芥川賞受賞作「時が滲む朝」(楊逸・ヤンイー)

1989年に起こった中国で天安門事件は、民主化を求める学生や市民のデモ隊が武力弾圧された事件として、その戦車部隊の映像が強く記憶に残っている。
在日中国人・楊逸(ヤンイー)の「時が滲む朝」は、この天安門事件の前年の大学入試の場面から始まり、北京オリンピックの前夜である2001年の主人公たちの再会で終わる。中国民主化勢力の群像の青春とその蹉跌の物語である。
主人公は、高校の同級生である浩遠と志強、美人活動家の英露、そして大学の若き教授・甘先生である。浩遠らは甘教授らの指導のもと、遠い北京のデモと呼応して民主化の動きの中に入っていく。しかし、天安門で中国指導部は武力による弾圧を行い、この映像が全世界に流れた。
貧しい農村の様子、大学の学生たちの動き、若い彼らの心をつかむ尾崎豊の歌と姿勢への共感、など青中国の春群像の成長や葛藤が描かれる。浩遠と志強は市民との口論から始まった乱戦で、傷害罪と器物損壊罪で三ヶ月の拘留となり、大学からは退学処分となった。
その後、浩遠は日本へ、志強は中国に残り、甘先生はアメリカへ亡命する。
それから10年ほどたって、彼らは日本で再会する。志強は小さなデザイン企業を率いるデザイナーとしての来日である。浩遠は日本で働きながら中国民主化運動に長くかかわっている。久しぶりに会った甘先生はフランスで研究員をしながら革命の夢を追っている。英露はフランス人との結婚、離婚を経て、色褪せた感じで今は甘先生の妻となっていた。
甘先生は、そこで意外な決意を口にする。「辺鄙な田舎にでも行って、小学校の先生になる覚悟だ」。妻が亡くなったときの子供からの手紙を見せる意。「、、妻も息子も顧みることが出来ない、そんな人が国を愛せるのだろうか」という手紙だった。
浩遠は息子の民生から「ふるさとって何}」と聞かれ、「ふるさとはね、自分の生まれたとこと、そして死ぬところです。お父さんやお母さんや兄弟のいる、温かい家ですよ」と答える。それに対し、息子は「じゃ、たっくんのふるさとは日本だね」と応じる。浩遠は息子の顔を見つめ、微笑むしかなかった。
1957年の「反右派運動」に巻き込まれ北京大学から西北の農村に下放され苦労を重ねた父、地元の名門大学に入りながら退学処分にあい異国で働く自分、そして民主化運動をからとった民生(たみお)という名前を持つ息子の困難を予想させる未来を暗示しているようだ。
この作品は第139回芥川賞を受けた。日本語を母国語としない人としては初めての受賞である。「抑抑揚揚」というような言葉遣い、「而立の年」をいきなり使うなどいくつか日本人の使わない表現はみられるが、淡々とした筆遣いで、ここ20世紀末までぼ中国の様子や中国人の心の動きがよくわかる小説となっている。
今世紀に入っての中国の経済的躍進はこの本のなかでは描かれていない。浩遠は2008年の北京オリンピック招致の反対運動をしているのだったが、今まさに開催されているオリンピックをみてどのような心の動きになるだろうか。
中国は北京オリンピック、そして2年後の上海万国博覧会を経て、どのような姿になっていくのだろうか。実に興味深い。
この小説は、私たちが大学時代に読んだ柴田翔の「されど我らが日々」や村上春樹の作品などに近い感覚を受けた。