「没後80年 宮沢賢治・詩と絵の宇宙--雨ニモマケズの心」展

先日テレビで放映された「平成狸合戦ぽんぽこ」をビデオで観賞。
私の住んでいる南大沢の長池見附橋が出てきたのにびっくり。
このアニメは語りが古今亭志ん朝。声の出演者も野々村真泉谷しげる三木のり平芦屋雁之助桂文枝、柳谷小さんなど豪華キャストだ。スタッフも、徳間康快氏家斉一郎宮崎駿鈴木敏夫など。1994年製作だからもう20年前の高畑勲監督作品。

                                                                                            • -

本日のNHK「手塚治虫石ノ森章太郎」特集は面白かった。
師弟関係でライバル関係の二人。どちらも60歳という若さでの夭折だった。



                                                                                            • -

世田谷文学館で「没後80年 宮沢賢治・詩と絵の宇宙--雨ニモマケズの心」展が7月13日から始まった。
宮澤賢治が亡くなった時、1933年9月22日付けの岩手日報は「詩人宮澤賢治氏 きのふ永眠す 日本詩壇の輝かしい巨星墜つ」が見出しだ。「日本詩壇にかつてない特異の存在を示し新しい巨星として全日本詩壇注目のうちに詩作を発表していたもので詩、童話その他数十巻の未刊の作品を所蔵され、その非ジャーナリスティックの故に高名であり、、、」とある。

葬儀の弔辞。森佐一・藤原嘉藤冶・母木光。
「私どもはあなたの芸術を世界第一流のものとして大きいほこりをもつのに御本人のあなたはこの世のものではないやうな謙譲でひたすらかくして居られました。この町の人々は、そして日本の人々は五十年或は百年の後にあなたがどのように偉かったかといふことがわかりでせう」

今回の発見は、父・政次郎と賢治の宗教上の闘いだ。
政次郎は浄土真宗に深い信仰を持ち、高名な僧侶を東京から迎えて大沢温泉などで講習会を開くといった人物だった。また経済人でもあった。
賢治は、1920年に田中智学が創設した日蓮主義の在家信仰団体・国柱会に入会する。そして「法華文学ノ創作」を志す。
親鸞の他力本願と日蓮の法華信仰とは正反対の教えである。浄土は死後にあるとしひたすら南無阿弥陀仏を唱えよという真宗。この世を浄土にしようと願い南無妙法蓮華経を唱えながら現世の改革にあたろうとする日蓮宗。世界観の違いが鮮明になり、法論を戦わす。遺言として「国訳 妙法蓮華経を1000部作ってください」と父に頼み近親者に配る。賢治の死後、父・政次郎は日蓮宗に改宗する。

死後発見された手帳に記された「雨ニモ負ケズ」の最後の「ソウイウモノニ私ハナリタイ」のさらに最後に「南無妙法蓮華経」と書いてあった。それを仙台時代に花巻市の記念館で見た時には違和感を覚えたが、その真意がようやく理解できた。

宮澤賢治の生まれた年に明治三陸地震があり、没した1933年には昭和三陸地震があった。天災と凶作の37年間だった。