嘉納治五郎の講道館を訪問

文京区春日の講道館を訪問。嘉納治五郎のつくった講道館だ。

このビルには、全日本柔道連盟全柔連)の本部もある。きしくも暴力的指導、金銭問題で揺れている全柔連の理事会と評議員会の日だった。マスコミが多くはっていてものものしい雰囲気。私も理事と間違えられて、女性記者から様子を聞かれるということがあった。

新館2階の「資料室」の中に「殿堂」への入り口があり、その奥に「師範室」がある。資料室は柔道の誕生から世界200各国に伝播するまでの歴史の資料が展示されている。殿堂には、柔道界を担った先達の写真と経歴が記してある。この中で知っている名前は、広瀬武夫6段(1868−1904年)、三船久蔵10段(1883−1965年)、正力松太郎10段(1884−1969年)、西郷四郎6段(1866−:会津藩西郷頼母の養子。山嵐)。そして「師範室」は、柔道の父・嘉納治五郎の記念室である。慶応が先生と呼ぶのは福沢諭吉だけなのと同様に、ここでは師範と呼ぶのは嘉納治五郎だけのようだ。

  • 「順堂制勝」
  • 「精力善用」
  • 「教育のこと天下これより偉なるはなし。1人の徳教広く万人に加わり、一世の化育遠く百世に及ぶ」
  • 「教育のこと天下にこれより楽しきはなし。英才を陶鋳して兼ねて天下を善くす。その身亡ぶといえども余薫とこしえに存す」

勝海舟が小石川の107畳の大道場ができたときに来賓として招かれ、嘉納の模範技を見て詠んだ言葉がある。「無心而入自然之妙 無為而究変化之神」。

創設した宏文学院の関係者にも柔道の指導を始めているのだが、この名簿の二人目に周樹人の名前が見える。後の文豪・魯迅である。魯迅も嘉納の指導を受けたのだ。

このビルの8階に道場での稽古を自由に見ることができる見学席があるので覗いてみた。
外国人(GERとあるのでドイツ人)の男女の練習。日本人の指導者が外国人の団体を指導している。始める時に「嘉納師範に礼」というところから始まる。また外国人に英語で指導している姿もある。かなりのレベルの外国人同士で柔道の型を練習している風景もある。

嘉納治五郎(1860−1938年)は、柔術を柔道に昇華させ、その柔道が多くの俊秀を生み、それが世界に広がって、目の前の道場の光景になっている。一人の志がここまで成長するということに感じ入って、練習風景を見続けた。

売店で、「嘉納治五郎 私の生涯と柔道」(日本図書センター)と現講道館長・上村春樹の「やりきる」(ユナイテッドブックス)の2冊を購入する。

130326

  • 九段で25周年関係と地(知)の拠点関係の企画会議。2時間弱だったが、アイデアがたくさん出て活発で実りある会議となり方向が決まった。大学運営会議の学長からの示唆を受けて、具体化に踏み込んでブレストを行ったもの。こういう会議をいつもしたいものだ。

  • 新宿の京王プラザホテルで多摩大学教職員懇親会。永年勤続表彰・退任教職員紹介と挨拶・新入教職員紹介と挨拶などがあるビッグイベント。毎年このイベントで年度内の行事がすべて終了する。

学園からは、田村理事長、常務理事、真子先生が出席。
寺島学長、田村常務が交通渋滞もあり遅れたので、急きょ諸橋副学長が開会の挨拶、私が乾杯の挨拶となった。

以下、望月先生の退任挨拶から。各ゼミが「25周年記念ゼミ誌」を作成するという提言があった。
「ゼミの多摩大」「現場主義」「知の遺伝志」「25周年記念ゼミ誌の作成」「プロジェクト展開」「問題解決・問題創造」「著書:希望と幸せを創造する社会へ」「童話作家へ」

多摩大草創期の教員の写真。ポスター。

4月から経営情報学部教員となる、右から志賀先生、小林先生、奥山先生。

帰りは、新宿駅で樋口先生とコーヒー。