「私の就活時代」と世代論

土曜日。午前中は、品川キャンパスで「昭和24年春終了予定者修士論文等予備審査会」。
私のグループは、5人の発表を聞いた。

  • カーボンフットプリントの一考察
  • 企業レポート会社の起業、2年の成果
  • 国際インテグレーターにおける知識継承・内面化の考察
  • タイ国における外食産業向け低温食品共同配送の事業化
  • 自治体アンテナショップに対する今後の役割と機能に関する一考察

それぞれ現場の息吹が感じられる興味深い発表だった。この時間は日本経済と企業の動きを身近に感じる。
論文完成まであと半年あるので、磨きをかけて欲しいものだ。

終了後、大学院教授会で4つのグループの様子の説明があった。

金先生と九段サテライトに向かう。文庫カフェで雑談。

学長とスケジュールの確認と、いくつかの案件の報告。

16時20分からインターゼミ。今回は寺島学長からのリクエストで二人の教員が自分の就職時代の事を語ることになる。
私が最初に指名を受ける。高校2年生の時の人権派弁護士・布施辰治を描いた伝記を読んで弁護士を志望するとこらから始めて、10分ほど話をする。
次に諸橋先生が、古文と数学が得意だった話から初めて、日本IBMでの研究生活を語った。二人の話しの骨子は以下。高野課長が記録。

寺島学長から、二人の話を世代論の観点から受けた話があった。
学生たちの親は50歳前後。1965年前後生まれ。1985年のプラザ合意の頃に就職戦線。次に来るバブルの洗礼を受け、20代後半からは冷戦の崩壊とバブル崩壊による長いゼロ成長の時代。そして親たちは年金問題にさらされてくる。そういう親は子供に安定を望むだろう。人間は時代や世代に大きな影響を受けている。だから外に視界を取って、フィールドワークを心掛けないとならない。
自分は何者か。自分を客観視せよ。両親、時代、能力、関心。出会い、偶然、きっかけで人生は変わる。一筋縄ではいかない。

その後、4つのグループに分かれてグループワーク。
東日本大震災と日本創生」グループは久しぶりに、小沼君以外のほとんどのメンバーが集まって進んだ。論文執筆に向けて真剣に進めてくれた。

帰りは、調布まで長田先生に車で送ってもらいながら、いろいろと話をする。