青山文平「つまをめとらば」(文藝春秋)

青山文平「つまをめとらば」(文藝春秋)を読了。

つまをめとらば

つまをめとらば

67歳で受賞して話題になった、直近の直木賞受賞作品。
平穏な江戸時代の文化の時代の下級武士の暮らしといくつかの男女の関係を描いた小説。
男は本業以外に、釣術、俳諧、算学、戯作、などの余技を持っている。
女は、戯作、漢詩などの余技を持っている。
そして同時代の俳諧小林一茶、戯作の曲亭馬琴などの姿が垣間見える。
その余技が主人公たちの人生に陰影や飛躍を与えている。

青山文平は、藤沢周平の後継者の呼び声が高い時代小説家だ。
短編集をまとめるのは難しいが、「オール讀物」を中心に連載した短編はそれぞれ質が高く粒がそろっている。冴えた目はユーモアを醸し出す。

それぞれの最後に近いところで、結末めいた物言いがある。
「などと、かわしながらも、時折、世津に似てきたと思うこともある。」
「この世には、こんな人たちがいるし、こんな場処もある。この世は私が想ってきたよりも遙かに妖しく、ふくよからしい。やはり、私はずいぶんと狭い世界から、詩材を採っていたようだ。」
「女の乳房はけっして一人の女のものではなく、一族の乳房なのでございます」
「村は結局、なにも変わっていない。けれど、村を見る自分の目は、この一夏で、ずいぶんと変わった気がする」
「里にちゃんと、恋をさせてみる。妾暮らしなんぞよりも、本妻暮らしのほうがずっといいことを、しっかりとわからせてやるつもりだ」
「齢を重ねるにつれて、分かったことが増えたが、分からないことも増えた。分かっていたことが、分からなくなったりもする。でも、それがわるいとは想わないし、いやでもない。」

著者がいうように「ふつうの女など、いない。」し、男も変わり、女も変わっていく。
司馬遼太郎は「自己意識の強い人が芥川賞、他者との関係に目を向けたものが直木賞向け」という名言を吐いたが、確かにこの時代小説も男女の関係を描いた作品だと納得した。
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「名言との対話」2月18日。岡本かの子

  • 「人生は悟るのが目的ではないです。生きるのです。」
    • 岡本太郎(息子)は絵、父・岡本一平は漫画、そして母・岡本かの子と、この3人はそれぞれの分野で一時代を画している。この3人の一つ前の時代、同時代、後の世代とつなげていくと日本近代史が垣間見えるのではないか。
    • 岡本太郎美術館には川端康成が中心になって建てた文学碑がある。「この三人は日本人の家族としてはまことに珍しく、お互いを高く生かし合いながら、お互いが高く生きた。深く豊かに愛し敬し合って三人がそれぞれ成長した」と川端は聖家族と表現していた。
    • 岡本かの子は明星派の歌人であり、仏教研究家としても知られていたが、47歳で突然に小説家としてデビューし、以後3年間にわたって超人的な勢いで名作を発表し、死去する。
    • 異常な行動の多かったかの子は夫・一平にとっては聖女であり、息子・太郎からみると、童女であった。
    • この言葉は奔放な発言で知られる女流の平林たい子の「私は生きる」と同じだ。女の言葉である。年齢、分際、それを相応に悟って生きていくのではない。ただひたすらに生きなさいと迫ってくる。