広尾の有栖川公園の近くにある都立中央図書館を訪問し、人物関係の資料にあたる。この図書館には「人物」というコーナーと「伝記」という充実した書棚があり、大変参考になった。人物ごとにあいうえお順に並んでいるので便利だ。伝記が多いひとでも10数冊だが、福沢諭吉には三段もあったのには驚いた。
浅草の江東区生涯学習センター。ここを訪れるのは二回目。センター内にある池波正太郎記念文庫で事績を偲ぶ。31歳で小説家としての第一作を書いてから67歳で亡くなるまで、この小説家は実に700冊の本を残している。時代小説475作品、現代小説46作品、戯曲44作品、対談・鼎談79作品、画文集7作品。その他、雑誌などに載ったインタビューは41件、エッセイは513件。この700冊という数字は、松本清張が42歳の遅いデビューから82歳で亡くなる40年間に書いた本の冊数と同じである。池波正太郎の生産性は極めて高い。
この作家は、「段取り」ということを大切にした。仕事も人生もすべて段取りだ、という考えだった。こういった膨大な仕事をこなすことができた秘密がが段取り、つまりスケジュールリングだった。
池波がかぶっていた帽子の脇に「帽子」という短いエッセイがあった。帽子をかぶると年齢不詳になる。ソフトをかぶったときは18、19歳でも24、25歳に見えたし、60歳を卓と70から75歳に見えたから外国に行くと大事にしてくれる、と書いている。
「気分転換」というエッセイには、昼は信長、夜は江戸下町の愛欲を書くとなると外に出かけるなどの気分転換が必要だがそうもいかないときには音楽をたくさん聞く。そうすると気分が変わってくる。小説の構成がまとまらないときんはムソルグスキーやカラヤンを聴く。こういうクセがついてくると、聞いた途端、ぱっと書けてゆくことがたびたびあった、そうだ。
同センター内に「台東区生まれの作家」という企画コーナーがあった。平成23年1月現在で92人という多さだ。荒俣宏、池波正太郎、内田魯庵、永六輔、落合信彦、円地文子、唐十郎、川口松太郎、久保田万太郎、幸田露伴、小島政次郎、左江衆一、沢村貞子、鈴木誠司、高村光太郎、田久保英夫、田村俊子、土岐善麿、中村光夫、山田太一、山本夏彦、としもとばなな、こういった面々だ。土地柄が、作風に影響している感じがする。
18時に浅草ビューホテルでギリークラブのメンバーと待ち合わせ。本日のメインイベント「浅草、池波正太郎記念文庫訪問〜人物記念館、訪問の達人久恒啓一氏と共に〜」。
みなさん、事前に池波正太郎記念文庫を見てきているので、さっそく池波正太郎が通った店を選んでいく。「染太郎」というお好み焼きやを選んだ。昭和13年の開業当時の面影を残す店だが、お客が多い。欧米人のグループも隣だった。
ギリークラブ主宰の私の友人・渡辺さん、新潮社の高橋さん、バンダイの社外取締役の松永真理さん、ビジネスマン時代の上司だった中村さんの五人。大震災の話題、混迷する政治状況、そして人物記念館の旅から得た私の話などで話題は尽きなかった。お好み焼きもおいしくこちらも堪能した。この店には森繁久弥など著名人の色紙が多く飾ってある。とても楽しい時間を過ごした。