山田方谷。犬養木堂。

山田方谷資料館
山田方谷(1805ー1877年)。
備中松山藩の藩校有終館の会頭・学頭。
藩主板倉勝静の教育係。名君と賢臣の名コンビ。元締役・吟味役。暗殺の危険も。
板倉は幕末最後の老中首座。
8年間で10万両の借金財政から10万両の蓄財へ転換。46歳から藩政改革を断行。
質素倹約・借財整理・藩札整理・産業振興・民政刷新・文武奨励。
30歳。佐藤一斎に学んだ陽明学者。塾では佐久間象山と二傑。塾頭。
著書は「理財論」。
「事の外に立ちて、事の内に屈せず」
「何事も誠意をもって対処」することを進言。
大政奉還の原文えお書いたと言われる。
明治政府の要職を依頼されるが固辞。
池田光政閑谷学校という日本初の庶民の学校にも出講。



方谷園。
2000坪の庭園。
方谷園碑は弟子の三島中洲の書。三島は二松学舎の創立者。
「君子は義を明らかにして利を計らず」


伯備線方谷駅
個人の名前を冠した唯一の駅。
長瀬塾には河井継之助が長期滞在。
人間教育を重視。
学規が5つ。起床・消灯は休みの日も同じ。秋冬にはしっかり読書。


山田方谷記念館。
新見市。備中聖人。看板は片山虎之助の書。
気如春。
仁の人。礼の人。忠の人。孝の人。
真誠惻だつ。誠意を尽くして人を思いやる心。
終焉の地。母の故郷。66歳で大左町に移住。


方谷庵。
継志祠堂。3畳二間。
最後は教育者。


方谷園。
10mの遺跡碑。勝海舟の筆。実践躬行の人。
没した時の枕あった地点。

犬養木堂記念館。
1855年生まれ。36歳で衆院初当選。連続19期当選。42年間。
普通選挙t議院内閣制。
憲政の神様。海外にも木堂会。軍を厳しく批判。
5・15事件で凶弾に倒れる。首相在任わざか5ヶ月。
寛恕の思想。


犬養家の墓。犬養総理の碑。


夜は知研岡山のメンバーとの交歓会。
二次会ではカラオケ。