水上勉の自伝「冬日の道・わが六道の闇夜」

日本図書センターが出している「作家の自伝」というシリーズがある。
1998年時点で90冊ほど刊行している。
今回は作家の水上勉冬日の道・わが六道の闇夜」を読了。

水上勉(1919-1997年)が直木賞を受賞する42歳まで、貧乏と波乱の人生の荒波を過ごした人だった。
ある編集者が「文壇へわらじ履きで登場してきた観がある」といったそうだ。
中学をやっと出て、後は多くの職業遍歴を重ねている。
日本農林新聞、報知新聞、学芸社、三笠書房日本電気協会、小学校助教、虹書房を起業、文潮社、日本繊維新聞、東京服飾新聞、洋服行商人。
「霧と影」「不知火海沿岸」「海の牙」を経て中山義秀から「お前、人間を書け。人間を書くしかないぞ」と諭されて、「雁の寺」を書き、直木賞を受賞する。
自伝の後半の「わが六道の闇夜」は、53歳の時点で「私という人間が、どういう育ち方をして、今日のようなひねくれた心の持ち主になったのか、そこらあたりの事情を、出来る限り書いてみい」と思い立って幼少からの体験をつづっている。
20数年間電燈がなかったほどの貧乏。禅寺へ小僧として出家。食べ物の差別と兄弟子たちからの隠微な集団的いじめ。脱走。禅宗坊主の虚偽世界。京都府庁の雇として満蒙開拓少年義勇軍の募集と自らの応募。奉天で中国人虐待の生活。肺病となって帰国。多くの女たちとのこと。
まことに不幸な日々であり、たどり着いたぼは「西方浄土などはなくて、永遠にここは地獄である。それなら、地獄の泥を吸って滋養となし、私は長生きしたい」という心境になっている。壮絶な前半生の記録だ。

先日訪問した世田谷文学館では「水上勉ハローワーク 働くことと生きること」展をやっていた。
このテーマは不思議な感じがしたが、水上の人生の遍歴をみると、その資格はある。

  • 仕事から教えられる。仕事が人を磨いてくれる。
  • 職業というものはそれにたずさわる側の人の側で、ずいぶんちがうものであり、いいかえれば天職にもなるし、ならぬこともある。
  • 生き死にについて対立的に考えなくなり、ただ今、ここにあることが生命の全体だ、という考え方が深まってきた。

並んでいる資料を眺めていて気がついたのだが、就職のための履歴書には立命館大学を卒業したことになっていた。実際は入学したもののすぐに退学しているから、学歴詐称だとおかしくなった。

                                                                                              • -

電子書籍「図解 資本論」に関するニュースから。

141212

午前。