梅田望夫「シリコンバレーから将棋を観る―-羽生善治と現代」

充電中の梅田望夫さんが、「シリコンバレーから将棋を観る--羽生善治と現代」(中央公論社)という本を書いた。
2008年は将棋という趣味に没頭できた最高の一年だったと述懐しているように、この本は結果的に羽生善治を代表とする日本の若い棋士たちの頭の中を探検し、優しく鋭いまなざしでその世界を描いた好著となった。

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未来をイメージし、そこに向けての第一歩を踏み出している「ビジョナリー」たちの言葉に耳を傾け、未来の姿を考える、それが梅田の仕事であるが、今まではIT時代の最先端を走る人たちを追いかけてきた。今回は、日本の伝統文化の中に生き、もっとも日本人らしい生き方をしている棋士という若き人々の物語である。

将棋界最高のビジョナリー・羽生は、「知のオープン化」と「勝つこと」というインターネット時代の思想を体現している。自らの頭脳ををオープンにさらけだし、その上でライバルたちと一緒に手を携えて高い嶺に登ろうとしている。それは、自らの「創造力に自信を持つリーダーの姿である。

将棋の世界は、羽生善治を先頭として、佐藤康光深浦康市渡辺明ら羽生の好敵手たちとの共同作業によって新しい地平を切り拓きつつつある。彼らは敵というより、同志だった。

梅田は、偶然と必然に導かれながら、タイトル戦をじかに観察する機会を与えられる。
奥の深い将棋の世界にとりつかれている度合いが並外れていて、それが天才の中から抜きん出るということである。勝者も敗者もない、科学者が真理を追求する姿があった。シリコンバレーの技術者集団に似ている、、、。などさまざまな観察が述べてあり、読者として十分に楽しめるのだが、棋士たちの素顔を描いた記述が印象に残った。

「とにかくまず、おそろしく頭がいい。地頭の良さが抜群で、頭の回転が速く、記憶力もいいから、話が面白い。自信に満ちている。会話の中で、相手の真意を察する能力にも、びっくりするほど長けている。だから会話がスムーズむ運んで心地よい。そして組織人とはまったく違う。そして技術者、芸術家、学者とも違う、不思議で素敵な日本文化を身体にまとっている。ときおり無頼の匂いがする。宵越しの金は持たぬという職人気質も見える。しかし礼儀正しく、若くても老成した雰囲気がふっと漂う瞬間がある。物事に対してすごくまじめで、何事も個がすべてだという感覚が当然のごとく人格にしみこんでいて、自分で物事をさっと決めてその責任を引き受ける潔さが、何気ない言葉の端々からうかがえる。時間的な制約にとらわれない生活をしているせいか、酒飲みが多く、遊ぶことにも貪欲だ。凝り性なのだろう。趣味や遊びに対しても、持ち前の記憶力で細部にこだわる風がある。そして、将棋や将棋界を愛する人たちを大切にする気持を彼らは心から持ち、将棋を通して人々と深くつながっていくことができる。」

ビジョナリー・羽生との対談では、こころを許した友人同士の節度ある交流の中で、本質に迫る議論が展開される。
「将棋って、最初から最後までずっと流れ続けていくものですよね。」「ねじり」「曖昧模糊さ、いい加減さを前に、どれだけ普通でいられるか」「可能性を極力残しつつ、残しつつ進めていくのが大事な要素となる、というのが、私の経験則ですね」「どこかやっぱり、他力本願的なところがあるんですよ」「一人で完成させるのではなく、制約のある中でベストを尽くして他者に委ねる、そういうものだと思いますね」「ある種、学術的な感じもするときがあるんです。棋士の人たち、ゲノムなんかの解析をやっているんじゃないか、と思うときもあります」

羽生はリラックスして、梅田の質問に喚起されて、引き出されている感じがする。対談相手しだいで語る内容が深まる、あるいは普段考えていないような世界を自分の言葉で語ることがある。対談も実は将棋の対局に似ている。だから、羽生も相手との対話の中で、楽しみながら創造の世界に入っているのだろう。

梅田の書いた佐藤と羽生の竜王戦のリアルタイム観戦記には、実に7600万のアクセスがあった。この観戦記について羽生は、梅田さんも対局してたという表現を使っていたが、その通りだろう。この趣味の世界を相手にするときも流儀を変えず、全力で散りくんだことがわかる。本来「充電」とはこういう形なのだろう。

  • 私のPCには、将棋年鑑のデータが一万4567局入っている。
  • 対局場で観戦しながら思い起こすかもしれない素材をすべて、ウェブ上の私のプライベート空間に、事前にぎっしりと敷き詰めておくことだった。
  • 私は、対局の一か月前から、二人の対局者の過去の著作、「将棋世界」過去十数年分のバックナンバーの中で二人が語っていた言葉、現代将棋をめぐるさまざまな言説などから、これぞ「肝」だと感じた箇所だけすべて抜き書きし、ウェブ上のプラべート空間に筆者し、観戦記執筆時点でアクセス可能な脳の外部記憶装置を準備した。それが私の用意した「構え」であった。
  • 今回の私の挑戦は、インターネットの特性そのものとも言うべき「リアルタイム性と分量無制限」という二つの優位にこだわって、その優位をどこまで活かしたものが書けるのかを試してみよう、という実験でもあった。
  • ちなみに私は、将棋の本や雑誌を読んで感動した部分があると必ず筆写して、ネットの「あちら側」に置いてある。だから必要なときにすぐ引用できる。それがパリからであっても。)
  • 僕は毎朝だいたい午前4時くらいに起きて、まず昨日一日のうちに世界で何が起きたかを勉強するわけですよ。
  • 本業のほうは、将棋のおかげでいい仕事ができています。他にはたとえば、絵を見ることもよく似ています。

私たちの知らない世界がある。その世界をさらに豊かにするためには、なかなか垣間見ることができない閉じられた世界を内部からこじ開けようとする人と、その世界を外部から覗き込もうとする人が必要だ。内部の人は羽生で、外部の人が梅田である。
内部の第一人者と外部の優れた観察者が出会ったという偶然には、必然を感じる。こういう出会いによって、将棋界はもちろんのこと、日本人の精神世界も広がりと深さを獲得するだろう。日本にはこういう伝統文化が数多くある。そういう資源の掘り起こしが、大切な時代になった。

私自身には「リアルタイム」と「対話」というキーワードも頭に残った。