理は幸せな家庭をつくりだす平和産業である。「ご家庭の幸せは愛情をこめた料理から」というトミの影響を受けた人たちは、100年近い歳月にわたって、料理を通じて日本の多くの家庭に幸せをもらたらしてきたのだろう。ここにも偉い人がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先週の学部授業アンケートーー<パワーポイントについて><課題について><質問・意⾒><感想など>

大学:今週のスケジュール調整。以下、先週の学部授業アンケート。

<パワーポイントについて>
・やり⽅を知らなかったので参考になった。・社会⼈として使いこなすことは⼤事。
・だんだん楽しくなった。・図解まで作成できる⼒を持てれば⼀⽣の財産になると思った。・箇条書きのスライドしか作成したことがなかった。・使い⽅をあらためて学んだ。・使⽤技術の幅を広げていきたい。・図の書き⽅も教わり課題が捗りそう。・上達のために課題テーマ以外の事柄を実際に図解してみたい。・「パワーポイントは図解のソフト」という先⽣の⾔葉にとても共感した。・今回のような使い⽅は初めて。・今こそスキルを伸ばしたい。・図解に⻑けた先⽣からご享受頂けるのはとても貴重。・想像よりスラスラと作成できた。・今までの使い⽅とではなく、新鮮であり、楽しかった。
<課題について>
・最終課題は、「⼩池百合⼦はなぜ、再選したのか?〜図解で⽐較する都知事
の公約〜」とする。・全員を⼀回図解に表し⽐べ差が出る⼈にしたい。・⼩池百合⼦と⼭本太郎の⽐較をする。・提出⽇を過ぎないように気をつけたい。・ポップな要素に限らず⽴体的な図解の表現も⼤事。・⼩池さんともう⼀⼈選んで⽐較できる図解を作りたい。・今までで⼀番いいものを作り上げたい。
<質問・意⾒>
・24⽇の⽇本未来学会の研修は必ず参加しないとダメですか?・チャットを⽅を意識してください。・この⾊を使う、⼯夫をしていることを教えてほしい。・パソコンにパワーポイントが⼊っていない。学校で購⼊したパソコンなのになぜ?

<感想など>
・政府は、よくわからないgotoキャンペーンを早急に対応するべきだ。・zoomを⽤いた出版記念パーティが⾮常にユニークな試みで印象的。樋⼝先⽣の講義が久恒先⽣の今の講義スタイルと重なるので合点がいく。・先⼈たちが若者から情報を取り⼊れ、最先端の時代に⽣き抜く姿勢に感銘した。・⽇本のことをもう少し学んで⾏きたい。・指導者も新しいことを常に学び続ける必要があると聞き、私も情報をアップデートし続けていきたいと思った。・先⽣のブログを⾒たい。・コロナ感染者が増えてきて対⾯授業になるのが怖い。・⼩学校の友達と再会し⼀緒に仕事を始めるという少しロマンティックな夢のある話が、とても良かった。・投票率が50%を超えていてすごい。・ZOOMを3年前から使っていてZOOMを作った⼈と関係があると聞き偉⼤だなと思った。・図解をマスターすればどんな場⾯でもわかりやすく話ができる。図解のメモを作る⽅法もあることを知れた。・ZOOMをうまく活⽤すれば図解の汎⽤性を多くの⼈に伝え広めることができると思った。・クラウドファンディングを使って本を出そうとしていることも⾯⽩い。・⾃分の図解⼒が格段に上がった。・ZOOMで宴会が出来ることを知った。先⽣の授業は丁寧でよい。・⼈脈を広げ様々な世代との交流を持つことが⼤事。・先⽣の知り合いの⽅の意⾒など吸収することが多かった。・⾊の使いすぎは良くないと学んだ

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「名言との対話」(戦後編)7月20日。辻正信「我等は何故負けたか」

辻 政信(つじ まさのぶ、1902年明治35年)10月11日 - 1968年昭和43年)7月20日)は、日本陸軍軍人政治家

 ノモンハン事件太平洋戦争中のマレー作戦ポートモレスビー作戦ガダルカナル島の戦いなどを参謀として指導した。 常に最前線に赴き自ら最前線の兵士を鼓舞するなど、人気が高く、「作戦の神様」として戦後も称賛や擁護が絶えなかった。

 一方で、指揮系統を無視した現場での独善的な指導、部下への責任押し付け、自決の強要、戦後戦犯追及からの逃亡などについては批判がある。山下奉文の「この男、矢張り我意強く、小才に長じ、所謂こすき男にして、国家の大をなすに足らざる小人なり。使用上注意すべき男也」との酷評もある。

1950年の戦犯解除とともに逃走潜伏中の記録『潜行三千里』を発表してベストセラーとなった。戦後は政治家に転身し衆議院議員参議院議員を歴任した。参議院議員在任中の1961年4月に東南アジア視察中のラオス行方不明となり、1968年7月20日に死亡宣告がなされた。

完全版『潜行三千里』を読んだ。連合軍支配下のタイを脱し、日中連携を企図して潜伏した。ラングーン、バンコクビエンチャン、ユエ、ハノイ昆明重慶、漢口、南京、上海と逃亡の旅を続けた。僧侶、商人、医者となり、幾度かの死線を超えている。中国における国民党と共産党の観察では、毛沢東の先陣訓「借りたものは返せ。買ったら払え。宿営は屋外に。強姦略奪は即時銃殺せよ」を紹介し、志気と戦意に格段の差があるとみている。

この本の最後に、「我等は何故負けたか」という辻の文章が載っている。死後に開封するようにと家族に宛てたもので、没後50年たってこの本で初公開された。大本営参謀がどのように敗戦の原因を総括していたかに興味があり読んだ。

1.国体の精華を発揮し得なかった(万機公論に決することができなかった)。2.官僚が政治を誤った(上級軍人の驕慢と低能なる官僚の独善)。3.外交を誤った(志那問題の不解決。ヒトラーのドイツと結んだ)。4.科学水準低く工業力薄弱だった(原子力研究の工業化が遅れた)。5.食糧の自給の不可能にあった(「腹が空いては戦争はできん」)。6. 陸海軍の対立があった(制度を凡愚が運用した)。7.天祐思想が蔓延していた(勉めずして神風という天祐を待つ心境の蔓延)。8.軍上層中枢部に問題があった(希望的観測と陸海の不一致)。

大本営参謀は軍中枢部であるのはずだが、上層部の責任となっている。半藤一利は実際に辻に会った後「辻は自分の責任を全く考えていない、絶対悪というものが存在するのならば、この男のようなものを言うのだろう」と厳しくみている。敗戦の原因が辻正信のいうとおりならば、とうてい総合力としての国力からみれば、戦争を起こすことはできるはずもなく、また勝つはずもなかった。 

潜行三千里 完全版

潜行三千里 完全版

  • 作者:辻 政信
  • 発売日: 2019/07/18
  • メディア: 新書
 

 

 

寺島実郎「日本再生論」第4回ーー「ウイルスとの共生」「専門性の誤謬」「全体知」「新しい産業社会」「時代を考える」

寺島実郎「日本再生論」第4回。東京」MXテレビ。20時から1時間。

「ウイルスとの共生」。覚悟が必要。withコロナ。新しい生活様式。常在菌は数百兆兆、人間は37-60兆。東大の山之内先生「ウイルスの意味」、ヒトに内在するレトロウイルス。チンパンジーと人間のDNAの違いは1.06%、コミュニケーションの分野。人間とは何か?

「専門性の誤謬」。コロナで8割接触減、42万人死亡、医療崩壊の危機。思考停止。新型コロナは感染力が強い、致死率は低い。7月中旬段階で死者は1000人未満。日本人の死亡の第3位はインフルエンザで3571人(2019年)。6月24日の専門家会議の廃止で総合知へ。専門知はオーバーリアクション。

「全体知」。今指導者に求められるものだ。般若心経。ハンニャハラミッタは完全なる叡智の探求という意味、全体知だ。五おん=色・受・想・行・識。色は外、後の4つは心の動き。五おんはつまり、全ては「空」だ。ゼロ、無限大につながる。

「日本のリーダー」。日本モデルのパラドックス、謎。司令塔は弱体だが、死者が少ない。PCR検査もやらない、やったのはマスク2枚と10万円。説明は4つ、中間層が厚い・公衆衛生意識が高い・自己防衛意識・偶然(運がよかった)。日本・韓国・中国は10万人あたりの死者が少ない。

「収束への展望」。100年前のスペイン風邪(1918-1922)の病原体は1995ねんに特定された。今回の新型ウイルスはすでに病原体が特定されている。エボラなどへの備え。国際連帯税など政策科学へとつなぐことが重要だ。「日経サイエンス」8月号がいい。

「日本のとるべき進路」。コロナが問題をあぶりだした。IMFの世界経済見通し。6月:世界マイナス4.9%。アメリカ・マイナス8.0%。ユーロ・マイナス10.2%。日本マイナス5.8%、これは10年前のGDPの水準。中国はプラス1.0%。アセアンはマイナス2.0%、インドはマイナス4.5%。

「株価だけが回復する不思議」。日米の株価はV字回復。緊急経済対策で市中にカネがあふれている。世界GDP81兆ドル、この1割以上を投入している。余ったカネが株に向かたt。これは後代負担になる。今後は「金融インフレ・実体デフレ」に向かっていく。

「日本」。世界におけるGDPシェア。1988年は16%、2018年6%。平成の30年で日本は埋没。円安誘導も影響。安きに流れた。中間層の厚みに変化!

ワーキングプア問題」。21世紀の20年で日本の貧困化がっ進行。製造業。建設業は412万人が減少。広義のサービス業は715万人増加。失業率は低い。広義のサービス業の年収は394万円で、91万(100万近く)低い。雇用者のうち年収200万円(生活保護水準)以下は全雇用者5995万人に対し1927万人で、32.1%。加えて生活保護は206万人。65歳上の年金世代は3600万人。こういった分配構造の変化の中で新型コロナ問題が発生した。

「気づき」。DX(デジタル。トランスフォーメーション)による生活様式の変化。リモート・オンラインでいいいという風潮。デジタルとリアルの融合! こコロナ禍で食糧パニックは起こらなかた。物流、ロジスチックス、スーパ=、コンビニ、EC、宅配のリアルの現場を支えた人たちのおかげだ。もっとリアルに目を向けよ。ふぁだメンタルズへの回帰。

。工業生産モデルだけではやっていけなくなった。2017年現在で、GDPは1次産業1.2 %(人口3.4%)、2次産業26.5%(人口23.8%)、3次産業72.3%(人口71.2%)。「生活・生命・安全・幸福」を見据えた産業構造へ。

「自分に何ができるのか」。医師会との連携。マスク、防護服、人工呼吸器の調査。マスクは8割が海外依存。こういうものは安全のために国内でも。工業でも医療産業、防災産業を重視。

「時代を考える」。芭蕉「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」。生身の認円、地頭。何ものも見逃さない感受性を大事に。

「番組の未来」。第5回は9月26日。国際関係。日本の社会構造。

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ジム:スイミング700m。

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 大相撲。

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「名言との対話」7月19日。吉良竜夫「どのような研究もその拠り所とする基礎科学のフィルターにかかる」

吉良 竜夫(きら たつお、1919年12月17日 - 2011年7月19日)は、日本生態学者。理学博士大阪市立大学名誉教授。

 京都帝国大学在学中に今西錦司梅棹忠夫らと大興安嶺ポナペ島調査隊に参加する。大阪市立大学在任中に日本各地、中国東南アジアの調査を行い植物地理学の研究に取り組んだ。温帯における植生分布を説明する指標として「温量指数」という考え方を提案した。植生の変化と気温の相関関係を表す指標である。

日本および世界における森林帯の気候区分体系の解明と確立を行うなど、いち早く生態学的な事象を地球規模で捉えるという広い視点を持ち、日本の生態学のその後の発展の礎を築いた。1982年 - 滋賀県琵琶湖研究所の初代所長に就任(1994年まで)。日本生態学会会長。初代日本熱帯生態学会会長。南方熊楠賞を受賞。吉良のコスモス国際賞受賞を記念して日本熱帯生態学会は1998年に「吉良賞」を創設した。

大阪市立大学で同僚であり、講義が死ぬほど嫌いであり、日本をよく留守にしていた梅棹忠夫の講義の代行をつとめていたそうだ。梅棹は兄のように慕っていた。

1976年発刊の『生態学入門』(梅棹忠夫・吉良竜夫編)では、 梅棹忠夫が「まえがきを書いている。生態学の体系化を目指した本で、卒業論文として人類学、比較文明論に踏み込んでいったとある。

生態学」について学んでみよう。 世界には3つの秩序がある。物理的秩序(物理科学)・生物的秩序(生物科学)・社会文化的秩序(社会・文化科学)である。物理科学と生物科学の間のフロンティアは生化学・生物物理学・分子生物学であり、生物科学と社会文化科学のフロンティアは生態学・生物社会学・動物心理学などである。

生態学のポイント。温度の高低と乾湿の度合いで植物生態系が決まる。草原ーマツ林ーカシ林と大型の群落に置き換わっていくというサクセッション(遷移)、最後は安定した群落に達するクライマックス(極相)になる。

「どのような研究もその拠り所とする基礎科学のフィルターにかかる」という吉良の言葉が残っている。梅棹忠夫の「文明の生態史観」は今西錦司が主宰する共同研究会で、川喜田二郎が発想し、吉良竜夫が綿密に計算し地図に描いた成果を会得した結果の成果だったのである。