自由民権資料館(石阪昌孝)・府中市美術館(歌川国芳)

k-hisatune2010-04-25

日曜日は午後から、町田と府中をまわった。

町田立自由民権資料館

4月に衣替えした常設展は、「武相の民権・町田の民権」。多摩地域自由民権運動が盛んだった明治10年代あたりは、神奈川県に属していた。神奈川県は武蔵国武州)6郡と相模国(相州)9郡から成り立っており、「武相」と呼ばれていた。自由民権運動は、国会や憲法をつくり国民の参政権を保障する要求を政府に働きかける運動で、多摩では運動が盛んであった。武相の境界に位置する町田が両方の運動をまとめる役割を果たした。
この地域は豪農が政治的運動の地域リーダーとして活躍する。明治4年にできた地域の学舎「小野郷学」は石阪昌孝、小島為政、橋本政直が指導。「行孝道之図」は、孝行を東海道に例えて、女郎買道、博奕道、大酒飲道、農業不精道という難所を乗り越えて皇都に着くという図である。
1879年(明治12年)に地方議会ができ、神奈川県会ができる。その初代議長になったのが石阪昌孝だった。初代衆議院議員を経て群馬県知事になった人物。石阪の娘・美那は詩人の北村透谷と恋愛結婚をするから、透谷の義父になる。
1890年の第1回総選挙で、会期末10日前に提出された三多摩東京府移管法案の成立によって東京都が成立する。東京府は飲料水源となる玉川上水の水質管理のために移管を求めた。神奈川県は税収上の重要地域であったが、自由民権運動の拠点であり切り離すことも考えていた。この地域はほとんどが反対であり、南多摩は反対、北多摩は賛成という流れだった。地図をみると多摩川の北と南で分かれている。府中は賛成で、多摩は反対だ。

石阪以外にも、松個柿解説の建白書を提出した村弁次郎(北多摩郡本宿村・現府中市)、憲法草案を編んだ千葉卓三郎(五日市)などの名前が残っている。

「町田の民権運動」というコーナーでは、4人が紹介されている。
青木正太郎(1854-1932年)。私立小・養英館、自由党県議の中心、衆議院議員、武相銀行頭取、京急社長。
石阪昌孝(1841-1907年)。板垣退助「沈黙寡言。創業開拓の才、自由党創立時に貢献」。小野郷学、自由党、4期衆議院議員、5升飲んだ酒豪。
村野常右衛門(1859-1927年)。自由党、青年民権家、大坂事件で有罪、衆議院議員立憲政友会幹事長、満州日々新聞社長。
細野喜代四郎(1854-1924年)。自由党

府中市美術館

歌川国芳(1797-1861年)は、北斎、広重と同じ江戸後期を生きた浮世絵師。この企画展はある人物が収集した二千数百点の絵から選んだというがどういう人物か興味が湧く。日本橋染物屋に生まれ、10代で歌川豊国の弟子となり、30代で人気絵師になるという遅咲き。

  • 司馬江漢と亜欧堂田善

司馬江漢。江戸の浮世絵師。中国風の花鳥図。西洋画に興味。腐食銅版画。本格的な油彩画。
亜欧堂田善。須賀川生まれの染物屋。47才で松平定信に抜擢され西洋画技術の研究に入る。「新訂万国全図」(高橋景保編)が代表作。

  • 牛島憲之記念館(府中市美術館)

牛島憲之(1900-1997年)。熊本出身の画家。東京芸大教授。82才で文化功労者、83才で文化勲章。この画家も97才と長寿。