「川端康成コレクション 伝統とモダニズム」展

東京ステーションホテルの「川端康成コレクション 伝統とモダニズム」展。

茨木中学在学中の17歳の日記には「おれは今でもノベル賞を思はぬでもない」という記述があった。
そして作家になったこの人は、50数年を経て1968年に69歳で、日本人初のノーベル文学賞を受賞している。そのことに感動した。

川端康成(1899-1972年)は作家として日本文学のみならず世界文学の歴史の中に輝ける一ページを刻んだのま間違いないが、この企画は美術品コレクターとしての川端に焦点を当てている。戦後の混乱期に国宝をはじめとする美術品を手にした。その美の世界が川端の小説をかたちづくった。
古賀春江安田靫彦東山魁夷草間彌生、浦上玉堂、十便十宜図(池大49歳・与謝蕪村56歳:十便詩は山中の営みの良さ、十宜詩は季節、時間、天候の変化による楽しみを描いた)、、、。
縄文時代の女子土偶の中で一番の美人だという4千年前のハアト型の「土偶(女子)」を原稿書きの傍らで眺めていた。

また、昨年発見された14歳の初恋の人・伊藤初代の手紙10通と、20歳の川端本人の未投函の手紙1通も展示されている。初代は「ある非常」のため、川端の求愛を拒絶する。この非常とは何だろうか。

川端康成は、「美術が好きで、新古にかかはりなく、なるべく見る折をつくる」。
好きか、好きでないか、惹かれるか、惹かれないか、よいか、よくないか、それだけでが美の基準だった。あくまでも手元におき、日々眺めたり触れたりする。そういうコレクターだった。

文豪たちとの書簡も興味深い。
菊池寛横光利一林芙美子岡本かの子太宰治瀬戸内寂聴谷崎潤一郎、、、。
デビューを助けた三島由紀夫とは深い親交があった。三島は年少の無二の親友だった。
ノーベル賞を受賞したとき、三島君がまだ若いということもあって、自分がもらったともどこかで言っている。三島の「豊饒の海」については、「源氏物語」以来の名作であると推薦している。
自決した三島の葬儀委員長は川端だった。


以下、川端康成の作品群。
祖父との最後の日々を綴った「十六歳の日記」、初代からの手紙に想を得た「非常」、若い踊り子との旅を描いた「伊豆の踊子」、浅草ブームを起こした「浅草紅団」、幻想的なヴィジョンに彩られた「叙情歌」、、。

10年以上の時間をかけて完成した代表作「雪国」、茶道の世界を背景に男女の機微を描いた「千羽鶴」、21世本因坊秀哉名人の引退碁に取材した「名人」、戦後日本文学の最高峰と評された「山の音」、京都を舞台に美しい双子の姉妹の数奇な運命を描いた「古都」、シュールレアリスム的想像力の発露「片腕」、強烈な官能性をまとった「眠れる美女」、、、。

年譜を繰ると、日本ペンクラブの第4代会長を49歳で引き受けて、実に18年間にわたりつとめている。辞任は66歳であった。この間、62歳では文化勲章
川端は逗子の仕事部屋でガス自殺、72歳であった。

川端康成学会という組織があるのに驚いた。川端康成の文学の研究を進め、その資料・研究文献の収集・集成を期し、近代文学における川端康成の業績の探求を図り、またその読解、鑑賞を深めることを目的とする学会だ。1970年に設立。会員は175名。

近代日本文学の最高峰であることは間違いない。
川端のエッセイ集「伊豆の旅」を読んでいる。

伊豆の旅 (中公文庫)

伊豆の旅 (中公文庫)

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午前中は原稿書き。
連休中に、二つの本の原稿を仕上げる予定。
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午後は蘆花公園の世田谷文学館を訪問。
上橋菜穂子精霊の守り人」展をみる。
文化人類学を土台に、ファンタジー文学に挑む上橋菜穂子
NHK放送90周年記念の大河ファンタジー「精霊の守り人」は2016年から3年かけて22話が放映される。その原作者。
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「名言との対話」5月3日。池波正太郎

  • 「顔というものは変わりますよ。だいたい若いうちからいい顔というものはない。男の顔をいい顔に変えていくことが、男をみがくことなんだよ」
    • 東京・浅草生まれ。下谷・西町小学校を卒業後、茅場町の株式仲買店に勤める。戦後、東京都の職員となり、下谷市役所等に勤務。長谷川伸の門下に入り、新国劇の脚本・演出を担当。1960年(昭和35年)、「錯乱」で直木賞受賞。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」の3大シリーズをはじめとする膨大な作品群が絶大な人気を博している。急性白血病で5月3日に永眠。
    • 年譜を辿っていくと、物凄い仕事量であることがわかる。しかし、意外なことに、昼は江戸の市井に材をとった小説、夜は戦国時代もの、という一日に二役をこなしながら、「書けない、と思ったら、それこそ一行も書けないのだ」「その日その日に、先ず机に向かうとき、なんともいえぬ苦痛が襲いかかってくる。それを、なだめすかし、元気をふるい起し、一行二行と原稿用紙を埋めてゆくうち、いつしか、没入することができる」と書いているのは、名人でもそうなのかと安心する。
    • 「一生のうちに、自分の時間をどのようにつかったらよいのか、、、。それはまた、他人の人生を考えることになる」「原稿を早目に早目に仕あげておき、自分だけの時間をつくり、のんびりと街を歩いたり、好きな絵を描いたり、映画を観たりするために、つきあいの時間を減らすということだ」「約束も段取り・仕事も生活も段取りである。一日の生活の段取り。一ヶ月の仕事の段取り。一年の段取り。段取りと時間の関係は、二つにして一つである」「まず書いてやめてしまう。寝てしまう。別の仕事をする。そうすると何をしても内容が頭の中で膨らんでくる」。仕事のやり方という面からも参考になる言葉が多い。
    • 顔は変わる。久しぶりに会うといい顔になっている友もいれば悪い顔になっている友人もいる。男の顔には人生の履歴があらわれる。