鈴木常司の「ポーラ美術館」

箱根仙石原のポーラ美術館はその概観もさることながら、展示美術品の質と量に驚いた。アンリ・ルソー展を観た後、各展示室を見て回ったが、著名な西洋画家のよく知られている作品が次々と現れていく様は圧巻である。

驚きの中でこの美術館は誰がつくったのか、という疑問が湧いた。その人物は、鈴木常司(1930-2000年)だった。化粧品の分野で確固たる地位を占めるポーラ・オルビスグループのオーナーである。

40数年に亘るというから20代から始めた筋金入りの収集は、西洋絵画、日本洋画、日本画、版画、彫刻、東洋磁器、日本の近代陶器、ガラス工芸、そして古今東西の化粧道具など、総数で9500点に及んでいる。中心は西洋近代絵画400点だ。このコレクションの特徴は、恣意的に集めたものではなく、しっかりした構想のもとに体系的に集められたものであることである。だから絵画の歴史の流れを実感できるようになっている。

この鈴木常司の「文化」に対する思い入れには尋常ならざるものがある。企業理念は「美と健康の事業を通じて、豊かで平和な社会の繁栄と文化の向上に寄与する」であり、その理念を体現すべく、本業以外の文化活動に精力的に取り組んでいる。
1976年発足のポーラ研究所は、「美と文化」、とくに「化粧」についての総合研究所である。収集した化粧道具は6700点、関連蔵書は13000冊。
1979年発足の財団法人ポーラ伝統文化振興財団は、日本の優れた伝統工芸、伝統芸能、民俗芸能・行事などの無形文化財を記録・保存・振興・普及を目的としている。
1996年に発足した財団法人ポーラ美術振興財団は、若手芸術家、美術館職員に対する女性、美術に関する国際交流の推進を実施している。
そういった流れの中から、2002年にこのポーラ美術館が誕生した。このとき既に鈴木は他界していた。この美術館は鈴木常司の人生の総括にふさわしい優れたものとなっているという印象を持った。

日本の西洋近代美術の個人コレクターは、大原孫三郎(1880-1943年)の大原美術館石橋正二郎(1889-1976年)のブリジストン美術館、そして国立西洋美術館の基礎となった松方幸次郎(1865-1950年)の松方コレクションという流れがある。戦後から始めた個人コレクションとしては、鈴木常司のコレクションは国内最大級である。

鈴木常司は、化粧品製造を始めた父・忍の長男で、アメリカのウィリアムカレッジに留学していたが、1954年の父の死により切り上げて帰国してその業を継いだ。留学していたウィリアムズカレッジ内にある美術館、あるいはアート・インスティチュートなどを見て大きく影響を受けている。20代半ばで帰国した鈴木は、20代の後半から美術品の収集に力を注いでいる。

このポーラ美術館は奥が深く、今後箱根を訪れる時には必ず訪問したい。3月には「堀文子展」が予定されているから、また来たい。そして、こういった美術館を遺した鈴木常司の人生に想いを馳せてみたい。
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  • 午前中は、大学で書類整理。午後は、新宿のJR東日本本社で研修講師。
  • 本日の産経新聞の投稿を読んだ人からの連絡がいくつか入ってきた。同級生、友人、知り合い。
  • 「図解で身につく! ドラッカーの理論」の増刷の連絡が入る。12刷り1万部増刷で、累計12万2千部。