「今年はどういう年だっただろうか?」−−大晦日の今年の総括

k-hisatune2009-12-31

仙台の宮城大から東京の多摩大に移って2年目。今年はどういう年だっただろうか?

学部と大学院での講義とゼミでは、今年から始まった寺島学長のインターゼミ(社会工学研究会)は難しい運営だったが、メイン担当としての立場で努力をし、かなりの教育成果を確認できたと思う。http://www.tama.ac.jp/guide/inter_seminar.html学部のゼミでは図解技術の習得と多摩地域活性化プロジェクトにも参加してもらうなど今後のゼミ運営のベースができた。学部の二つの授業、大学院の二つの講義とも順調にこなすことができた。

職場では2年目に入り、責任の重い職責に就き、1年目とは違ってそこそこに忙しくなってきた。学内では四半世紀以上付き合いのある寺島学長を補佐して学内運営に力を注いだ。http://www.tama.ac.jp/guide/president_room.html大学開学20周年を機に教育理念が「現代の志塾」に決まったが、そのコンセプトで大学の顔ともいうべきホームページを作りなおし雑誌からは「唯一無二のホームページ」との評をもらった。http://www.tama.ac.jp/
また、学外に向けては北矢行男先生の後任として多摩大総合研究所を預かり、地域に関する仕事をこなす中から、人的ネットワークも広がってきている。http://www.tmuri.jp/

知的生産の分野では、単著5冊、共著1冊、編著1冊、翻訳2冊と、計9冊を世に出したから、まずまず順調に仕事をしたということだろう。30代初めに共著を初めて出してから、気がついたらいつの間にか著作の数は年齢を超え、今年で90冊を超えてきたのは不思議な感じがする。http://www.hisatune.net/html/02-kenkyuu/tyosaku/index.htm

「人物記念館の旅」は今年は53館を訪問し、5年間の累計で300館を超えた。この蓄積から今年は2冊の著書を刊行でき、今後の著作の方向が見えてきた。http://www.hisatune.net/kinenkan/kinekan_list.htm

30歳で入った「知的生産の技術」研究会は、2001年にNPO法人知的生産の技術研究会http://tiken.org/となった。今年は、東京に戻って2年目になり、このNPOの現状と問題点を把握したので、問題解決のために大型プロジェクトを仕掛けてみた。現代を疾走する知的生産者21名を取材し、彼らの知的生産の秘訣をまとめるという仕事である。人材の発掘と育成、そして財政再建がこのプロジェクトの目的であったが、12月24日に発刊された「知の現場」という本を手にし、またもう一つの同様のプロジェクトも3月には形になる予定であり、組織の活性化により「人材と財政」という二つの目的を達成しつつあると考えている。http://tiken.org/tinogenba/

ウェブ時代をゆく」という意味で、1999年から始めたホームページ以降、メルマガ、ブログ、Twitterというメディアに挑戦を続けている。メルマガは700号を突破、ブログは始めた当初の目標であった松井秀喜の連続試合出場記録1768という数字を超えて、1900日以上連続記入の記録を更新中である。また、最近話題のTwitterを始めて900を超えるツイーットを発し、フォロー数も560を超えてきている。そして外出時は愛用のアイフォンを駆使しながらIT時代に何とかくらいついてきた。こういう分野は若い世代にはかなわないが、「同世代のトップを目指す」という私の戦略に沿って活動中である。http://www.hisatune.net/

多摩川沿いから、多摩ニュータウンの一角に引っ越してちょうど丸一年が経った。至近距離にある長池公園の四季の自然を愛犬との散歩時に堪能している。散歩時にはデジカメを必ず持ち、美しい花や魚や亀などの様子など四季の微妙な移り変わりを撮影して、ブログにアップしている。ちなみにブログには、写真だけでなく動画もアップできるようになった。

東京に来てからゴルフにはすっかり縁遠くなってしまったし、ウオーキング、スイミングなどもできなくて、健康面で、この点は大きな反省の残る一年だった。http://www.hisatune.net/html/05-career/private/private.htm

家族については、懸案事項や進路問題なども何とか方向が決まりつつあるというところだろうか。
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今日の一枚(写真)は、研究室から望む富士山。