「大関ヶ原展」--神君・徳川家康

東京江戸博物館で開催中の「大関ヶ原展」。

近くの蕎麦屋「ほそ川」で昼食。ここは友人に連れられてきたことがある。
この博物館の改装が終わった初日。やはり人が多い。

徳川家康没後400年記念特別展.
家康は1542年生まれで、没したのは1616年、75歳だった。
豊臣秀吉は、1537年生まれで没は1598年で62歳。家康は秀吉より5つ下で、かつ13年長生きしたから、秀吉の死後18年間を生き抜いたことになる。この18年の時間の重さが、徳川幕府の成立につながったのである。
織田信長は1534年生れ。秀吉より3歳年上だった。
家康は石田三成(1560-1600年)より18歳の年上であったことになる。この三成を敵に見立てて関ヶ原で大勝負を挑むのである。

朝鮮通信使は400-500人の規模で来訪したが、江戸時代には琉球から恩赦使が100-200人規模で18回も江戸を訪れている。
江戸では薩摩藩の江戸屋敷に逗留している。沖縄問題はやはり一筋縄ではいかない。

八王子千人同心を見つけた。その上司は千人頭で二百俵の格で10人ほどいた。その上司は鑓奉行といわれる職位で2000石、その上役が老中で、将軍につながっている。

広重の「名刺江戸百景」展も開催中だった。
美人画、役者絵、武者絵、そして名所絵師になっていく。このカラフルなシリーズ絵は120枚ほどある。
一昨日訪問した東京富士美術館の「東海道五十三次」はむしろ地味だったが、これは派手な色づかいだった。

家康は「東照大権現」という神号を死の翌年に朝廷から宣下されている。家康の神格化を推し進めたのは天海和尚である。
秀吉は「豊国大明神」だ。信長は「建勲」。
家康自身が自己神格化の意向をあとに託していた。深い配慮だろう。
明治政府以降の近代政府は、は徳川政権を倒した政権であり、家康については厳しい見方をしている。
最近、家康関係の本をみると、実際は懐の深い大政治家であったと思うようになってきている。
しばらくこの人物の事績を調べたい。
愛用した古語「あたを報するに恩を以てする」。

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サントリー美術館で開催中の「若冲と蕪村」展もみたので、この内容は明日記す。

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命日。

  • 内村鑑三
    • 父母に棄てられたる子は、家を支える柱石となり、国人に棄てられたる民は、国を救う愛国者となり、教会に棄てられたる信者は、信仰復活の動力となる。
    • アノ人はこの世に生きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したと思います。

誕生。

  • ゴーリキー
    • 才能とは自分自身を、自分の力を信じることである。
    • 仕事が楽しみなら、人生は極楽だ! 仕事が義務なら、人生は地獄だ!
  • 邱永漢:貯蓄千両、儲け百両、見切り千両、無欲万両。
  • 岩谷時子:右手だけでは何も書けない。左手で紙をおさえて初めて字が書ける。左手あってこそ右手が自由に働ける。夫婦も友人も人間はみな互いに右手と左手のようなものなのかもしれない。