鴨長明「方丈記」--天災のルポの傑作・人生観の教科書

古典というものは引用や解説にはよく接するが原文にあたることはあまりない。
内容の素晴らしさは、うわさに聞くというのが私の今までの接し方だった。
今回、鴨長明方丈記」を原文、翻訳、解説、というやり方で説明した本を手にして一気に読むことができた。

すらすら読める方丈記

すらすら読める方丈記

方丈記」は鴨長明の自伝的色合いの強いい短いエッセイ集だ。1212年、長明58歳で完成した一生の総括である。
長明の生きた800年前の時代は、天変地異によって世の中が騒然となっていた時代である。
23歳のときの安元の大火(京の都の三分の一が焼失)、26歳のときの治承四年の辻風(旋風・竜巻)、同じく福原遷都(平清盛・失敗)、27歳のときの養和元年緒の大飢饉(ひでり・大風・洪水)、31歳のときの元暦二年(1185年)の大地震、その体験を「世の不思議を見る事、ややたびたびになりぬ」と書いている。

鴨長明の「方丈記」の特徴は、全部が自分のじかな見聞だけを抑制的に描いていることである。感情を交えず死者の数、焼失した館の数など事実を丹念に取材し、その結果をを冷静に書いているからリアリティがある。この書は、天災の優れた実証記録として日本史上の傑作なのだ。

  • ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
  • 知らず、生まれ死ぬる人、何方(いずこ)より来りて、何方へか去る。
  • 古郷すでに荒れて、新都はいまだ成らず。
  • その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。
  • 恐れの中に遅るべかりけるは、ただ地震(ない)なりけりとこそおぼえ侍りか。
  • 世いしたがへば、身、くるし。したがはねば、狂せるに似たり。
  • もし、心にかなはぬ事あらば、やすく他(ほか)へ移さんがためなり。
  • もし、念仏ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづから怠る。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。
  • 事を知り、世を知れれば、願はず、走らず。ただ、静かなるを望みとし、愁へ無きを楽しみとす。
  • われ今、見の為に結べり。人の為に造らず。
  • もし、なすべき事あれば、すなはち、おのが身を使ふ。
  • 常に歩き、常に働くは、養生なるべし、なんぞ、いたづらに休み居らん。
  • それ、三界は、ただ心一つなり。
  • 汝、姿は聖人(しょうにん)にて、心は濁りに染めり。

鴨長明は、賀茂神社の最高位の子に生まれたが、文学と音楽にのめり込んだため、それを継げずに一族からはじきとばされていた。歌の才能によって後鳥羽院の歌壇に入り、和歌所に奉仕し、院の好意によってある地位を得ることができたがそれを断って、50の春を迎えのを機会に家を捨てて方丈の自由を選ぶ。

方丈とは、一丈(約3m)四方だから、四畳半を少し広くした程度の庵だ。
この方丈には、阿弥陀仏の絵象、普賢菩薩の絵象、琴と琵琶があり、経机には法華経が置いてある。そして書き物をする机がある。後は暖をとる炉と夜の床だ。

「すらすら読める 方丈記」の著者・中野孝次は、「清貧の思想」「ハラスのいた日々」などを書き、2004年に79歳で死去した作家だが、この人の書いたものはいいので、今回、「方丈記」を読むのに選んだが正解だった。この人の手になる「徒然草」も読んでみよう。

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本日は下駄の日。全国木製はきもの業組合連合会が下駄の良さを見直してもらおうと制定。由来は下駄の寸法で7寸7分と「7」の数字がよく使われるためと雪道で下駄の跡が「二の字」なる事から「22」に。

日馬富士全勝優勝。

くちなしの花。