連載「団塊坊ちゃん青春記」第23話---私は今、エンスト中


他のブログサービスで続けていた連載を再開するので、
はてな」でも書くことにした。
以下、第23話は20代のロンドン駐在のビジネスマン時代のこと。

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私のロンドン滞在中に父と母が訪ねてきたことがあります。
そこで私は、シェークスピアの生地として有名なストラットフォードのあたり、つまりシェークスピアカントリーに二人を連れていくことにしました。

イギリスの田舎の風景は世界一美しいといわれています。すばらしく整備された道路、古いタイプの家々、古城、黄色に色づいた畑、時おりみえる美しい森………。車で出かけたのですが、私の車は、世界一ひどい車とでも呼ぶべきしろものでした。

毎日のようにトラブルがおこります。ストラットフォードを出て小さな坂にさしかかった時、さっきまでなんとか動いていたエソジンが完全にとまってしまいました。丁度、坂の途中でしたので、車は自然にゆっくりと坂をくだり名も知らぬ村の一角に到着。

しょうがないので母と私は、車を降りて救助の電話をかけにいきました。イギリスには、A・A(Automobile Association)いう名前の団体があります。この団体は会員制で、車のトラブルがあった場合の応救処置をしてくれるので大変助ります。

さて電話をかけて、「Help me please!」「Yes we can, where are you?」(わかりました、今どこにいるのですか)さて、「この村は何という名前かな」と道路標識をあらためてみようとすると、母が突然笑い出したのです。全くバカバカしいという感じのそしてみじめな笑い声です。道路の標識にはこう書いてありました。「Enston」。

そこで私は、「Help us, I am In Enston」と電話口で言いますと、母は更に笑いころげました。きっと母には、エンストに聞こえたにちがいありません。
全く、事実は小説よりも奇なり、ですね。

歴史と地理、そして立ち位置

この夏の父の七周忌のことを考えながら、たまたま衛星放送のチャンネルを回していたら、藤沢周平原作の小説をドラマ化した「清三衛門残日録」にあたった。父がこのシリーズをよく見ていたことを思い出しながら仲代達也のいぶし銀の演技に痺れた。残日とは「日残りて昏るるに未だ遠し」という意味だが、この言葉は過去と未来をつなぐ時間と現在の空間を取り込んでいて、味わい深い響きを持っている。


ふと父が私たち3人の子供に残したメッセージは何だったのだろうかと考え込んだ。いくつか思い出したのだが、その一つは「歴史と地理」という言葉だった。どのようなものも歴史軸(タテ軸)の中で深くとらえ、地理軸(ヨコ軸)の中で広くとらえる必要がある、と父が語っていた。学生の時代にはよくわからなかったが、最近になってそのメッセージの意味に気がつくようになった。


アメリカを知るためにヨーロッパを知らなければならない、とも言われる。アメリカを生む母体となったヨーロッパという視点は歴史的な意味を持っているし、ユーラシア大陸の鼓動を聞くという意味でのヨーロッパは地理的な視点を大切にせよとの意味を持っている。このことはまさに歴史と地理を踏まえよ、ということだろう。


思えば1903年に一高生の藤村操が「悠々たる哉天壌、遼遼たる哉古今」と書いて自殺した華厳の滝上の大木の遺書も、地理(天壌)と歴史(古今)のことを言っていたのだ。


そして「立ち位置」という言葉がある。立場という言葉との違いは何か。

「苦しい立場」、「私の立場では、、、」という言葉に象徴されるように「立場」は、受動的で積極的に使われることはない。いわば言い訳言葉として使われている。「立ち位置」には主体的に関与しようとする匂いがある。どこに立つかという選択をしたという潔さが感じられる。


大きさや時間の長さなどのスケールはその都度異なるが、プロジェクト、企画などを担当する場合、「歴史と地理」というキーワードを意識すると視界がぐっと開けてくることを経験する。立場を説明する発言は防御的になる。リーダーは自らの位置取りを説明しなければならない。必要なのは立場を説明することではなく、どこに位置をとるかという意志、戦略、決断、覚悟である。


志のある者は歴史と地理の狭間で自らの立ち位置を定めることに腐心したい。



                   (「月刊ビジネスデータ」の連載執筆。9月号)