ジュサブロー館

日本を代表する人形師・辻村寿三郎(1933年生まれ)の「ジュサブロー館」は、営団日比谷線・都営浅草線の人形町から徒歩一分のところにある。このジュサブロー館は、創作人形の常設展と人形制作のアトリエを兼ねている。入り口を入ると人形が館内に見えて独特な雰囲気である。

入り口の左には棚があって、仏像、うさぎ、町娘などの小さい人形が並んでいる。貝殻細工の一寸法師、浦島太郎などの昔話が面白い。シジミやハマグリの貝殻を使って動物、鳥、ネコ、鳥などをつくったり描いているが、どれも生き生きとしている。
縮緬(ちりめん)、指を伸ばして、、、」などの会話が聞こえてきた。受付と奥の洋風人形の展示室との間に、仕事場があって、そこに辻村寿三郎御本人が和服姿で座って、一心に人形をつくっていた。本人が仕事をしている記念館は初めてだ。弟子と制作の技術論を語っているのだった。

奥の部屋。右の脇には50センチくらいの高さの着物を着た日本人形がいくつか立っている。
正面には洋服を着た人形がミュージカルを演じたり、歌を歌っている様子の人形である。この部屋は8畳ほどの空間である。

靴を脱いで階段を昇って2階にあがる。戦国武将、侍、貴族の人形。吉原の花魁の人形。天狗の鼻を持ったお面、頬かむりした庶民。
「寿三郎のきものコレクション」の格子ちらし25.2万円よりで売っていた。振袖、付下げ、、。

着物姿の婦人の顔は、本当の肌のよう。

九代目団十郎の人形も見事だ。

小さな作品も多い。そろばん、コーヒーカップ、牛、風雷神、阿弥陀様、、、。

辻村寿三郎は、1933年(昭和8年)満州国に生まれた。広島の中学で演劇部に入部。
17歳で演劇サークル夕鶴の会では脚本、演出、美術、役者として活躍。舞台美術も担当。
22歳で上京。劇団人魚座の研究生になり人形を動かす技術を学ぶ。
23歳、藤浪小道具(株)で八百屋お七なおの衣装人形を出品。
27歳、創作人形制作を一生の仕事とすることを決意。
28歳、第13回現代人形美術展に2点が入選。以来入選を続ける。
30歳、「ブー・フー・ウー」のためのむいぐるみ人形を担当。
33歳、第18回現代人形美術展で「アルジェの少女」が特選
34歳、寺山修司脚本の「人魚姫」の人形制作
35歳、人形作家グループ「グラップ」結成
39歳、雑誌「芸術生活」に悪女列伝を連載。北条正子、、。
40歳、NHK連続テレビ人形劇「新八犬伝」の人形美術を担当し脚光を浴びる。
42歳、同じく「真田十勇士
43歳、文化出版局辻村ジュサブロー作品集」
44歳、芸術選奨「文部大臣新人賞」
45歳、自伝エッセイ「人形曼荼羅」。蜷川幸雄の王女メデイア、ハムレットのアートディレクター
46歳、NHK特別番組「辻村ジュサブローの世界・人形まんだら」
49歳、人形芝居「風流蝶花形」「化鳥」「海神別荘」で国内巡演。イタリア、フランスで上演
63歳、全国各地で人形展
67歳、辻村ジュサブロー辻村寿三郎と変更
71歳、酒田市に「さかた夢野の倶楽」オープン。

こうやって並べてみると、人形という一点に切り込んだ寿三郎の足跡も興味深い。

このジュサブロー館の開館時には、
「長年の夢がやっと実現しました。人形達の美術館は私の愛の結晶なのえす。私の夢というよりも彼等が欲しかった夢なのかもしれない」と述べている。「人形場、人の形をした小さなhとけさま」

ギリシャ神話、マリー・アントワネット、北条正子、、、など世界中のあらゆる物語を人形で表現しようとしているようだ。世の中の全てのものを独特の表現しようという意思を感じる。
人形をつくるにはモデルの人物像、歴史的背景などを調べる必要があり、辻村さんはずいぶんと歴史などの勉強をしてきたのだろう。次から次へと世界が現れて興味が尽きない仕事だったと思う。

一階に降りて「辻村寿三郎作品集」「寿三郎 作品集」を買おうとすると、御本人が「サインしましょう」といって現れた。そして話をした。つやもよく和服姿の和尚さんという雰囲気だ。
「体が丈夫だから、。いつまえ続くかわからないが続く限り、、。先日もロスに行ってきたばかり。外国人も関心が高い。戦国武将などは現在の暴走族と同じ。いろいろな材料を試してきた。使わないものはないくらい」
私の人物記念館の旅にも興味を示して「それは面白いでしょうね」といってもらった。人形制作も物語や歴史に登場する人物を表現することなので、共通の感覚があると感じた。

小さな小さな仕事場で朝からずっと人形をつくっている。小さな引き出し、、。ちょうど女性の小さな人形をつくっているところを見せてもらった。体を布で覆ってアイロンで貼り付けていく、、。
「顔の肌は縮緬(ちりめん)でつくる。」
「彫刻は彫っていくが、人形は中におがくずなお柔らかいものをつめてそれが膨らむ力を使って、力を出すのです」
「見る人が元気のでるような人形をつくりたい」

最後に人形師だから人形町に仕事場をつくったんですかという私の問いに「たまたまだったんえすよ。でもこの町の雰囲気に惹かれてきたのかなあ」と笑って答えてくれた。

このジュサブロー館は、しゃれた2階建ての洋風の外観だ、中は純和風のつくりだった。懐かしい不思議な雰囲気の館だった。