金田一春彦記念図書館「ことばの資料館」−−−春風秋雨是人生

k-hisatune2008-09-22

正式には北杜市立中央図書金田一春彦記念図書館。中央高速道の長坂インターから少し走るとこの図書館に着く。
東京本郷で生まれ、日本語研究の第一人者といわれ、全国のお茶の間で親しまれた金田一春彦(1913−2004年)博士の記念図書館は、意外なことに山梨県にあった。山梨県八ヶ岳南麓に魅せられた、1965年8月52歳のときに、旧大泉村中西悟堂にすすめられて2000坪余の土地に別荘「泉岳荘」を建て、それ以来山荘で死去するまでこの地を愛した金田一春彦は、「ここに自分の蔵書が残り、篤志家たちに活用される図書館ができるなら」と1998年に、主として方言に関する2万冊余の本を「金田一春彦ことばの資料館」に寄贈する。市町村合併でできた北杜市の一周年を記念して建てられた図書館が、記念図書館となった。

石川啄木と同郷の言語学金田一京助を父に持つ春彦は、府立六中、浦和高校を経て東京帝大文学部国文学科に学ぶ。名古屋大学東京外国語大学上智大学で教鞭をとった。傍らNHKで日本語についての番組に多く出演する。NHK用語委員、NHK放送研修センター評議委員、日本ペンクラブ理事、(株)シャープ顧問、国語学会代表理事、東洋音楽学会副会長、図書館協議会会長、日本琵琶楽協会会長、波の会副会長、方言研究で犯罪捜査に協力、本居長世を慕う会会長、ユーフォニック合唱団顧問、日本レコード大賞選定委員、、、、。こういう経歴を見ると、単なる学者という枠にとどまらず、多彩な興味と行動力、そして誰からも敬愛される人柄であったことがわかる。

図書館をの入口を入って最初に金田一春彦に出会うのは金田一春彦博士メモリアルコーナーである。この人物に関する様々な資料が並べられている。春彦は「いつか記念堂を建てようと考えている。それで死ぬことに対する寂しさがかなり紛れると書いていた。
「紫に映ゆる山脈 いや高き雪の霊峰」で始まる山梨県甲府高校の校歌の作詞(作曲は芥川也寸志)、大泉村歌の作詞などをしているが、若いころは作曲家になりたかったため本居長世のもとへ通ってもいる。ちなみに「金田一春彦音頭」というものがあり、作曲は金田一春彦となっていた。図書館の前の道は、金田一春彦通りと命名されており、この地の人々にいかに愛されたがよくわかる。

図書館の奥に入っていくと金田一春彦ことばの資料館と日本の方言コーナーがある。日本の方言コーナーでは、1952年以降NHKが採取した博士監修の全国方言ライブラリーがあり、生の方言が聞ける。私の故郷の近くの大分郡庄内町の言葉を聞いてみる。朝のあいさつ、夕方のあいさつ、買い物、見送りなどのシーンが採録されている。「、、シチョクレ」など人にものを頼む時の言葉など懐かしい素朴な声が聞こえてくる。最初はなかなかわからなかっが、数回繰り返してきくと私の脳に奥深く眠ってた記憶が蘇ってくるようだ。

隣の金田一春彦ことばの資料館には蔵書が整然と並べられている。どんな本を読んでいたのかと著者名を見ていく。北原保雄「問題な日本語」、外山滋比古「日本語の論理」、大野晋斎藤孝橋本治鈴木孝夫池田弥三郎和田秀樹「国語力をつける勉強法」、小泉文夫なかにし礼服部良一本多勝一渡部昇一竹内均などの名前があった。やはり日本語や方言に関する図書は充実している。日本語、ことば、方言、ことわざ、音楽関係というように分類されている。

85歳の時に書いた「春風秋雨是人生」という博士の座右の銘も目に入る。

座右の銘    「春風秋雨是人生」
好きな場所    書斎、八ヶ岳の別荘
永遠のライバル  父、金田一京助
好きな花     アネモネ、二輪草などきんぽうげ科の花
特技       アブを素手でつかまえる
身長体重     身長165センチ、体重60キロ


平成3年の年賀状は1200枚を超えるなど交際が広い。また方言の採集カードは、父京助の会葬礼状の裏を利用している。第一回有名人カラオケ対象では最優秀歌唱賞を小泉総理と競ったこともある。あの笑顔でわかるように実にきさくな、おおらかなな人だったらしい。

博士は91才という長寿であった。