三宅一生展−−「一枚の布」の思想。素材と手仕事。

ブログ「今日も生涯の一日なり」は連続4236日目。
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三宅一生展(六本木の国立新美術館)。

三宅一生(1938年生まれ)は、服飾デザインをアートの世界まで高めた希有なデザイナーである。
1970年、32歳で三宅デザイン事務所を設立し、翌年にはアメリカ・ニューヨークのデパートに「イッセイ・ミヤケ」コーナーを開設し、世界に打って出る。
2010年には文化勲章を受章している。

この三宅一生の思想をこの美術館で拾ってみた。

  • 「衣服を通してより良い社会をつくる」
  • 「一日一日発想し、それまでにないものをつくり、新しい現実をつくる」

企画展を見た後に、次の本を読んだ。
三宅一生 未来のデザインを語る」(聞き手・編:重延浩・岩波書店

三宅一生 未来のデザインを語る

三宅一生 未来のデザインを語る

三宅一生は、衣服はどんな素材からもつくることができる。それを様々な方法で加工し、新しい形をつくることだと考えている。
日本から世界に発信するには、素材づくりからはじめる必要があり、日本中を歩いてまわった。
日本は素材の宝庫だった。しじら織り、刺し子、、、。
ものはどこから来たのかを知るという楽しさ、それがものをつくる楽しさだ。
日本にはまだ手仕事の最後の火が残っている。それを蘇らせたい。
自分は不器用だから、流行を追うことはしない。

人間と衣服の関係は「一枚の布」である。
肉体と衣服の間に自分自身が作る空間があるという考え方で仕事をする。
できるだけ布地を裁ち切らないで存分に空気を入れてしまう。
そしてシンプルな造形にして、着る側とつくる側が、責任を半々に持ち合う。

こういう仕事を続けるための条件は、世界が平和であることだ。
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「名言との対話」5月4日。寺山修司

  • 「つまらない書物というのはないが、つまらない読書というのはある。どんな書物でも、それを経験から知識にしてゆくのは読者の仕事であって書物のせいなどではないからである」
    • 異才・鬼才・異星人・聖人と様々に表現されるように、際立った個性の持ち主だったことを思わせる寺山修司(1935−1983年)の記念館は、青森県三沢の公園の一角に外壁いっぱいに名のある崇拝者たちの書き付けを張り巡らせながら、強い自己主張をしながらたっている。「書を捨てよ町へ出よう」という強烈なメッセージは大学時代に私も受けている。5月4日、寺山は他界する。
    • 青森高校で文学部、俳句部に属した寺山は俳句や短歌の世界で頭角を現していく。「青森高校・寺山修司」の名前は有名だった。18歳で「短歌研究」新人賞特選を獲得し、「十代の天才歌人」「昭和の啄木」と激賞された寺山は、歌集、俳句集、詩集を次々と発表し地歩を固めていく。表現者としての仕事のおびただしい量と広がりに圧倒される。「短歌で革命はできんよ。おれは演劇で日本を震撼させてやるんだ」とうそぶいた寺山は、詩人・歌人・劇作家・小説家・写真家・映画監督・戯曲作家とあらゆる表現の領域に簡単に入り込み、たちまち一流の仕事をする。秩序紊乱者であった寺山修司の仕事は先端的で、膨大で、影響力が強く、今なおそのファンは多い。
    • 短歌「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」は絶唱である。
    • 寺山修司は名言の蒐集社で有り、かつ名言の創造者でもあった。以下、いくつかをピックアップ。「自由の最後の敵は何だと思うね?」、、、、「記憶と記録である」「わたしは、「思いだされるような奴」になるよりは、「忘れられない奴」になるべきだ、と思っています」「私は思ったものだ。私自身の存在は、いわば一つの質問であり、世界全体がその答なのではないか、と」「子供のというのは「もの」ではなくて「事件」であるということが重要なんです」「思えば、私もいろんなものから逃げつづけてきたような気がする。家から逃げ、母親から逃げ、故郷からも、学校からも逃げた」「書きことばには政治性があり、話しことばには社会性がある」「旅をしている私のたのしみは、帰ってから「自分宛の手紙」を読むことなのである」「悪口の中においては、つねに言われている方が主役であり、言っている方は脇役であるという宿命がある」「旅行であれ、出立であれ、行く先のある者は、幸福である。変身は、行く先をもたないもの、目標をもたないもの、ぎりぎり追いつめられた居直りなのだ」「作者の仕事などは、しょせん、「書かれてしまった書物」から、自分のために残しておきたい部分を選び、あとは消しゴムで消し去ってゆく作業でしかないものかも知れないのである」「山道を歩くときには、本ではなくて山道を「読む」べきです」「教育は与えるものではなく、受けとるものである、と思えば、人生いたるところに学校ありで、ゲームセンターにも競馬場にも、映画のスクリーンの中にも、歌謡曲の一節にも、教育者はいるのである」「私にとって大学の理想は、三人、五人、十人といった「私塾」的なものである」「方法を持たない思想は、思想を持たない方法にも劣るものである」「男は生涯に一回だけ勝負すればいいのだ」
    • 書物からも教育者から知識を与えられると思うのは間違いであって、受け取る量と質はこちらの心構えと感覚と能力によるのである。自分自身の受け止める力を、自分を、磨け、と寺山は語り続けている。