ラファエロ展。「ヒトラーの秘密図書館」。ラ・フォル・ジュルネ、、

上野の国立西洋美術館ラファエロ展。
この美術館は松方正義の三男の松方幸次郎(1865-1950年)の松方コレクション(浮世絵が8千点を含む1万点)の保存のためにつくった美術館だ。幸次郎は川崎造船所初代社長などをつとめた産業人。1927年の経済恐慌による業績悪化でコレクションを売りとばし散逸したが、パリに渡った400点は1951年のサンフランシスコ平和条約でフランス政府のものになった。日仏友好ということで返却され、1959年に国立西洋美術館が建てられた。

さて、ラファエロである。
ラファエロ(1483ー1520年)はルネッサンス文化の代表的画家である。宮廷画家で詩人であった父のもとに生まれ、8歳で母、11歳で父を失ったが、豊かな生涯を送る。意外に死期は早く37歳で没している。

同時代の大家・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)とミケランジェロ(1475-1564年)と同時期にフィレンツエで過ごしている。当時、ダ・ヴィンチミケランジェロは政庁者の壁画装飾で競っていた。
ダ・ヴィンチは動きのあふれる構図や陰影法、肖像画のやわらかなポーズを作風としていた。
ミケランジェロは、男性裸体像の動きや短縮法、姿勢のバリエーションが特色であった。

ラファエロミケランジェロとはライバル関係にあると目される。
この3人の天才の年齢関係はどうなっているか。
ダ・ヴィンチよりミケランジェロは23歳年下、そのミケランジェロよりラファエロは8つ年下だ。

ローマにもどったラファエロは、教皇の居宅の装飾を行う一員になり、頭角を現す。そしてヴァチカン宮の装飾事業という一大プロジェクトの責任者となる。
このラファエロの特色は、工房の運営に長けていたことである。ラファエロの工房には若く才能のある画工が集まった。ラファエロは彼らを熱心に指導している。能力や適性に応じて仕事を割り振った。この方法は17世紀のルーベンスの大工房へととつながっていく。
ラファエロの死後、弟子たちはヨーロッパ各地に散り、それぞれラファエロを讃えながらそのDNAを引き継いでいった。短い人生だったラファエロが大きな偶像的存在になったのには、こういう事情があった。

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ティモシー・ライバック「ヒトラーの秘密図書館」(赤根洋子訳・文芸春秋)を読了。

ヒトラーの秘密図書館 (文春文庫)

ヒトラーの秘密図書館 (文春文庫)

ヒトラーの蔵書、読書という視点から、ヒトラー誕生の秘密と思想の源を探った労著である。

フリードリヒ大王の模範。世界の首都たるベルリン。スエーデンの探検家ヘディンの冒険物語。1万6千冊の蔵書、7千冊が軍事。毎日1冊以上の読書。フォード賛美。無学な男。出典を明らかにしない思想開陳。ドイツ経済の崩壊とともに首相になる。優越人種と劣等人種。アメリカ賛美。人種的・優生学的に浄化された世界を目指す勇気。百科事典をひく習慣。タルムードの鍛錬という鉄工所で鍛え上げられてきたユダヤ人は真のドイツ人にはならない。血と魂の腐敗。抜群の記憶力。共産主義キリスト教の私生児だ、どちらもユダヤ人の副産物。ドイツは血と土によて統一された民族国家だ。ポーランドの絶滅。

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5月3日から丸の内で始まった「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン熱狂の日」を覗く。どの会場も満杯だったので、東京国際フォーラムで野外の上野音楽大学の二人のピアノ連弾を聴く。
20年ほど前に勤めていた丸の内も、東京駅を初めとして多くの新ビル群ですっかり変わった。