「「覚えた」のではなく、「理解」することができました」

k-hisatune2009-09-01

昨年から始まったJR東日本での「若手社員社外セミナー修了者のためのセミナー」を、本日の午後からまた開始する。ここ数回は昨年の受講者が対象。

横浜支社、八王子支社、大宮支社、高崎支社、水戸支社、千葉支社、仙台支社、盛岡支社、長野支社、から総計63人が集まった。職種は、運転士、輸送指導、車掌、営業指導、車両技術、事務、施設技術、といいたところだ。同じ運転士でも、主任運転士、運転士、運転士見習と職階が違う。

前回を基礎編として、今回は応用編としてプログラムを組み立ててみた。「グループの経営ビジョン」を題材として使ってみるという趣向で、与えられた時間との関係で、受講者にはややハードだったかもしれないが、アンケートの感想は面白かった。その部分のみ以下ピックアップ。

  • 難しい作業だったので頭を使いましたが、やていくうちに自然と内容を理解していったので変な感じでした。
  • まさかグループ経営ビジョンを題材にするためとはびっくりでしたが、とてもよかたっと思います。試験勉強で読んだつもりでしたが、ほとんど記憶になかった。
  • ここまでじっくり読んだことはなかったんでよい機会でした。昇格試験の勉強にもなりよかった。
  • 最後にはグループ経営ビジョンが分かりにくい資料に見えるようになってしまった
  • 今までは流し読み程度だったが、今回は中身が理解できた。
  • 何度も読んで考えるので内容を深く知ることができた。、、自分なりの考えを持つことができた。
  • ゲーム感覚で作業をすすめることができた
  • 応用編にふさわしいお題だった
  • 理解できた部分に関しては、さらに具体的施策はどうなんだろうとさらに一歩進んだ疑問も生まれるようになった
  • こんなに熟読しなければならない時間を与えてくれた事に感謝しています。
  • 内容をしっかり理解できたと感じました
  • 本当に自分が内容について無知であった事を痛感しました。ひとつひとつのつながりが見え、面白かった。
  • 内容を「覚えた」のではなく、「理解」することができました。

終了後、少し懇親会にでて、知研の八木さん、近藤さん、杉沢さんと新宿で待ち合わせて、「政権交代」をさかなにして、なごやかに飲んだ。

西田幾太郎記念哲学館・銭屋五衛兵記念館・中川一政記念美術館

昨年金沢で加賀友禅作家の久恒俊治さんと知り合いになり、今回は奥様と娘さんが、私の「人物記念館の旅」につきあったていただいた。

宇ノ気にある西田幾太郎記念哲学館。入り口がわかりにくく、中も迷路のようになっていて、案内板の情報も少ない。おかしな造りだなと感じてスタッフに誰の設計かと聞くと、安藤忠雄さんですという返事だった。わざとわかりにくくして、考えさせようという魂胆だったのだ。西田幾太郎(1870-1945年)の思想体系は、「西田哲学」として名高い。「いくたろう」と思っていたが、、「きたろう」が正しいことがわかった。

次に、宮腰の銭屋五衛兵記念館。五衛兵(1773年-1852年)は加賀藩の財政に大きな貢献をした豪商で、「海の百万石」と言われた傑物である。39才から海の商いに入り、廻船で大商いをし、すぐれた経営手腕を発揮した人物である。この人は桐生悠々「銭屋五衛兵」、海音寺潮五郎「銭屋五衛兵」、舟橋聖一「海の百万石」、津本陽「波上の館」などの小説に描かれている。陰謀にかかり、80才で獄死するという数奇な運命。

そして、小松の中川一政記念美術館。中川一政(1893−1991年)は、「駒ヶ岳」などの作品で著名な画家で97才という長寿だった。「中川一政 いのち弾ける!」という本を買った。絵もいいが、言葉もいい。「門の中にはいっているのが専門家」「はいって出られないのが専門家」。「若い時の勉強は、何でもとりいれ貯めることである。老年の仕事は、いらないものを捨ててゆくことである」「すて去りすて去りして、純粋になってゆくことである」。「画の勝負は美しいとか醜いいというかいうものではない。生きているか、死んでいるかが問題だ。美しいようにみえて、死んでいるのがある。みにくいように見えて、生きているのがある。」

訪問記は、後に詳しく書く予定。以上3館を巡り、今までの人物記念館の



訪問累計は、299館となった。歴史的な300館目は、誰にしようか、、、。