北里柴三郎記念館

トヨタレンタカーでプリウスを借りて母とドライブ。
まず、日田へ。豆田町で昼食。

大分県熊本県の県境の急峻な山地を越えて、小国町の北里柴三郎記念館を訪問する。北里柴三郎の生地だが、随分と田舎だ。ここから青雲の志を抱いて東京、世界に出て行ったのか。
北里柴三郎は、熊本医学校、東京医学校、内務省衛生局、ドイツのコッホ研究所と羽ばたいてゆく。この流れは、熊本医学校の恩師、マンスフェルトの教えだった。
ドイツでは、世界的細菌学者のロベルト・コッホに師事する。コッホは1906年にはノーベル医学生理学賞を受賞している。コッホが1908年に来日したときには,北里柴三郎は恩師を大歓迎している。
また、6年後の帰国後、伝染病研究所を設立する。この時には福沢諭吉の援助を受けている。慶応大学が後に医学部をつくるとき、北里柴三郎は恩人福沢の好意に応えるため、初代医学科長、学部長を無給でつとめている。
現在、北里大学は、ライフサイエンスをテーマとした総合大学に発展している。相模原市に中核的キャンパスがある。
北里柴三郎の人生には、恩師の影響が大いにある。
北里柴三郎の大切にした訓語は、「終始一貫」だった。

近くの黒川温泉に泊まることにする。この温泉はすっかり有名になった。ちょうどいい機会だ。
「こうの湯」という温泉の平屋に宿泊。部屋に露天風呂がついている。湯も食事も、ホスピタリティもレベルが高い。