石井桃子展−−「こどもの目で、おとなの技倆で」児童文学の100年

k-hisatune2010-02-28

行きつけの世田谷文学館京王線蘆花公園駅)で、「石井桃子展」が開催されている。石井桃子(1907-2008年)は、児童文学の第一人者であるが、本人の名前は知らなくても、この人のつくった本を見ていない人はいないだろう。児童文学では作者は読む子どもにとっては関心はない。「ノンちゃん雲にのる」「熊のプーさん」「「うさこちゃんとうみ」など編集、翻訳、創作した児童向けの本は生涯で300冊ほどになる。

石井桃子の年譜を書き写していて、あまりに長いのでメモを途中で諦めた。30才前後から100才まで、実に70年間にわたって間断なく本を出し続けているのだ。90才を超えて「熊のプーさん」の作者、A・Aミルトンの自伝の全訳にとりかかり、5年をかけて2003年に「ミルトン自伝 今からでは遅すぎる」を96才で完遂する。
次にエレーナ・エスティスの「百まいのきもの」の全面改訂に着手し、2006年に刊行。このとき99才!
長い長い現役の時代。実に見事な人生だ。

  • 「こどもの目でおとなの技倆でその人はそれを書きはじめる」
  • 幼いうちは、形や絵で物ごとの実体をはっきりつかみ、物の考え方の基礎をかためながら、どんどん文字の世界にはいっていくことがぜひ必要なのだ。
  • 五歳の人間には五歳なりの、十歳の人間には十歳なりの重大問題があります。それをとらえて人生のドラマをくみたてること、それが児童文学の問題です。
  • 架空な世界までも、現実のように見せてします論理と表現力ということである。これは、たいへんなものにとりくんでしまったと、じつは私は心配している。
  • 「あたたかい世界なんですよ。小学校のうちに楽しいもの、美しいものをつかんでほしい」(NHK ETV特集 シリーズ「21世紀の日本人へ」)
  • 菊池寛氏の、人を一視同仁と見るあの視線、一種無邪気な透徹した物の見方が、今日の「文藝春秋」社の大を生みだした核のような気がしてならない。

周りの人の評。
「機知に富んだ辛辣な言葉をおだやかで柔らかな口調で語る魅力的な同時代人なのだった。」(金井美恵子
「身だしなみのよさは、格別でした。」「お料理が上手でしたが、私がとくに感心したのは、手際のよさです。」「その規則正しいこと!」「石井さんの暮らしぶりは「まるで修道院の修練長さまみたい」とのことでした。」「すばらしいご生涯!」(荒井督子)

年譜を見て、結婚や家族のことがまったく出てこないので不思議に思っていたら、「ユリイカ」の石井桃子特集で、独身だったことがわかった。また、興味深いエピソードが載っていた。
あの太宰治が、井伏鱒二を通じてつきあいを申し込んだことがあった。二人が将棋を指しているところに、若き石井桃子が「ドリトル先生」のゲラを持ってやってきた。後で太宰は井伏に橋渡しを頼むが断られる。太宰が自殺したときに記者が「もしも太宰治と結婚していたら、、」と訊くと、「私がもしあの人の妻だったら、あんなことはさせません」と語ったという。

「偉い人です」「背筋がしゃんと伸びますね」「改訳を重ねられる方です」「まなざしがまっすぐなんですね」「文章を「凛然」と書いてはるという印象」、、、などという人物評を読むと、人柄がわかる気がしてくる。

100年を生きた石井桃子は、作家・創作者、翻訳者、エッセイスト・評論家、読書運動家、編集者と5つの顔があるが、その対象はすべて子どもだった。

実に見事な生涯である。