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護国寺。吉岡弥生。成瀬仁蔵。広岡浅子。

新宿河田町。
東京女子医科大学資料室・吉岡弥生記念室。

  • 吉岡弥生。創立者。「至誠一貫」が座右の銘。女性医師の育成と婦人の地位向上に生涯を捧げた。1871年生まれ。

29歳東京女医学校創立、41歳東京女子医学専門学校校長、49歳日本女医会会長、81歳東京女子医科大学学頭。88歳永眠。出身地の掛川市吉岡弥生記念館がある。

  • 榊原しげる教授の椅子。心臓外科。

護国寺下車。
日本女子大学鳴瀬記念館。

  • 成瀬仁蔵
    • 日本女子大は1901年に目白台に誕生。創立者。1858年長州生まれ。29歳新潟女学校校長、36歳梅花女学校校長。日本女子大学校初代校長。1919年、71歳で死去。
    • 女子高等教育構想という図が興味深い。中心に人格教育。家政学科・医学科・宗教学科。
  • 広岡浅子。女子大学校創立の恩人。
    • 1849年生。1896年成瀬から女子大設立の支援要請。1901年日本女子大学校開校。1919年死去。井上秀(卒業生初の校長)。小橋三四。

大本山護国寺

  • 14時20分に到着。本堂に入る。大僧正と10数人の僧の読経を聴きながら5年前の東日本大震災で亡くなった2万5千人余の方々を悼む追悼法要に参加。檀家の方々と一緒に14時46分から合掌。岡本大僧正の講話。
  • 真言宗豊山派。如意輪観世音菩薩。即身成仏。般若心経。
  • 護国寺の隣は天風会。
  • 近くの菊池寛記念館を訪問するがマンションンの中にあり開館していなかった。ここに菊池寛が住んでいた。


「名言との対話」3月11日。武田勝頼

  • 「おぼろなる月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの西の山のは」
    • 2011年3月11日の東日本大震災から5年。この日に2万5千人余の方々が地震津波で亡くなった。
    • そして3月11日は1582年に武田信玄の跡を継いだ武田勝頼が首領の武田一族が滅んだ日でもある。時に勝頼は37歳。織田軍の侵攻の始まった2月14日に浅間山が噴火し、不吉の予感で武田軍は大いに動揺し、組織的な抵抗ができなかった。
    • 同時代の信長や謙信が武勇に優れた武将と評価しているが、「甲陽軍鑑」では慎重さに欠け武田家滅亡の因をつくったとされた。近代では徳富蘇峰らが勝頼の再評価を試みている。
    • 勝頼は能力も高かったが、若く、そして従属勢力の出身であり、側室の子であり、武田という大勢力をまとめるには荷が重かったのではないか。この歌は勝頼の辞世の歌である。大勢力をつくった偉大な父持った後継者の悲哀を感じる歌である。