特別コーナー三島由紀夫−没後40年・生誕85年(神奈川近代文学館)

神奈川近代文学館を訪問。常設展の「文学の森 神奈川と作家たち」。第一部は「夏目漱石から萩原朔太郎まで」。第二部は「芥川龍之介から中島敦まで」。第三部は「太宰治三島由紀夫から現代まで」。実に多くの作家がこの地に縁があることがわかる。
「特別コーナー 三島由紀夫−没後40年・生誕85年」をみる。
「交友」のコーナーでは、先輩作家や同世代の作家達への手紙が公開されている。埴谷雄高野間宏井上靖堀田善衛、、。相手の小説の簡単な批評と自分の近況などを簡潔に語るというスタイルだ。
第一回新潮社文学賞「潮騒」で受賞したときの連歌の一つに自身の「あれも人の子賞拾い(由起夫)」というのがあって愉快だった。また「犬も歩けば棒に当たる」(恒)」というのも書き付けてあったが。これは誰だろう。
「演劇・映画」のコーナーでは、戯曲に取り組んだ作家さであり、多くの作品が演劇や映画になって上映されていることがわかる。黒蜥蜴、サド侯爵夫人(村松瑛子)、斑女(坂東玉三郎)、わが友ヒットラー鹿鳴館、若人よ蘇れ、朱雀家の滅亡、椿説弓張月。2・26事三部作のひとつが映画となった「憂国」では、監督、脚色、主演をこなしている。他の映画では、「春の雪」「午後の曳航」「金閣寺

中村光夫あての手紙。「日本文化会議には絶望しております。、、、「純粋」とは、「人に金をもらはぬ」ということに尽きると知りました。ほかに定義は一切ありません。」

三島由紀夫は、1925年生まれ。1941年、16歳で「花ざかりの森」を発表。1946年、川端康成の推挽でデビュー。「仮面の告白」で文壇の地位を確立。戦後文学の旗手と呼ばれる。ライフワークは『豊饒の海』。1970年11月25日死去。大の猫好きだった。日本画家・杉山寧の長女・瑤子と結婚し、新婚旅行では箱根宮ノ下の富士屋ホテルに滞在している。ヴィクトリア朝コロニアル様式の自宅をつくるが、書斎はいたって機能的につくられている。

ライフワークの『豊饒の海』は、浜松中納言物語に典拠。夢と輪廻転生を主題にした壮大華麗な四部作だ。大学時代に夢中になって読んだ作品だ。先日訪れた鎌倉文学館(旧前田侯爵邸)は第一部「春の雪」の別荘のモデルだった。山中湖のある三島由紀夫記念館を訪ねたい。

この神奈川近代文学館は、長い間作家の中野孝次(「清貧の思想」)が館長だった。「ガン日記」(中野孝次)を買う。今から読むが「死に際しての処置」(2001年5月3日記す)は、12項目の指示を箇条書きで記している。そして「わが志・わが思想・わが願いはすべて、わが著作の中にあり。予は喜びも悲しみもすべて文学に托して生きたり。予を偲ぶ者あらば、予が著作を見よ。予に関わりしすべての人に感謝す。さらば。」という総括もある。見事だ。
−−−−−−−−−−
神奈川県民ホールで神奈川フィルの「第九」を聴く。ベートーベン交響曲第9巻ニ短調作品125「合唱付」は、音楽歴史上の最高傑作として全世界の人々に愛好されている。合唱部分は詩人・シラーの「歓喜に寄す」に楽聖ベートーベンが曲をつけた。構想から完成まで30年以上の推敲を重ねた労作である。

その後は、一緒に第九を楽しんだ、同僚の諸橋先生夫妻と機会をつくってもらった樋口先生と私たち夫婦の五人で、中華街の一楽という店で懇親会。

帰って、「坂の上の雲」の後半部分を見て、その後、女子フィギュアの安藤、浅田の華麗な演技を楽しんだ。