「東山魁夷展−詩と遍歴の山河」(東京国立近代美術館)

竹橋の東京国立近代美術館で行われている「東山魁夷展−詩と遍歴の山河」を観る。
1908年生まれの東山の生誕100年を記念する展覧会だ。代表的な本制作101点、スケッチ・習作53点で、過去最大の回顧展である。昨年の夏に長野市の長野県信濃美術館で東山の風景画を見て感動したのだが、今回は二十数点の代表作について、本人の解説を耳から聞くことができるのが良かった。制作の意図、そのときの心境、構図の説明、などが淡々と語られる。
特に印象に残った作品。
「道」。1950年。八戸の種差海岸。
「雪降る」。1961年。ブナの森。やわらかさを少し角ばって表現。
「映象」。真中に線が水平線、上下対象。常識を破る意図。
「冬華」。
「緑響く」。年の初めに今年描く題材を考えていた時に、モーツルトのピアノ協奏曲第二楽章を聴いていたときに白い馬が現れた。
「花明り」。
「桂林」などの墨絵
「白い朝」。雪景色の中の鳥。どこへどういう旅をしようかと思案している。
「夕星」。1999年の絶筆。すでに旅がかなわぬようになった。
タテとヨコの線を用いた単純な構図が多い。こういう単純な構図を使うには相当の力量が要求されると感じた。
圧巻は、唐招堤寺御影堂の障壁画だ。現実にふすまに描かれた姿の全体を観ることができた。「濤声」「揚州薫風」など。一つの作品は12枚の大小のふすまが合わさってできているという壮大な画である。左右6枚づつで、ふすまは中央によるほど大きい。こういう障壁画は、全体の構想がきちんとあって初めて一枚一枚の風景の断片が描ける。鑑真和上の生まれた中国、そして日本の風景を織り込んだ大きな仕事である。「無常と流転。流転とは生きているということ」。耳から流れてくる言葉からもこの絵描きの豊富な教養を知ることができる。平生からの信条は「生かされている」であり、この風景画家は天の声に従って日本の風景を生涯にわたって描き続けた。



東山魁夷展を観たその足で夕刻の雨の中を歩いて大手町の三井物産ビルに向かう。三井物産戦略研究所に寺島実郎さんを訪問。近況報告といくつかの案件を30分くらいで済ます。1980年に寺島さんが中央公論に書いた「われら戦後世代の坂の上の雲」を読んで衝撃を受けたのがこの人を知る最初機会で、それからまもなく本人と遭遇したことなどを思い出した。
寺島さんの柄の大きな超人的な活動を図にしようと試みているが、政界・官界・財界・学界・言論界という現代の5つの権力にそれぞれ確固たる基盤を築き、まっとうな議論を展開する全体知をまとった姿が浮かび上がってくる。10年近く前に図を描いたことがあるが、大きな進化を遂げていることがわかる。今回は、そういうことも含めていくつかの案件に意見を求められた。

その後、神田小川町にある酒店・神田和泉屋さんを久しぶりに訪問する。15年前に日本航空が日本酒の精華である大吟醸をファーストクラスに搭載するプロジェクトがあり、そのときシンセサイザー富田勲先生と一緒に走り回ったときから、この神田和泉屋さんとの付き合いが始まった。日本酒の学校をやっていてすでに卒業生は2000人を超えたとのことだ。一期が10数人で、もう20年近く続いている。私もアル中学(アルコール中学)、アル高校、アル大学と進み、学歴だけは大学卒という肩書きを持っている。横田校長とおかみさんに東京への転居のご挨拶。この日は、アル中の今年最初の講義日である、またおかみさんの料理教室の最初の日といういい日だった。このため、アル高校同期の加藤さんと会うことができた。アル高校同期生との同期会を開いてくれることになった。この神田和泉屋の二階は「くら」という店になっていて、日本最高の酒と素晴らしい料理が楽しめる。同行の妻と日本酒と料理を堪能する。
運勢によると、今年は「再会」の年だった。さまざまな形で友人たちと再会ができるようになるのは楽しみだ。