九重でスキー、「坊がつる賛歌」を思い出す

k-hisatune2010-02-20

朝10時に内尾君が車でピックアップに来て、九重へ。1時間半で九重スキー場。スキーの4点セットを借りて、いざゲレンデへ。
九州に二つ三つあるスキー場の中では、一番広いゲレンデだそうだ。
最初は初級用のなだらかなゲレンデで数回練習。スキーは10年ぶりくらいなので、慎重に慣れていく。しかし、我慢できずに中上級用の
コースに挑戦することにした。「案ずるより生むが易し」で、体が覚えていて、何とか滑り降りることができで、自信が復活してwきた。
スキー場では一番いいと言われているコースで、ずいぶんと混んでいた。宮崎、福岡、鹿児島、熊本、大分と九州全域から
スキーヤーが集まっていることが、車のプレートからわかる。リフトで隣に座った人は、福岡の津屋崎から2時間かけて来ていた。
先週は東京出張で一日休みをとって湯沢で楽しんでいたそうだ。

終わって、近くの星生(ほっしょう)温泉へ向かう。天気が抜群によくて、大船山、三股山、そして九重が全部見えた。こういう日は珍しいのだそうだ。三股山をまじかに眺める
温泉で体を癒す。外に出て硫黄温泉の露天風呂に入る。

温泉に浸かりながら、探検部時代に「三股山」の歌詞の入った「「坊がつる賛歌」を思い出した。
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九大探検部時代の先生であった松本征夫先生の名前がみえる。そうか、替え歌の作詞は松本先生だったのか!合宿でよう歌わされた名曲だ。
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この歌は昭和15年 神尾明正作詞 竹山仙史作曲による元広島高等師範学校(現広島大学)山岳部の部歌として誕生しました。その後の昭和27年夏、坊ヶツルに滞在した九大生の松本征夫、梅木秀徳、草野一人の3氏がこの曲にあわせて、9連からなる「坊がつる賛(かえ)歌」を作詞します。さらにその原曲を野田宏一郎氏が編曲し、九州各地の山岳会や山仲間の間でまたたく間に広まってゆきました。まさにクチコミですね。山男たちは、山の一夜キャンプの火を囲み、語り合い、笑い合い、時には涙しながらこの『坊がつる賛歌』を歌ったのでしょう。
さらに、昭和53年に歌手の芹洋子さんの歌声でNHKの「みんなのうた」に登場し大ヒットとなり、全国的にも知られる九重を代表する歌になりました。 哀愁を帯びたそのメロディーは、すばらしい詞を得たことにより、歌う人、聴く人の心に深い感動を与える名曲として、今も愛され歌い継がれています。

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そして深耶馬の深瀬屋というのお薦め蕎麦屋へ向かう。ビールと日本酒を飲みながら名物の蕎麦を堪能する。内尾君といろいろなことを
語り合う。こういうゆったりした時間は学生時代以来ではないか。

夕食は母親と行きつけの焼肉屋で食事。