29歳東京女医学校創立、41歳東京女子医学専門学校校長、49歳日本女医会会長、81歳東京女子医科大学学頭。88歳永眠。出身地の掛川市に吉岡弥生記念館がある。
- 榊原しげる教授の椅子。心臓外科。
- 14時20分に到着。本堂に入る。大僧正と10数人の僧の読経を聴きながら5年前の東日本大震災で亡くなった2万5千人余の方々を悼む追悼法要に参加。檀家の方々と一緒に14時46分から合掌。岡本大僧正の講話。
- 真言宗豊山派。如意輪観世音菩薩。即身成仏。般若心経。
「名言との対話」3月11日。武田勝頼。
- 「おぼろなる月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの西の山のは」
- 2011年3月11日の東日本大震災から5年。この日に2万5千人余の方々が地震と津波で亡くなった。
- そして3月11日は1582年に武田信玄の跡を継いだ武田勝頼が首領の武田一族が滅んだ日でもある。時に勝頼は37歳。織田軍の侵攻の始まった2月14日に浅間山が噴火し、不吉の予感で武田軍は大いに動揺し、組織的な抵抗ができなかった。
- 同時代の信長や謙信が武勇に優れた武将と評価しているが、「甲陽軍鑑」では慎重さに欠け武田家滅亡の因をつくったとされた。近代では徳富蘇峰らが勝頼の再評価を試みている。
- 勝頼は能力も高かったが、若く、そして従属勢力の出身であり、側室の子であり、武田という大勢力をまとめるには荷が重かったのではないか。この歌は勝頼の辞世の歌である。大勢力をつくった偉大な父持った後継者の悲哀を感じる歌である。