「ナニカアル」(桐野夏生)−−作家・林芙美子の大いなる謎

桐野夏生という作家の本は、題材、手法に常に驚かされる。そしてそれを証明するように、最近は本を出すたびに話題になり、文学関係の賞を取っている。

93年「顔に降りかかる雨」は江戸川乱歩賞、98年の「柔らかな頬」は直木賞、は03年の「グロテスク」は泉鏡花文学賞、04年の「残虐記」は柴田錬三郎賞、、05年の「魂萌え!」は婦人公論文芸賞、08年の「東京島」は谷崎潤一郎賞、09年「女神記」は紫式部文学賞といった流れになる。筆力がずば抜けているという証拠だろう。以下は、私が読んだ本だが、毎回不思議な世界を堪能してきた。

  • 魂萌え!」は、夫に先立たれた59歳の女性、平凡な主婦が突然、第二の人生を迎える戸惑い、新たな体験を通して魂の昂揚を描く長編。
  • 東京島」は、三十二人が流れ着いた島に女は一人だけ。地獄か楽園か。生と欲にすがる人間達の極限状態を描く長編。
  • 「女神記」は、古事記に題材をとった物語。

2010年2月25日に出た「ナニカアル」も驚きながら読み終えた。
作家・林芙美子の物語で、代表作の一つ「浮雲」が下敷きになっているとのことだったので、まず「放浪記」、そして「浮雲」を読んでから、この「ナニカアル」を読んでみた。林芙美子については、生地・尾道の記念館、そして新宿区落合の記念館を訪問しているので、予備知識はあった。この物語は、林芙美子記念館ができるあたりの物語だった。読み進めるうちに、主役である芙美子の考え、感情の変化、などがまるで本人自身の口から語られているような錯覚を覚える。桐野夏生は文体も自由に変えることができるのだ。
ナニカアル
プロローグとエピローグは、林芙美子のめいと出版社の編集者の往復書簡である。そこには、恐ろしい事実が書かれていた。林芙美子は、結婚していたが子供が生まれないので養子を迎えている。この養子を芙美子は可愛がっていたが、芙美子が48歳で亡くなった後、数年してこの子も事故で死亡してしまう。このことは、記念館でも書いてあった。
ところが、芙美子の死後、めいが焼けと命じられた絵の後ろから原稿を発見するというところからこの物語は始まる。そこには恐ろしいことが小説風に書かれていた。戦時中、南方に従軍派遣された作家の一員として活躍した芙美子は、若い愛人を持つ。その愛人との間にできた子供を養子として縁組したという物語だった。夫である緑敏も悩んだであろうし、その後、緑敏の妻となっためいも驚き、これは小説か、真実かに苦しむ。出版すべきか、否か。
そして残された文章を読者の前にみせる。それを読むととても作りごととは思えないリアルな手記である。その文章は、ほんとうに林芙美子が書いたのではないかと思うような、放浪記や浮雲の後編を読んでいるような文体である。

エピローグでは、林家の者として出版しないことの理由を述べた手紙の往復があり、読者は納得させられる。

事実とフィクションが入り交じって、読んだ直後は何が本当かわからなくなる。これは事実ではないか、との疑念が読者の中に深く残る。そこは永遠の謎として余韻を残すという小説である。こういった手の込んだ構想力には驚きを覚える。

新宿区落合の記念館では、このあたりのことはわずかな情報しかなかったが、この小説を読んだ後、もう一度訪ねてみたくなった。

「ナニカアル」は作家の自伝を装った優れたミステリー小説であることは間違いない。桐野夏生という作家の力量に改めて敬意を表したい。この本も今年、何らかの賞を取るのではないか。