向井潤吉アトリエ館--日本の民家がライフワークの洋画家

世田谷美術館の分館にもなっている向井潤吉アトリエ館を訪問した。ここは今まで数回訪れようとしたのだが、その都度、工事などで閉館していた。今回やっと向井が住んでいた館内に入った。木造の気持ちのいい空間だった。

向井潤吉は、1901年京都生まれ。93歳まで描き続けていた洋画家だ。日本の民家を描くことをライフワークとした。

「制作日誌」を分析した結果が掲示されていた。それによると2月ー4月、10月ー12月に制作が多い。また描いた場所は、埼玉(32%)、長野(19%)、京都(13%)、岩手(7%)。
「私の仕事のはかどる季節は、初冬から5月の間に限定されている。それは民家を描くためには繁茂した木や葉が邪魔になるからであるとともに、緑という色彩が自ら不得手だと知っているからでもある。」

  • 日本の民家の美しさ、こういう風土でしかできない形の美にはじめて気がついた。
  • せめてなくなる前に、昔からの民家のよさを絵に残しておけば何の役に立つのではないかと考えた。だから終戦と同時に、暇にまかせて民家だけを描くぞと決心して、まず娘が学童疎開していた新潟県川口村からはじめた。
  • 私が最も好むのは、信州から東北へかけての、大振りの農家の点在する地方である。
  • 私の民家を扱う気持ちにも徐々と変遷があった。、、、むしろ家を大切にしながらも、その家を取り囲む風土風景を主とするようになってきたのである。
  • 、、民家と、その所在する界隈との調和、風土風物の組み合わせに重点がかかってきた。


1952年に朝日新聞の「茶の間」に寄稿した「職業」というエッセイが面白い。
子どもの頃のから画家になるとしたが、次は外国航路の船員。、兵隊を出てから高島屋百貨店、、、そして画家。
「しかし世間の人々の職業というものは、親ゆずりや、独特の天凛の才があればとに角、大半はフラフラ腰で左右している中に、なんとなく決まってしまい、それで結構本人も納得しているのじゃないだろうか。」