下村観山の画業と生活

観測史上第一位の積雪のため、丸一日自宅に籠城。
思いがけない時間をもらったので、読書「リベラル再生の基軸」(寺島実郎)と映画を堪能した。

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下村観山の画業と生活。

身近な人々が見た観山。

  • 三男・英時「元来、筆不精の人で、随分手紙では諸方へ不義理をした」
  • 菱田春草「全然独創的に新領域を開拓する人ではないやうである。前人の既に着手した跡を探ねて、それに自家の意趣を加えて画を作る人である。それが穏健なる下村君の長所である。又た甚しい失敗に陥ることのない所以である。」
  • 内山敦子「天賦の画才と出自に恵まれた人であり、また古典への精通から、創造性以上に換骨奪胎の妙を評されることの多い画家であった。」
  • 妻仙子「画室には鍵をかけて、誰も入れません。何事も自分でしなければ気の済まぬ性質で、、。毎日古画を出しては嘆賞しながら、仏画を描いております。」
  • 野間清六「またそのころ(日本美術院再興後)から大観の画風は急速な進境があったのに対し、観山の画風は停滞し勝ちであった」

住み込み書生の弟子や子息が筆記した「画坊日記」からみえる日常。

  • 捌ききれないほどの応需制作におわれながら院展出品画の制作や公的な依頼をこなし、画壇における交際や来賓の応接にも応じる多忙な日常。
  • 朝・昼・晩に酒を飲むのが習慣で、飲酒絡みの弟子の嘆息が散見される。体調不良の遠因に過度の飲酒がある。

師・岡倉天心の言葉。観山は天心の教えを一番守った弟子だった。

  • 「人の型に入る勿れ、自分の影を踏むなかれ」
  • 「いたずらに古人に模倣すれば必ず滅ぶ。系統を守りて進み、従来のものを研究して、一歩を進めんことを勉むべし。西洋画、よろしく参考すべし。しかれども、自ら主となり進歩せんことを。」

観山は食道がんを遠因とする心不全で57歳で没している。大観は90歳まで生きたから、人生の長さは33年も違う。やはり、人は生年よりも没年が重要だ。

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映画(DVDとテレビ)

  • 「ロッキー」:アリと無名のウェブナーとの対戦にヒントを得て、スターローンが3日で脚本を書き上げ、プロダクションに売り込むがうまくいかない。ようやく決まりかけるが自身が主演のはずが「主演にポール・ニューマンロバート・レッドフォードアル・パチーノといった有名スターを起用する」との条件を拒否。長い時間の後「 ギャランティーに関しては、監督は普段の半分、スタローンは俳優組合が定める最低金額、プロデューサーはなし。 制作費はテレビシリーズ1本分(約100万ドル)。 36万ドルまで高騰した脚本料を2万ドルに減額。」という条件で成立。第49回アカデミー賞作品賞ならびに第34回ゴールデングローブ賞ドラマ作品賞受賞作品となる。主演男優賞
  • ペリカン文書」:検察官を目指し法科に通うダービーは、世間を騒がす最高裁連続殺人に関する自分なりの説をまとめ文書を作った。それがいつの間に国家の上層部の黒幕の目に触れ、“ペリカン文書”と名付けられ、彼女は命を狙われる。恋人でもあった恩師は殺された。孤立無援の彼女を助ける者は敏腕新聞記者。ホワイトハウスの犯罪を描いたストーリーに引き込まれた。

[学部長日誌「志塾の風140215

  • 大学院の修士論文最終試験の日だったが、観測史上第一位の積雪。交通機関が大きく乱れたが、朝になっても大学院からの連絡が全くない。6時過ぎにメールを出すが返事がない。6時半過ぎに事務長に電話して、院生と教員に至急連絡するようにと連絡。その後、ようやくメールで中止の連絡が来たが、対象院生と教員も大混乱した模様。
  • 徳岡先生から電話連絡があり、院最終試験と院教授会の日程を調整。