沖縄史、あるいは現代の沖縄の全体像を描く場合に、最も希薄な部分は前近代史である。
それを解明するために、著者は資料と取り組むと同時に、沖縄の離島を訪ね歩いて人々から話を聴いている。
そし沖縄在住の歴史家として著書を著すだけでなく、書斎を出て活動を開始する。
その活動のおそらく最大のものは、首里城の復元への参加である。沖縄内外の人々が必ず訪れるであろう、琉球王国のシンボルである首里城の復元のアピール力は何物にも代えがたいという意識のもとに、そのプロジェクトにのめり込んでいった。
その合間に書いたのが、この「琉球王国」である。
- 作者: 高良倉吉
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1993/01/20
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- 「沖縄学の父」伊波普修は、沖縄県立図書館長としての勤務の傍ら、沖縄の歴史と文化を解明する仕事に取り組んだ。「自覚しない存在は悲惨である」と伊波は語った。
- 歴史を学ばない民族の未来は暗澹としているということであろう。
- 1907年の京大経済学部の河上肇舌禍事件では、河上は沖縄の独自性を発揮せよとの論陣を張ったが、画一化を志向する沖縄のリーダーたちには響かなかった。日本は単一国家ではなく、沖縄という日本の中の異国を包含した日本の歴史の再構築が必要であると、著者は伊波の柩を担ごうとする。
- 沖縄は、奄美、沖縄、先島(宮古・八重山)で構成される。
- 14世紀に出現した三山(山北・中山・山南)を統一した中山の英雄・尚巴志は1429年に琉球王国を成立させる。中華帝国との冊封をこの琉球王国が担っていく。それはアジアの中の琉球という立ち位置になっていく。進貢国間のネットワークを用いて朝鮮、東南アジア諸国と活発な外交と貿易を展開した。王国の黄金時代を築いた尚真王は1526年に死去するまで50年間にわたって君臨する。この王は各地のグスク(城砦)に蟠踞する豪族を首里に集め中央集権体制を推進し官僚制を整備した。造営事業も盛んに行っている。
- 秀吉の朝鮮出兵への加担を拒否したが、家康は中国との関係修復の斡旋を求めたが、琉球は従わなかったため、1609年に家康の意向を受けた薩摩藩は兵3000を送り征服する(島津侵入事件)。この結果、奄美地域は薩摩の直轄領となった。その後も琉球王国は存続し、徳川将軍と薩摩藩に従属する一方で、中国との冊封体制も存続した。「幕藩制国家のなかの異国」となったのである。これ以降を近世琉球と呼ぶ。独立国家時代を「古琉球」と呼ぶ。
- 琉球は1年1度の進貢と優遇された(ジャワは3年、日本は10年)。中国商品を大量に入手した琉球王国は、福州、広東、安南、ルソン、カンボジア、シャム、マラッカ、スマトラへと連なる海のシルクロードの拠点となって中継貿易で栄える。マラッカではインド洋、西アジア、地中海世界につながっていく。貿易は国王の経営する事業であり。首里城が司令塔となった。
- 1879年の明治政府の廃藩置県にもとづく「琉球処分」によって王国は崩壊し沖縄県が設置される。この事件は中国との間でのもめ事にもなっている。
- 第二次大戦の敗北による連合軍の日本占領は、1951年のサンフランシスコ平和条約で終わる。しかし平和憲法下の本土と、アメリカ統治が継続した沖縄は異なった道を歩む。
- 1972年には本土復帰が実現する。しかし米軍基地は狭い沖縄にほとんどが集中するという結果になった。
- 伊波普猷は、琉球史の課題は日本民族の一支族が、異なった境遇に置かれて、どう変化したかを検討することにあると述べている。古琉球を含む琉球史の個性を取り込んだ新しい日本史像を描く必要があ、それを沖縄の側から提示すべきである。というのが著者の主張である。それは日本史だけでなく、東アジア史を豊かにする。
沖縄は経済的自立をどう獲得するかが現下の大きな課題であるが、貿易によってアジアとのネットワークを形成していた琉球王国の姿は大いに参考になる。「観光と貿易」がキーワードになるのではないだろうか。
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名言の暦 6月1日
命日
- 徳川家康1616
- 諫言は一番槍にまさる。
- 強敵がいなくなれば、こちらの力も弱くなる。
- 人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。不自由を常とおおえば不足なし。こころに望み怒らば困窮したる時を思ひだすべし。堪忍は無事長久の墓、いかりは敵とおもへ。勝事ばかり知りて、まくることを知らざれば害其身にいたる。おのれを責て人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。
- 杉田玄白1817:われより古(はじめ)をなす。
- ヘレン・ケラー1968
- 障害は不自由ではあるけれども、決して不幸ではありません。
- 楽天は人を成功に導く信仰なり。
- イヴ=サンローラン2008:Dressing is a way of life. (服装は生き方である)
誕生日
- 西郷従道1843:造らないかんものなら、仕方がなかでごわしょう。それ(文部省の予算流用)が知れて、許してもらえんのなら、山本さん、二人で二重橋(皇居)の前で腹ば切りもんそう。二人が死んで主力艦ができればそれで結構です。
- 原阿佐緒1888:いきながら はりにぬかれし ちょうのごと もだえつつなお とばんとぞする
- 清水安三1891:中国語で「勉強(みえんちあん)」という言葉には強制する意味があって、あまり楽しくないニュアンスを持っている。中国人は「勉強する」とはいわず、「用功(ゆんくん)」という。彼らは「学びて時にこれを習う。また楽しからずや」といった孔子を先哲とする民族であるからだ。米国の学生は、学期末の試験で答案の最後に「先生の講義を心からエンジョイしました。ありがとうございました。―I have enjoyed your course very much,Thanks.」と書くのが常である。
- 中村清1913:若いころ流さなかった汗は、年老いて涙となって流れる。
- マリリン・モンロー1926:
- 山下康裕1957:起ることはすべて、必要があって起るんだ、と思うんですよ。