「木村荘八展」--「東京のあらゆる角度を絵でかいて行く」

東京ステーションギャラリーで改装記念の「木村荘八展」が開催中だ。
東京駅丸の内北口に入り口がある。
木村荘八(1893−1958年)は、多芸多才な人だった。「本業は油絵」と言うのだが、洋画家、挿絵画家ばかりでなく、翻訳、文芸、風俗、演芸等にわたる執筆活動、そして新派演劇、映画の美術考証、小唄、三味線、、、。

「いろは牛肉店」をいくつも持っていた父親の実業家・木村荘平は複数の内妻を持ち、男子13人・女子17人を設けている。そして学業は中学までで、後は店で修業か独立かを選ばせるという方針だった。この30人の兄弟で名をなしたものは、荘八以外にも作家の荘十、映画監督の荘十二など、という説明には笑った。

永井荷風朝日新聞連載小説「墨東奇談」の挿絵を担当し評価を受ける。このとき「オレのウンメイはこれで極まる」とその決意を語っている。樋口一葉の「にごりえ」の挿絵も荘八だった。

友人は、岸田劉生(1891−1929年)、小杉放菴中川一政(1893−1991年)など。

「私は東京を呼吸して生きてゐると思います」
「東京のあらゆる角度を絵でかいて行くという一面は面白い」(「東京繁盛記」序文)
「とりのまちの見せものの このあはれさが かければ 予は死んでもよい」

この企画展では「自画像」が多い。

130406

多摩大社会人大学院入学式。24歳から54歳。平均37.5歳

  • 早く着いた学長と懇談。

  • 大学院入学式。新装なった101教室。入学者について25、26、27、と3つの数字が語られたが、本当は何名か。丁野客員教授。柳孝一先生。
    • 寺島学長:24歳から54歳、平均37.5歳。中年の危機。悩み、苦悩。優れた感受性の持ち主ほど陥りやすい。一人一冊のノート。中年の危機の克服は、使命感の発見と人間関係・ネットワーク。再武装に期間に。参画してネットワークをつくれ。インターゼミに「も参加を。
    • 橋本研究科長:26名+科目履修27名。経営実学志塾。責任とは志。ある・持つ・とる。責任を持つ人を増やす。
    • 田辺同窓会長:何を為すか。歴史に残ることを。
    • 佐藤院生会長:仕事との両立。葛藤。出会い。多摩大にある東洋的思考の可能性。何を発信していくか。
  • 教育サポート室で高野、金子、山本さんの学長室メンバーと打ち合わせ、確認など。
  • 金先生と研究室で懇談。