午前は後援会総会。午後は父母対象の教育セミナー。

私の履歴書」---昭和の先達に学ぶ生き方(石田修大)」を読了。

「私の履歴書」──昭和の先達に学ぶ生き方 (朝日新書)

「私の履歴書」──昭和の先達に学ぶ生き方 (朝日新書)

著者は日経の記者で、「私の履歴書」やコラム「春秋」を担当した。
その人が書いた本なので、厚みがある。
昭和を意識した本ということで、時代認識が参考になった。

今年2015年は、1925年(昭和元年)から90年、そして戦後70年にあたる。
明治(1868年)以降の80年足らずの期間は、内戦、内乱を含めて、戦争だらけの80年であった。
戊辰戦争(1868年)、西南戦争[1877年)、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)、第一次世界大戦(1914年)、シベリア出兵(1918年)、満州事変(1931年)、日中戦争(1937年)、太平洋戦争(1941年)。
満州事変以後は15年戦争となった。ほぼ10年をおかずに戦争が繰り返された。

徳川幕府260年余と戦後70年は戦争がなかった。
1603年から400年余の期間で、戦争があったのは明治以降の80年弱の期間だけだ。
後の320年間は、日本は戦争をしなかったということになる。

平均寿命が50歳を越えたのは戦後のことであり、その前は男女とも平均寿命は40歳だった。
合計特殊出生率は、1925年は5・11、1930年は4・72,1947年は4.54となっており、終戦直後まで日本の母親は5人前後の子どもを生んでいた。
生後1年未満の乳児の死亡率は1900年は15.5%であったが、2012年には0・22%になっている。昭和の戦前までは多産多死の時代だった。

個々の著名人のエピソードは省く。

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名言の暦 6月28日

命日

生誕

  • ルソー1712
    • わたしは書物はきらいだ。書物は知りもしないことについて語ることを教えるだけだ。
    • わたしの財産の最初の使いみちは、それで暇と自由を買い取ることだ。
    • もっとも長生きした人は、もっとも多くの歳月を生きた人ではなく、もっともよく人生を経験した人だ。
  • 滝田樗陰1882:
  • 古今亭志ん生1890:出世しようの、いい真打になろうという考えはない。ただこれが好きなんで、はなしを覚えた。
  • 梁瀬次郎1916:その人の幸せ、不幸せを決めるのは、「でも」か「では」だ。40歳になって「今からでもできる」と思うか、「今からでは無理」と諦めるかは、その人の10年後に大きな影響を及ぼす。

150628

午前:後援会総会。以下、無事に承認される。

冒頭の挨拶と、2015年度事業計画の説明を担当。

  • 2014年度事業報告・決算報告
  • 2015年度事業計画・予算
  • 役員

後援会役員との昼食会。

  • 熱心な教育ということは理解するが、「大学としての将来展望は?」という質問が会長さんからあり、「なかなか難しい質問でありますが」から始めて私が思っているところを答えた。現在を磨き上げていくこと、社会人教育、時代への対応、私立文科系問題、、、、。

午後:教育セミナー:第1部

  • 後援会長挨拶
  • 副学長・学部長「教育方針」


現時点での状況(入試:好調、就職:堅調)。学長の「新・観光立国論」(アジア・観光・ビグデータ)。多摩が激変(中央リニア・圏央道の完成。都市と農村へのアクセス)。多摩大の時代。2014年実績(施設の大幅改善)。2015年度(ゼミ力の多摩大、アクティブラーニングの先進大学へ)、、、。

  • 各委員会の取り組み説明(教育内容)
    • 金子教務副委員長
    • 森学生委員長
    • 中村国際交流委員長
    • 梅澤就職委員長

教育セミナー:第2部

  • ゼミ別懇談会:プレゼミとホームゼミの合同:私のゼミでは4年生の父兄と1年生の父兄が一緒になることで意外な展開があった。1年生のお父様がITの創業社長で、4年生の悩める就活生についてのいいアドバイスをいただいた。ヨコの交流とタテの交流も大事だ。

  • 個別相談会(職員)

終了後、ラウンジでゼミ別懇談会に参加した先生たちから様子を聞く。

帰り際に川手総務課長に御礼の挨拶。

午前の父兄面談も含め、学部の総力をあげて実施したイベントは、すべて問題なく、そして成果をあげて終了。