大山崎山荘美術館。月桂冠大倉記念館。寺田屋。黄桜。

明日の講演のために少し早めに京都に入る。富士山がうつくしかった。名古屋を過ぎると雪景色一色。

まず京都と大阪の境にある山崎にむかう。秀吉が光秀軍を破った山崎の戦いの天王山の入り口付近にあるアサヒビール大山崎山荘美術館を訪問。大阪の実業家加賀正太郎1888-1954がつくったイギリスチューダー様式の洋館で、ウィンザー城から眺めるテムズ川を彷彿とさせる景色である。この地で加賀は洋蘭栽培に熱中する。加賀は大日本果汁、後のニッカウイスキーへの出資もしている。そのニッカ創業者竹鶴政孝と親しかった。死の直前にニッカの株を朝日麦酒の山本為三郎社長に譲る。この山荘は荒れていたのだが、この縁でアサヒビールが美術館として再興した。同時に安藤忠雄設計の「地中の宝石箱」が隣接してつくられた。
アサヒビール初代社長の山本為三郎1893-1966は、柳宗悦らの民藝運動を支援した。この美術館には河井寛次郎、濱田正司、バーナードリーチ、芹沢硑介らの作品が1000点の山本コレクションで構成されている。二階のレストランでビールを飲む。

次に京都の伏見に向かう。月桂冠大倉記念館を訪ねる。笠置より出た大倉治右衛門が酒屋を開業する。1905年に酒銘を玉の泉から月桂冠に変える。創業370年を超えている。広大な敷地には、大倉家本宅、内蔵酒造場、月桂冠大倉記念館、旧本社、新本社などが集まっている。ここでは利き酒ということで、大吟醸やワインをいただいた。

歩いて五分の寺田屋に行く。龍馬伝で有名になった船宿。お龍が裸で暗殺者を通報し 龍馬を救った舞台である。女性の見学者が多い。これを歴女というのだろうか。「世の人はわれを何とも言はばいへ わがなすことはわれのみぞしる」。

同じ通りに黄桜記念館があった。大正14年に松本治六郎商店として出発し1955年に清水崑のカッパのイラストができ、1957年からのテレビで一気に有名になる。河童資料館もあり、かっぱ淵というコーナーには全国の河童ネットワークの展示や、1988年の全国河童サミットの様子もわかる。この酒蔵は河童を守護神としているのは微笑ましい。

伏見土佐藩邸跡。この場所で土佐藩が幕末に動いた。1867年の鳥羽伏見の戦いでは、藩主容堂は薩長会津桑名の私闘であるから戦いを禁止したが、板垣は薩摩に加わる。これで復古討賊に大功ありとして土佐藩は朝廷から誉められている。今は月桂冠の社宅になっている。