旧多摩聖蹟記念館(明治天皇)

k-hisatune2008-05-03

聖蹟桜ヶ丘という京王線の特急停車駅がある。桜の木が多い街だが、なぜ「聖蹟」という言葉が上についているのだろうか。
駅から車で五分ほど走ると、名門・桜ヶ丘カントリークラブが見え、そこを左に曲がると都立桜ヶ丘公園に到着する。多摩丘陵と呼ばれた自然を身近に感じることができる公園である。桜で有名だが雑木林が保全されていることもあって、5月の連休の緑は実に素晴らしい。四季折々、木々や花、野鳥が観察できる。
入り口から少しのところに、明治天皇御製の碑があった。「正二位勲一等伯爵 田中光顕 謹書」とある。田中は元宮内大臣
 春の半頃山ふかく狩しける折に鶯の鳴くをききて
  春ふかし山の村にきこゆなりけふをまとらはむ鶯の声
昭憲皇太后御歌
  兎とる網にも雨に日にぬれてみけしを思いこそやれ
  春もまたさむきみやまのうぐいすはみゆきまちてや鳴きはしめけむ

この公園は、3つの雑木林の丘で構成されていて、その中でも一番高い「大松山」の頂に旧聖蹟記念館がある。ここには明治天皇が30歳の頃に兎狩(うさぎがり)や鮎漁(あゆりょう)に4回ほど訪れている。その行幸を記念して聖蹟という名前の記念館が建った。明治天皇の顕彰運動に取り組んだ田中光顕は1930年(昭和5年)に多摩聖蹟記念館を建設する。昭和初期の珍しい近代建築であったこの建物は、貴重な文化財として改修され今日に至っている。円形のドーム状をしたこの記念館は関根要太郎という人物が設計している。関根はオーストラリアのゼセッション(分離派)やドイツのユーゲントシュテインの影響を受けた。397.17ヘーベのこの記念館は現在は多摩市の有形文化財の指定を受けている。
ホールの中央に明治天皇牙騎馬像がある。愛馬・金華山にまたがった明治天皇の御英姿で、1881年(明治14年)の連光寺行幸をモデルにつくられた。高さは3メートル25センチある。
この騎馬像が唯一の明治天皇関係である。騎馬像を丸く囲むように常設展示があり、田中光顕(1843年土佐生まれ)が収集した幕末から維新にかけて活躍した人物たちの掛軸・書状などが展示されている。田中は坂本竜馬海援隊でなく、京都を中心に活躍した陸援隊の一員で、維新後は1898年から11年間にわたり宮内大臣をつとめ明治天皇に仕えた。退官後は「聖蹟」を記念する運動に取り組みこの記念館以外にも、高知の青山文庫、大洗の常陽明治記念館もつくっている。
収蔵物の一覧を見ると江戸末期から明治にかけて活躍した偉人の名前が並んでいる。1800年生まれの徳川斉昭、1809年生まれの島津斉彬、1811年生まれの佐久間象山1827年生まれの西郷隆盛1830年生まれの大久保利通1830年生まれの吉田松陰1833年生まれの木戸孝允、1835年生まれの坂本竜馬、1841年生まれの伊藤博文など。
常設ギャラリーの外側はギャラリーとなっており、個展や展覧会などが催されている。また多摩市内で見られる植物写真展示もある。その一角に喫茶サロンもあるようだが、サービスはしていないようだった。
明治天皇田中光顕、そして多摩の植物展示など、焦点が定まっていない感じを受けた。明治天皇記念館でもなく田中光顕記念館でもなく、多摩植物展示館でもない。風格のある建物だけに惜しい気がする。
多摩市教育委員会の資料によると、「明治天皇行幸を記念する建物」から「桜ヶ丘公園を訪れた人々の憩いの場」と変化したということだ。京王線聖蹟桜ヶ丘という駅の名前も、この記念館からとっている。前は関戸駅という平凡な名前だったが、新しい名前は歴史や由緒Pを感じさせ、この街の発展に寄与したのだろうから、もっと大事にしてもいいという印象を持った。