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歴史と地理、そして立ち位置

この夏の父の七周忌のことを考えながら、たまたま衛星放送のチャンネルを回していたら、藤沢周平原作の小説をドラマ化した「清三衛門残日録」にあたった。父がこのシリーズをよく見ていたことを思い出しながら仲代達也のいぶし銀の演技に痺れた。残日とは「…

連載「団塊坊ちゃん青春記」第23話---私は今、エンスト中

一ヶ月ほど休んでいた連載を継続して書くことにした。以下、第23話は20代のロンドン駐在のビジネスマン時代のこと。

文章読本の比較ブログを発見--日垣隆・久恒啓一・樋口裕一・山田ズーニー

「はてな」を探検していたら、「文章読本」について比較して論じたブログに出会った。1974年生まれの人だが、私の本を含む4冊を俎上に載せて文章論を詳しく論じているので、面白く読んだ。「図で考えれば文章がうまくなる」(PHP)で「図解文章法」を提唱した…

「神道一匙 儒仏半匙ずつ」

先日亡くなった河合隼雄先生(京都大学名誉教授・文化庁長官)の本をぱらぱらと眺めていたら、いい言葉に出会った。河合はユング研究で有名な心理学の大家で臨床心理という分野の開拓者であるから、本の中に心理学用語がよくでてくる。また仏教についても造…

越後長岡の山本五十六記念館と河井継之助記念館を訪問する

長野から上信越道自動車道で黒姫などを通過し上越高田から北陸自動車道で日本海に沿って新潟方面へ向かい、新潟中央から磐越自動車道で会津若松を経て郡山インターで東北自動車道に入り仙台へ、というルートを走った。途中地震から一ヶ月の柏崎(原発からの…

信州の人物記念館の旅ーーー長野・松代・小布施

朝食後、善光寺を歩く。宗派にこだわらない寺ということで様々の宗派が渾然と同居している。「月影や四門四宗も只一つ」と詠んだ芭蕉の句碑があったが、一番わかりやすい。また一茶の「春風や牛に引かれて善光寺」という句碑もある。善光寺の近くにある長野…

信州の人物記念館の旅。ーーーまずは小諸と長野。

信州の旅。妻と二人の車の旅である。まず「はるかなる古城のほとり雲白く、、」で始まる島崎藤村の藤村記念館を訪問。記念館は小諸城址懐古園にある。藤村は小諸の小諸義塾での教師生活で7年間住んで代表作「破戒」を書き始めた。藤村先生は生徒の作文帳の…

今夏の旅の計画−−信州と函館

今年の夏は、信州と函館への旅を計画している。信州・長野では、池田満寿夫、佐久間象山、東山魁夷、島崎藤村、高浜虚子、北斎などの記念館や美術館を訪問する予定。北海道の函館では、高田屋嘉兵衛、川田竜吉、千代の富士・千代の山、石川啄木などの記念館…

「言論人よ、群衆と真剣に向き合え」(梅田望夫)−−中央公論8月号

中央公論8月号の「時評」で梅田望夫が「言論人よ、群衆と真剣に向き合え」という小論を書いている。ネット時代の「知的生産」を考えるために久しぶりに「知的生産の技術」(梅棹忠雄)を読んだ梅田は、1969年に書かれたこの本の主張の先見性に感動している。…

映画「マトリックス」---現実とは君の脳が解釈した電気的信号に過ぎない

映画「マトリックス」のDVD版を大学生の息子の介解説付きで観た。昼はプログラマー、夜はハッカーという二つの顔を持つT・アンダーソンは、エージェントという敵に追いかけられてモーファイスという人物に出会い、本当の肉体の存在する場所に連れて行か…

「はてな」

このブログを始めたのはプロ野球球団「楽天」が仙台を本拠地とするという話題で賑やかだった2004年の9月28日だったから、もうすぐ3年になる。それ以降毎日日記を書き続けてきた。今では私にとってなくてはならないものになったが不満もあり、機能やサービス…

「吉原手引草」(松井今朝子)

直近の直木賞をとった「吉原手引草」を読んだ。作者は松井今朝子、1953年生まれで早稲田大学で演劇学を専攻し、松竹で歌舞伎の企画制作を担当した後、フリーで歌舞伎評論など手がけ、小説家としてデビュー。出版社はヒット作品を生み続ける幻冬舎である。吉…

紳士服売り場のYさん、ウィルコムW03アドバンストes、ビデオ「春の雪」

私には計画魔のところがある。計画の無いところに実績は生まれないと思う。しょっちゅう、これから先の予定を考えている。「これから」には時間の長短があって、一生という長い時間や、数年先までや、この一年、そしてこれから4週間、などがある。今の関心事…

猛暑の東京で活動

東京で一日活動。東京駅に着いてもの凄い暑さに驚く。35度を超えていた。東京は亜熱帯になってしまった感がある。まず、根城にしている新丸ビルの21世紀クラブで出版社の編集者と企画の打ち合わせをする。一度会って意見交換し、企画案を何度かメールでやり…

「民業は信頼、官業は不信」---市民満足学会による大組織信頼度調査(12中央省庁・21業種)

理事をしている市民満足学会(日下公人会長)では、インターネットを使った様々な調査を社会調査を実施している。この学会は公共サービスの満足度向上をめざし調査研究を行い日本と世界に貢献することを目的とする学会である。学会の大会では、全国の病院の…

積小為大----「二宮尊徳 一日一言」から

二宮尊徳(1787−1856)のことは、小学生・中学生時代に二宮金次郎として先生から聞いていたし、本も読んだ記憶がある。昨日入手した「二宮尊徳 一日一言」をぱらぱらと見ていて、目に留まった言葉を記しておきたい。

FD全体会・共通教育部会を終えて、夜は浴衣を着て仙台七夕を楽しむ

FD全体会の第一部は東京工芸大学准教授の大島武先生。「ベスト・エデュケーター・オブ・ザ・イヤー賞」(全国大学・短大実務教育協会主催)で最優秀賞に選ばれた方だ。講演テーマは「最近の学生ニーズならびに学力低下と教育技術の改善」。私は朝食をとり…

今週は、全学規模のFD研修会(授業内容・教育方法などの組織的な改善)一色

毎年のことだが、8月の始めは全学規模で行っているFD研修会一色となる。FDというのは、教員の授業内容や教育方法などの改善・向上を目的とした組織的な取組みのことで、今年で4年目になる。宮城大学でも全学行事としてすっかり定着した。6日は、事業構想…

樋口裕一式「小論文の作法」−−太白オープンキャンパス

食産業学部のある太白キャンパスで講演をお願いしてる樋口裕一さんを仙台ロイヤルオアークホテルで拾って車で送っていく。学長以下幹部教員・職員に紹介。講演のタイトルは「小論文の作法」。200人ほどの高校生が集まった。

「図解コミュニケーションへの招待−−考える力を育むために」(宮城大学オープンキャンパス模擬講義を担当)

今年のオープンキャンパスでは、模擬講義を担当した。100人規模の教室だったが、8割がた埋まっていた。「図解コミュニケーションへの招待−−考える力を育むために」というテーマで50分の講義をした。付き添いの親が一番うなづいていたような気がするが、高校…

「日本人の自伝」(佐伯彰一)--内村鑑三・福沢諭吉・新井白石・松平定信、、

伝記と自伝は違う。人がある人物について評伝したものを伝記といい、その人物が自ら自分の人生を語ったものを自伝という。子供時代からリンカーンやワシントン、野口英世などの伝記はずいぶんと読んだ記憶がある。最近になって優れた伝記もいいが、本人自身…

地域共同研究発表会(宮城大学太白キャンパス)に参加

2年前にできた宮城大学食産業学部のある太白キャンパスで行われた「指定研究(地域共同研究)発表会」に参加した。今まで見学や会議などで数回このキャンパスを訪れただけだったので、今回は道を覚える目的もあって自分で車を運転して到着した。梅雨が明けて…

危機管理と機器管理との関係

もはやパソコンとインターネットがない生活は考えられなくなった。パソコンがウイルスやられたとき、持ち歩いているUSBの中身が立ち上がらなくなったとき、講演会の録音テープが切れたとき、携帯電話がうんともすんとも言わなくなったとき、デジタルカメ…

「何でもみてやろう」「ベ平連」の小田実(オダマコト)さんの思い出

小田実が亡くなった。1932年生まれだから、まだ70代半ばだった。世界を貧乏旅行して好奇心の赴くまま見て歩いた「何でも見てやろう」(1961年。29歳の時の出版。河出書房新社)という本が大ベストセラーになって、大学生のときに興奮して読んだ記憶がある。…

凡人・凡才・平凡

偉人の語録を集めている。書物を読みながら心に響く言葉を意識的にすくってきたが、大きな仕事を成し遂げた人物が自らのことを凡人・凡才と位置づけていることが多いことに気づく。一介の庶民から太閤にまで昇つつめた豊臣秀吉は「一職を得れば一職、一官を…

出処進退の美学

「自民 歴史的大敗」(朝日新聞)となった。今回の選挙は自民党の敗北であって、民主党は年金問題を中心とした敵失を選挙戦略を上手にとって生かしたものではあるが、必ずしも民主党の勝利であるとは言い切れない。それが新聞各紙のトップニュースの見出しに…

「結婚して良妻賢母型の人生を送ろうという女子学生にはこの学部では会ったことがない」

仙台ロイヤルパークホテルで野田一夫先生と二人で朝食を摂りながらじっくりと話ができた。今日は土曜日ではあるが、大学では4年生の総合研究の発表会があり、4つのグループの司会やコメントを担当した。前期の時間を就職活動の合間に集まって議論や資料の…

来仙中の野田一夫先生を囲む食事会

前期の授業の終わりにあたって学生や大学院生のいくつかの発表会がある。先日行われた1年生の基礎ゼミ発表会であり、本日の大学院修士論文中間発表会であり、明日の4年生の総合研究発表会である。修士論文中間発表には、修士論文を指導する教員や大学院2…

「教養主義の没落---変わりゆくエリート学生文化」(竹内洋)

1970年前後まで、教養主義は大学生の規範文化であり、常識であった。人格主義による人格形成とマルクス主義による社会改良を中核とする教養主義は、大正時代の旧制高校から始まり(大正教養主義)、マルクス主義による教養主義への敵対で滅ぶかにみえたが権…

会議の連続、これも「生涯の一日」である

朝早くからずっと会議の連続だったが、これも「生涯の一日」である。8時15分からは新たに発足した報道チームの初会合。各学部とそれぞれのキャンパスの事務局からなるチームのチーム長(広報担当学長補佐)として、メディア環境の整理と担当者リストの整備へ…