ピカソのキュビスム。ルノワール礼賛。団琢磨の箱根ハイランドホテル

愛犬・ちょこらの追悼旅行で家族で箱根へ。
相模原愛川から圏央道に乗って、厚木から小田原厚木道路で箱根。
まず、彫刻の森美術館のピカソ館。二度目。
この彫刻の森美術館は産経新聞50周年、ニッポン放送30周年、フジテレビ25周年を記念してフジ・サンケイグループの総力を挙げて、1984年に開園した美術館で、広大な庭園のあちこちにロダン、ムーア、佐藤忠良朝倉響子、などの作品を楽しむことができる。

ピカソ館では、キュビスムの解説が目についた。

1907年に「アヴィニョンの娘たち」でキュビスム(立体主義)が始まった。
今までの伝統的な肉付けの仕方や明暗法などのごまかしを使わないで表現できるかがテーマだった。
1916年にアンドレ・サイモンが「二次元の平面に三次元の事物」を表そうとしているとして、キュビスムと命名。
様々の角度から見た部分を解析し、それらの面を強調しながら、つなぎ合わされた表現だった。これは分析的キュビスムと呼ばれた。
その後、ブラックが現実の断面を加えたり、新聞や雑誌などの印刷物を切り取って画面に貼るなどして、総合的キュビスムも誕生している。
このキュビスムの考えかたに興味がある。

「作品を仕上げる?なんて馬鹿げたことを!」「一つのものを仕上げるとは、それを終えること、それを破壊すること、それから魂を奪い去ること、闘牛場の牛みたいにそれに「とどめ」を刺すということだ」。

ピカソは陶器づくりにも凝っている。絵画と彫刻の結合したものと捉えている。
火に焼かれて予測できない変化を生むという魔術性があると言っている。

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お気に入りのポーラ美術館で「ルノワール礼賛」を観る。

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箱根の道路で、ちょこらと同じ犬種のキャバリアを二匹見かけた。ちょこらからのメッセージという気がする。

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宿泊は箱根ハイランドホテル。
この地は、工学者・実業家の團琢磨男爵(1858-1932年)の別邸だった。

團琢磨は三井合名理事長や日本工業倶楽部理事長を歴任した経済界の大立者だったが、1932(昭和7年)年に暗殺される。享年75歳。前大蔵大臣の井上準之助も暗殺された血盟団事件である。
團琢磨の長男・団伊能の長男は音楽家の団伊球磨だ。
1957年には伊能はこの別邸をホテルとして活用する。それがこの箱根ハイランドホテルである。「品格のあるホテル」を目指した。夏に長期滞在する経済人、俳優、スポーツ選手も多かった。外相であった藤山愛一郎もこのホテルを使ったそうだ。1961年に小田急グループに系列になった。
確かに小規模でゆったりして品のいいホテルである。