「肥前磁器の華 伊万里 柿右衛門 鍋島」展(根津美術館)

東武鉄道の総帥・根津嘉一郎が残した美術品を中心のコレクションを保存展示している根津美術館で、「肥前磁器の華 伊万里 柿右衛門 鍋島」展がか催されている。

庭の木に残った真っ赤な柿の木を見て赤で文様を描きたいと工夫した酒井田柿右衛門の逸話は、子供頃の教科書で知っている。その柿右衛門というブランドとその技術を担う職人が何百年にわたって続いているということに興味を持って訪ねた。

柿右衛門は、白磁に華やかで優美な赤い花模様が素晴らしかった。鍋島は藩主や将軍などへの献上品であるだけに、格式の高い美しさだった。

伊万里は日本で初めて焼かれた磁器であり、文禄・慶長の役(1592・1597年)で肥前につれて来られた朝鮮陶工からの製磁技術導入で始まった。その後、中国の模倣ではなく日本独自の和様を追い求めたのは、柿右衛門様式であり、古伊万里様式だった。

1660年頃からは、輸出品としての需要があり、オランダ商館からバタヴィアなどでオランダ無向け、イギリス向けに売られており、ヨーロッパでは濃厚な色彩と文様は人気があった。
肥前の磁器は、最初灰白色であったが、陶器との違いをはっきりさせるために白色となり、次に赤、緑、黄という色絵磁器に発展していった。

根津美術館に寄贈されたこれらの美術品は、山本正之(1920-2000年)が集めたコレクションだった。この人物は兵庫県生まれの実業家で、丸西タイル株式会社の創業者である。今はマルニシテグラ株式会社となっている。山本は全国タイル業協会会長として活躍した人物で、日本建築学会文化賞も受賞している。優れたタイルをつくるべく、世界のタイルと陶磁器を蒐集していた。

「オランダ・タイル―正方形の美術 (INAX booklet)」という本には著者紹介として、「業務と研究を兼ねて、一年の三分の一は海外。今年の正月休みにも、タイルのルーツをたずねて中東へひとり旅、戦火があまりに近く案内の運転手も音をあげた、とか。他人が天井画や壁の彫像を見ている間にも、床に眼を向けることを忘れない。その材料を見れば、時代や産地が判断できる。モノの化学もわかるのが、並みの陶芸愛好家と違うところ。したがって、どんな小さなカケラでもおろそかにしない。「おかげでカケラの山に囲まれて暮しています」」との文章が載っている。
タイル・レンガ・石工事という本業の周辺でライフワークを掘っていった実業家の姿を垣間見ることができる。

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今日は近所を散策したが、紫陽花が目についた。梅雨にふさわしい花。