「東京ゲーテ記念館」をつくった粉川忠の志を追う

先日訪れた「東京ゲーテ記念館」は、事業家・粉川忠(1907年生まれ)が、一生をささげた事業である。
http://www.fat1.co.jp/infomation/kitaku/goethe/geothe.html
この人の生涯を「夜の旅人」(阿刀田高)を読みながら追ってみたい。

夜の旅人 (文春文庫)

夜の旅人 (文春文庫)

水戸市郊外で代々村長を勤める素封家の家に生まれた。
8歳の小学2年生の時に小さな事件が起こるり、「俺は一生人に使われる仕事には就くまい」と決心する。
小学5年生の時には、「人真似をしてはいけない。自分の頭で作り出すことが大切なのだ」と悟る。
師範学校2年生の時に、ゲーテ著、森林太郎訳「ファウスト」を読み、次に「若きウェルテルの悩み」、「ウィルヘルム・マイステルの徒弟時代」と進む。
東京に出た粉川は、「ゲーテのための考彰館を作ればいいいんだ。そこへ行けば、ゲーテのことがなんでもわかるような、、と志が定まった。人生の大目的が決まったのだ。ここで粉川は自分の心を鼓舞するために数条の誓いを立てる。
1.すべて独力でやる、 2.ゲーテの資料を集めることだけを目的とする。 3.ゲーテを利用して金儲けをしない。4.事業が完成するまで故郷の土を踏まない。

粉川は精工社という工場をつくる。世の中がどう転んでもなんとかやっていける食糧を仕事に選ぶ。味噌漉し機械を発明する。優れた機械を考案することでゲーテ図書館につなげていこうとした。女色と美食は慎むべきものだった。
注文取りのための全国の旅では「行く先々でゲーテを捜せばいいんだ」と思い当る。

27歳の粉川は郷里の人を妻に迎える。
「私には生涯を賭けてゲーテ図書館を作りたいという希望がある。会社の経営はそのための手段であり、時には家庭だって犠牲にしなければいけない」。この妻は夫の理想を支え、忙しさのためにゲーテから離れがちになる粉川を激励し続けた。

30歳。1937年、シナ事変。
総利益の一部を従業員に分けた後の余剰金はすべてゲーテ事業に投入する。万人のための完璧なゲーテ図書館を設立する。さらに発展させて皇国の文化事業に貢献する。断じて志をくつがしてはなるまい。

1940年、33歳。粉川は古本屋で東京帝大の木村謹冶教授に出会う。木村はゲーテ研究の第一人者だった。
粉川の理想を知った木村は毎週土曜日の午後に、ゲーテに関する個人教授をしてくれた。
1940年8月から1945年10月まで、実に273回の多きにわたった。

ゲーテ資料の蒐集が男児一生の仕事にふさわしいかどうかが問題なのではなく、一生の仕事にふさわしいほど大きなものにすればそれでいいんだ」
研究者のためのゲーテ図書館ではなく、あくまで万人のためのゲーテ図書館をつくりたい。庶民がほんの一かけらでもいいからゲーテの世界に触れてほしい。

胃潰瘍で入院した粉川は、自分の生死に関係なく事業を長く続けるためにゲーテ事業を財団法人にする決断をする。それが東京ゲーテ協会である。個人資産は限りなくゼロに近づいた。一人息子(粉川忠)には教育は受けさせるが財産は残さない、という方針で臨んだ。

ゲーテ二百年祭で手痛い仕打ちを受けた粉川は、誓いを増やす。
「1.全て実力でなせ。2.他からの経済的援助は受けるな。3.自由を守るために人の世話になるな。4.私財の保持を許さず。5.娯楽を去れ。6.自己育成は事業を通してなせ。7.行動は太陽の如く堂々と独り行け。8.死の直前まで働け。9.勝負は生涯になさず21世紀に任せよ。」

すでに蔵書は1万5千冊を超えていた。分類表をつくらねばならない。睡眠時間を3時間半に減らした。

1964年、粉川は57歳。渋谷に地上7階、地下1階、総面積2600ヘーベの東京ゲーテ記念館が誕生した。
百里を行くものは九十九里をもってなかばとす」という言葉が頭の中にあった。

78歳の時点で、ゲーテに関する著書、研究書、訳者は7万冊。関連資料15万点。国内318紙、外国655紙の新聞を取り寄せ、ゲーテに関する記事は細大もらさず切り抜いて保存されている。世界一のゲーテ資料館になった。

北区はゲーテ記念館発祥の地であり、西ヶ原に移転し館の規模を二倍するという計画があった。今は立派な建物が完成している。そこが先日私が訪れた東京ゲーテ記念館だ。生前、長野市の郊外に「ゲーテ研究所」をつくる計画もあったが、こちらはどうなったのだろうか。

人物記念館の旅を続ける中で「東京ゲーテ記念館」の名は目に入ってはいたのだが、なぜ東京にそんなものがあるのだろうと軽く見ていたが、一人の人物の生涯を賭けた事業だったことがようやくわかり納得した。

洋ゲーテ記念館で会った受付の婦人は、私に「夜の旅人」を紹介しながら、「書いてあることが本当のことだとはお思いにならないでくださいね」と語っていた。あくまで小説だということらしいが、「志」をまっとうした男の人生に感銘を受ける。

ゲーテ図書館、ゲーテ事業は、永遠に続く大事業になっていくのだろう。

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  • 15時半。品川のホテルでS出版社の編集者と会う。7月発刊の文庫についての最終打ち合わせ。タイトルも決まった。インパクトのあるタイトルになった。後は、タイトルに沿って表紙をうまくデザインしてもらいたい。
  • 今日は、金環日食
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120521

17時から品川キャンパスで研究開発機構評議員会に出席。昨年までは多摩大総研所長としての出席だったが、今回からは評議員なので気が楽だ。
総合研究所(望月照彦所長)、情報社会研究所(公文俊平所長)、総合リスクマネジメント研究所(河村幹夫所長)、知識リーダーシップ総合研究所(徳岡晃一郎所長)。それに学部長、研究科長、事務局長らが出席。昨年度の決算と今年度の事業計画がテーマ。

終わった後、後任の所長の望月照彦先生と今後の総研のあり方、構想や人についての意見交換。近々食事をしながら相談することになった。