「鳩山一郎回顧録」kindle版を読了

鳩山一郎回顧録」kindle版を読了。

ライバルの吉田茂との確執、戦後間もなくの政界の人間関係とゴタゴタが率直に書かれている。
終戦、吉田茂との約束、公職追放、脳溢血、吉田内閣打倒、鳩山内閣誕生、保守合同、日ソ交渉、引退、、。
kindle版のハイライト機能を使って傍線を引きながら読んだ。

偉い人の父親は偉い場合と偉くない場合とあるのだが、母親は総じて偉い場合が多い。
この鳩山一郎の母親の教育観と努力には感銘を受けた。
早朝の3時半から登校前の7時まで約3時間乃至3時間半の間に英漢数の三種目を母から教わっている。

  • 子供に自発的に学問をしようとする欲が出てくるまでは勉強を強制して人後に落ちないようにさせなければならない。しかし、一たん欲が出てくれば自分自身で勉強できるからそうなった時には自分は干渉しない。
  • 私がお前に働きたいという意欲を残してやることが出来れば、それ以外に何物も残さなくとも充分な贈り物だ。それが無限の贈り物である。

父の言葉。

  • One thing at one time。自分のやっていることそれ自体に全身全力を集中しなければ目的の完成を期することは出来ない。

鳩山という人は、ゴルフ、囲碁など趣味も多彩で、それぞれ真剣にやっているから何に対しても独特の考えを持っている。追放の時代には、軽井沢で百姓生活を身につける。そこで天地自然に対する感謝の念を持つようになった。この百姓生活も細かに回想している。

吉田茂との確執。

  • あれこれ思い合わせると私の追放解除は吉田内閣の手で阻止されて引き延ばされていたことは確かであった。
  • 事実は吉田内閣が色々と小細工をやっていたのでおいそれと解除にならなかったのは当然である。

鳩山は脳溢血で倒れるが、この病をなんとか克服して政界に復帰する。
「闘病生活は一つの精神闘争なのである」という言葉には納得した。
「昼寝の習慣が、私をここまで持ちこたえさせてきた一番大きな原動力であると思っている」。
谷口雅春「生命の実相」。漱石草枕」、、。

鳩山内閣の大仕事は、日ソ交渉である。

  • ハボマイ、シコタン両島までは、日本に譲ってもよいという態度を示したが、エトロフ、クナシリ島となると、ガンとして承知しない。

モスクワに行くことを決心した日に「日ソ交渉を果たし終えたならば引退しよう、これが私の念願であった」と書いている。そのときの心境は、明鏡止水だった。
鳩山は「明鏡止水、熱腸冷眼」とよく揮毫した。

鳩山はクーデンホフ・カレルギ氏の著作に影響を受けている。
平等と自由のための革命はあったが、友愛のための革命はない。しかし民主政治のためには、この友愛革命が必要だという。民主主義は自分と同時に他人の自由や人格も尊重する思想が基盤として必要だからといいう理屈であった。

引退後。
「年寄りにとっては、長生きすることはむしろ苦痛でさえある。一切の希望や、すべての楽しみがなくなってから、まだ長く生きなければならない。というのだから、それには、よほど人生に対する考え方を変えなければ、耐えられるものではない。
漱石の「虞美人草」の一節がこの回顧録の最後だ。
「人一人真面目になると、当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる。」