静かに、健やかに、遠くまで−−「城山三郎展-昭和の旅人」

k-hisatune2010-05-03

横浜の港の見える丘公園の一角にある県立神奈川近代文学館で、城山三郎展が開催されている。

澤地久枝編集委員をした「城山三郎展−−昭和の旅人」は、第一部「大義の末−−城山三郎の原点」、第二部「組織と人間−−城山三郎の世界」、第三部「幸福は花びらのごとく」と展開する。充実した、目配りの効いたいい企画展だった。城山三郎の人生とその志に対峙する緊張感を見る側にもに要求する。

城山は、父の尊敬する渋沢栄一にちなみ「英一」と名付けられる。絵と作文が得意な少年で、賞ふぁっこうじだいはひとつを除いて全甲の成績で、無遅刻無欠席だった。名古屋商業学校では級長。徴兵猶予のある県立工業専門学校への進学を決められていたが、志願して海軍に入る。「はじめから消耗品(スペア)さ」という現実にショックを受ける。戦後、東京産業大学に入学する。この大学は森有礼福沢諭吉が社会科学の総合大学として1875年にひらいた私塾・商法講習所を前身ととするもので、東京商科大学を経て、一橋大学となる。産業界の指導者−キャプテンズ・オブ・インダストリーを育成する。
名古屋を拠点とする経済学者として、幕末以来の名古屋財界史を研究テーマにし、開拓者のドラマに注目する。30才で「輸出」で文学界新人賞、32才で「総会屋錦城」で直木賞を受賞。名古屋から茅ヶ崎に引っ越して愛知学芸大学に講師として通った。往復8時間かかったが、この時間を絶好の読書と勉強の時間にあてている。
足軽作家」と呼ばれるほど、どんな場所にも足を運ぶ人だった。城山は人物を書いたが、モデルとなる人物には接触せずに作品を執筆するというスタイルをまもった。1969年の執筆予定メモをみると、7本で2000枚の執筆予定があった。
「雄気堂々」は渋沢栄一。「辛酸」は田中正造。「鼠」は金子直吉。「男子の本懐」は浜口雄幸井上準之助。「落日燃ゆ」は広田弘毅。「ビッグボーイの生涯」は五島昇。「運を天に任すなんて」は中山素平。「わしの眼は十年先が見える」は大原孫三郎。「もう君には頼まない」は石阪泰三。「祖にして野だが卑ではない」は石田礼助。「小説日本銀行」、「官僚たちの夏」、「毎日が日曜日」、「黄金の日々」、「そうか、もう君はいないのか」。

こうやって並べてみると、私もビジネスマン時代にかなり読んでいる。組織と人間というテーマに惹かれたのだろう。

城山は、戦争体験を経て、若い頃のベ平連や晩年には個人情報保護法反対の先頭に立つなど、社会運動も行っている本気の人だったように思う。

  • 相手の人生の中を旅させてもらう。手間もかかるし、時間もかかるのだが、いま一つ、相手の人生を恵まれた気がして、嬉しくもなってくるし、、、
  • 静かに行く者は健やかに行く。健やかに行く者は遠くまで行く。(大学時代からの座右の銘
  • 人間についての興味。の傍観者として、倦まず たゆまず ひたむきに 守って やまぬ 自己の道。
  • この日 この空 この私。(日々の信条)
  • 一日即一生。(日々の信条)
  • この日 この空 この心 私の目 私の空 私の心 どこへも どこでも 人間見物(1988年)
  • たっぷりと日々(人生)を味わい じっくりと人間(人生)を見つめ ゆっくり仕事をしよう。苦労面倒先送り 遊び楽しみ今迎え。「いま なんじ」こそ。 一日一快。清風万里(浜口)。一考一来 三風五雨(熊谷守一)。 遊びをせんとや生まれけん 戯れせんとや生まれけん。晴雨同舟。(1991年)
  • 人の幸福や志が組織の大義によってそこなわれてはならない
  • つらい、つらい、元気が出ない。また自信がぐらつく。資料に不満を感じる。「えらい商売を選んでしまった」とぐちが出る。情けない、こつこつと職人芸に徹する他ない。
  • 「本懐」あと、一息である。うんうんとうなりながらの山上りは山頂がちらついて見える。
  • どんな苦しい事があっても人間を素材的興味で観察するという事を知った以上、もう大丈夫だと思う(1950年の日記)
  • 「私はこの作家がその幼稚な無謀さをもって、特異な社会素材を、文学領域にまで持ち込んだ野心と勇をみとめないではいられない」(吉川英治
  • 「かうした変わった題材や世界を続けて書く支度があったら、一家をなし得るだろう」(大佛次郎
  • 「読者とおまえと子供たち、それこそおれの勲章だ。それ以上のもの、おれには要らんのだ」(勲章を辞退)
  • 「昼ワイン 妻うたた寝の 夏の旅」「虫の音と夫の寝息の競い合い」
  • 「冴え返る青いシグナル妻は逝く」「君なくて何の桜か箱根路」
  • 花びらのような幸福は、花びらより早く散り、枯枝の悲しみだけが永く永く残る。それが、戦争というものではないだろうか−−と。

 
気骨の作家・城山三郎(1927-2007年)は、毎年手帳の始まりに抱負の言葉を記した。

城山三郎は偉人達の残した、愛した「言葉」」の収集家でもあった。
田中正造「辛酸亦入佳境」
広田弘毅「風車 風の吹くまで 昼寝かな」「清々丹心輝万古」