「でも」の人。「では」の人」

「名言との対話」6月11日。柳瀬長太郎。

  • 「その人の幸せ、不幸を決めるのは、「でも」か、「では」だ。」
    • 1879年〈明治12年〉12月15日 - 1956年〈昭和31年〉6月11日)は、日本の実業家。株式会社ヤナセの創業者として知られる。
    • 身も心も、会社も、瀬戸際に追い詰められていた1923年(大正12年)、関東大震災が発生した。大災害の時は、「物より人の移動が優先する」との直感で大量の在庫を抱える中で震災直後にGMに乗用車2000台を新たに注文、横浜へ出荷し、それが当たって破産寸前から立ち直った。
    • 「40歳になって「今からでもできる」と思うか、「今からでは無理」と諦めるかは、その人の10年後に大きな影響を及ぼす。」
    • 株式会社ヤナセの経営を引き継ぎ、自動車輸入の最大手企業に発展させた[後継者の柳瀬次郎は「ふりかえってみると、私の半生の大半は、父長太郎に対する反発と抵抗の歴史であったと思う。」と述懐している。
    • 「でも」が口癖の人は、何もやらない。「では」という言葉を常に使っている人は、何かをやるだろう。その口癖が未来を決める。

  • 杉田学科長:全国経営学部長会議の報告者のタイトルを相談。
  • 椎木先生
  • FD研修会:学部教員の多くが参加。杉田先生が司会。

    • テーマ「キャリア・就職支援」
    • ゲスト:就職アドバイザーの中村さん、徳嶋さん、北山さん。
    • 就活支援の現場からの報告・示唆など、とても参考になった。また教授陣とアドバイザーとのコミュニケ−ションが一層進んだ。

−−いただいたヒントをやっていきたい。

  • 事業構想学科会:杉田学科長が司会。初の学科会。
    • 学科のカリキュラムの進化
    • 卒論の考え方
  • 学長と大学運営に関する打ち合わせ。Y君の日航内定を報告。
  • インターゼミ:研究計画発表会1

    • サービス・エンターテイメント班:「藤沢のインバウンド観光の現状と地域振興」
      • 湘南の中での差別化。宿泊。ホテル計画。推進事業体。大学としての貢献。食育観光への応募。

    • 環境・エネルギー班:「地震発生後の対応について」
      • 医療船構想。30億円、横浜。コンテナフェリーは1万個収容。