「和田誠展--書物と映画」-早世の友想ひけり帰り花

行きつけの世田谷文学館で「和田誠展--書物と映画」が開催中だ。
名前を聞いてもピンとこないが、丸谷才一井上ひさしなどの著書の表紙の絵を描いている人と言えばイメージが湧くかも知れない。
その丸谷才一が、「イラストレーター、装幀家、デザイナー、似顔絵画家、漫画家、エッチング画家、エッセイスト、映画監督」とあげだして、インタビューや対談もうまい、パロディスト、俳人、作曲家、、、と並べながら、むしろできないものは何かというふうに移っていくエッセイを書いている。
それほどの多彩な才人だ。

装幀の仕事としては、丸谷才一の本の一連の独特の絵を見て、ああそうか、この絵を描いている人かと納得した。井上ひさし村上春樹谷川俊太郎などの人の本のかなりの部分もこの人の仕事だ。
著作の欄を見ると、1960年から間断なく本が出ている。1936年生まれだから24歳からだ。2011年までの著作数を数えると、188冊だった。
映像作品は、1957年の21歳かのテレビCMのアニメーションから始まりNHK「みんなのうた」のアニメーションなど35本。
音楽は、1964年28歳から、映画やラジオ、テレビ、ミュージカルなど30本。
個展・グループ展は、1965年の「ペルソナ展」を皮切りに55本。
70代半ばだろうが、仕事のペースは落ちず、むしろ後半になるにつれて、しり上がりに増えている感じもある。
再び丸谷才一のエッセイに戻ろう。丸谷によれば、日本デザイン史の三大デザイナーは歌麿竹久夢二、そして和田誠と言っているではないか。「この天才的な三人を持つことは、われわれの文化史の花やかな光栄と言っていいでせう。」

文学館で買った「5・7・5交遊録」(和田誠)を読むと、人柄の面白さと、それがゆえに多くの友達を持っている愛すべき人柄がみえてくる。
出て来る友人たちをあげてみよう。
横尾忠則篠山紀信立木義浩永六輔小沢昭一黒柳徹子渥美清植草甚一草森紳一小松左京野坂昭如寺山修司色川武大阿佐田哲也)、角川春樹、、、。
40年続いている「話の特集句会」では、黒柳徹子中山千夏下重暁子山本直純中村八大色川武大吉行淳之介吉行和子小室等山本容子南伸坊横尾忠則妹尾河童中村桂子阿川佐和子佐藤充彦、小田島雄志井上ひさし俵万智三谷幸喜
小沢昭一の俳号は変哲、永六輔は並木橋、吉永小百合は鬼百合、渥美清は風天、田村セツ子はパル子、下重暁子暁子と郭公、岸田今日子は眠女、黒柳徹子は桜蘭、中山千夏は線香、山本直純は笑髭、、、。

青リンゴ点となって海に落ちた  並木橋
妖怪のふりして並ぶ冬木立    眠女

人に宛てて俳句を読むのも面白い。
 梅雨空に「悲槍」流れくれゆけり(岩城宏之あて)
 国語辞典版新しき夜長かな(井上ひさしあて)

和田誠の句
 月冴ゆる大河に小舟出しにけり
 朝粥に汗ばむ街の広東語
「もう春」と弾みて淹れし紅茶かな
 戒名を拒否せし父に夏花摘む

この人は人生を堪能している人だ。

私の俳号は、「吐鳳」としよう。

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野田佳彦総理が誕生する。
新聞に首相の一日を負う「首相動静」などの欄があり、私はその欄の愛読者だ。
長命な総理であった、中曽根さんと小泉さんの一日の過ごし方の特徴は、夜の時間にあった。昼間は激務の連続なのはいつの時代も同じだが、夜の過ごし方には差がある。この二人は、様々な分野のトップランクの人と会って食事をしていた。総理として虚心坦懐に同時代のあらゆる分野の優れた人と会い、その知見と知恵に接するようにしていたのだろう。中曽根さんは座禅もやっていた。総理には届かなかった河野一郎が息子に「政治家は自分より偉そうな奴と飯を食うものだ」と語ったことを想い出した。
最近の短命総理の夜は、仲間内の政治家と群れていたという印象がある。それが結局、視野の狭さにつながり、短命に終わる原因のような気がしている。今度の野田さんはどうするだろうか。

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以下、読了。

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オレたち花のバブル組

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