「上を向いて歩こう展」--中村八大・永六輔・坂本九

世田谷文学館の「上を向いて歩こう展--奇跡の歌から希望歌へ」を観てきた。
永六輔作詞・中村八大作曲・坂本九歌の、日本が生んだ世界的大ヒットである。
1961年に発表され、「SUKIYAKI」と命名されて1963年にはビルボードランキングで1位になり、それが3週続いた。翌年にはアメリカで100万枚に達し、ゴールドディスクをもらうという栄誉をもらう。こういう歌は日本からはその後も出ていない。空前絶後の出来事だった。現在この歌は70ケ国で歌われている。

上を向いて歩こう」は、1985年の日航機事故で坂本九が亡くなった後も日本人に愛されて歌い継がれてきた。そして2004年の台風23号による水害でバスの屋根で一晩過ごした乗客がこの歌を歌って互いに励まし合うという事件も起こる。
2011年の東日本大震災でも、復興の歌として毎月3月11日に全国でこの歌を歌う運動が続いている。不思議な力を持った歌だ。

中村八大は1931年中国青島生まれ。10歳の時、荒城の月とさくらさくらを聞いて、「涙をとめどもなく流し、このときに初めて生涯をかけて、大音楽家になろうと、心に誓ったことを覚えている」と述懐している。1954年に早稲田に入るために久留米から上京する。「いよいよ僕自身の人生が、僕自身の未来が、僕自身の手で限りな開けてゆくのだ」と記している。
いずみたくは1万5千曲。古賀政男5千曲。浜口庫之助5千曲。服部良一3千5百曲。ところが中村八大は意外に少なく5百曲にも満たない。しかし「黒い花びら」「こんにちは赤ちゃん」などレコード大賞をとった曲も多い。

中村八大は決意と計画の人である。これも意外だった。

  • 多数の霊との条約:願望達成の瞬間までの絶対的禁煙。週1回を越えない変質量。飲酒は家庭で主に小量。生活規律化の実行。金銭のけん約。基本的学(楽)門。適度の運動。眼前の仕事を直ちにしょりする実行力。(10代の後半)
  • 中村八大は他から作られず、自分で完成させる物也。よってすべての環境は、彼にとって生かされる・中村八大が送る生涯は自分が製作する人生也。中村八大は永遠に生きねばならない。中村八大は誰よりも苦しく、誰よりも幸せでなければならない。中村八大は今日から決定的に作られて行く。1953年十月二十一日 右の通り決定する。(20代の日記)-

永六輔は1933年浅草生まれ。早稲田。新しいソングライティングのスタイルを生んだ。
「詞とメロディが同時に発生し、詞のさわりのところにメロディを乗せ、メロディの良いところに詞をつけてもらい、共同作業で曲を完成させた場合には、ほとんど良い結果が生まれる」(中村八大

第3回中村八大リサイタルで、ロカビリー歌手だった坂本九中村八大に抜擢され、「上を向いて歩こう」をを歌う。1941年川崎生れ。

中村八大は、私の母の幼馴染である。青島では同じビルの1階に住んでいてよく遊んでいた。「八ちゃんは、ピアノの天才で足でピアノを弾けた」という。私も子供の頃、八大さんが中津でコンサートをやったときに会ったことがある。
永六輔さんは、日航の広報部にいた時に仕事で何度も会っている。その時に中村八大さんとの縁をお話したら、興味深く聞いてきれた。会いに行こうと思っているうちに八大さんは亡くなってしまった。
坂本九さんには会ったことはないが、御巣鷹山の事故で奥様の柏木由紀子さんのお世話を同僚がするのを見ていた。
こうやってみると、それぞれに何か縁がある。

中村八大

  • 新しい時代がくる。新しい音楽の時代がくる。音楽こそ僕の生命だ。
  • 謡曲を素直に心から愛せる人間は人生に対して一番正直な人間だと思う。
  • 多くの音楽を持つことがその人の幸せの量と比例するだろう。
  • 心の中のドロドロを、そのまま認めて一緒に歌ってくれる歌謡曲。ドロドロの人生をさけて明るく楽しい人生を夢見させてくれるポピュラーソング。若者の真実の心情をみなに聞かせて共感を呼びたいフォーク・ソング。1年のうち300日目ごろには、どうしようもなく積もるい積もった人生のアカを、一夜で洗い流してくれるベートーベンの「第九交響曲」。音楽はみな大衆のものだ。
  • メロディはえんえんと続き、ほんの些細な一日の出来事のひとこまが、長い歴史の中の先祖とつながり合い、楽しい未来を約束し、見も知らぬ土地の見も知らぬ人たちとの出会いにつながり、、、音楽の感情としてのつながりが生じ、言葉はなくとも笑顔が重なり、富める人も貧しい人も何のわだかまりもなくうちとけ合って笛を鳴らし、足ぶみし、生の歓びが天空を駆って、未来永劫に全人類に通じるように、、、。


佐藤剛上を向いて歩こう」(岩波書店)を読了。

上を向いて歩こう

上を向いて歩こう