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大学にて

久しぶりに大学へ。

「名言との対話」2月10日。松浦武四郎

  • 「我死なば焼くな埋めな新小田に捨てて秋のみのりをば見よ」
    • 幕末の探検家・松浦武四郎(1818-1888年)は、伊勢松坂で生まれた幕末の蝦夷地探検家で、「北海道」の名付け親である。明治政府開拓使判官であったときに、北加伊道という名前を提案した。それは、「日本の北にある古くからのアイヌの人々が暮らす広い大地」という意味である。それをもとに現在の北海道という名前が生まれたのである。アイヌに深い共感と同情を寄せており、アイヌからもっとも信頼された人物だった。また父は本居宣長に学んだ人であり、武四郎自身も勤王の吉田松陰藤田東湖とも親交があった。
    • この人は興味が広く、そして一日に60キロを歩くという健脚の持ち主であり、日本全国を歩き、その見聞を野帳に書きつけ、それをもとに240冊を超える著作を残した。28歳で最初に蝦夷地に入り、41歳までの間に6度の蝦夷探検を実行して、151冊の調査記録を残している。探検という行為は、計画、実行、報告というプロセスがあり、最後の報告が重要なのだが、松浦武四郎の報告は尋常な量ではない。
    • 京橋のINAXギャラリーで、「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷」展を開催していたのをのぞいたことがある。実に渋い企画だった。神田の住まいを終の棲家とし、この家の東側に8年余りの歳月をかけて書斎をつくりあげた。それはわずか一畳の畳と、これを縁取る畳寄せからなる簡素な部屋であった。宮城県から宮崎県から91の古材を集めで、つくった書斎である。西行法師の幅をかけ一日中ここで過ごした。全国各地の縁のあった友人たちの協力で集めた古材に囲まれながら、来し方を振り返っていた。方々を旅し、探検したが、最後はたった一畳で人生の思い出を抱きながら2月10日に死んでいった。
    • この人は日本中をくまなく歩いた末が、一畳の書斎での生活であり、たいそうな葬儀はせずに田んぼの脇に捨ててくれ、秋の実りを自分と思え、というのが最後の心境だったのは興味深い。

副学長日誌「志塾の風」

久しぶりに大学へ。
研究室。

  • たまった書類を処理。
  • 水嶋課長:教務委員会件。学部運営委員会の議題。

ラウンジで多くの声がかかる。

  • 奥山先生:就職率の定義。
  • 杉本君:来年度の戦略会議のスケジュール。共同研究の募集要項の検討。
  • 杉田先生:フットサル部。入試にどのように貢献しているか。女子フットサル部。
  • 金先生:帝塚山大学出張報告。提携の深化。ゼミ室。
  • 松本先生:非常勤講師養成講座への後援。ファンケルの健康モニター。多摩信金の長島部長、、。
  • 高野課長:大学通信社のランキング。改革ランキングの資料。
  • 奥山先生:学生寮が2室に。