浜田広介記念館訪問後、米沢市で講演

朝は、童話作家であった高畠町浜田広介記念館を訪問。斜めの変わった大屋根をかぶった記念館。この町は童話の里づくりを目指している。1973年に80歳で没した日本のアンデルセンと呼ばれたひろすけは、生涯1000編に及ぶ童話を書いた。ひろすけ童話賞というのがあって、ねじめ正一(まいごのことり)やさだまさし(おばあちゃんのおにぎり)が近年受賞している。和歌、俳句、絵、新体詩など若いときから多彩な才能を開花。


童話五十余年 

  立ち止まり 振り返り 

   またも行く 一筋の道だった


これは昭和47年の言葉だ。


お伽話から、芸術性の豊かな児童文学としての童話への変化を主張した。

「童話は自己を表現するにふさわしいもの」と「椋鳥の夢」の自序に書いてある。藤村はよき理解者だった。帰郷のたびのどう九回を楽しみにしていた。古賀正雄の歌の歌詞にも採用されているというエピソードも。

独立までは、実業之日本社で「幼年の友」という雑誌も編集している編集者だった。

今年、ヤンキース松井秀樹選手がニューヨークで日本の3歳から14歳までの子どもたちに童話を読んで聞かせたというニュースがあったが、この童話とはひろすけの「泣いた赤鬼」だったのだ。この童話は子どもの頃に読んだ記憶がある。


追加:

隣接した「ひろすけホール」を覗く。天井を除いては床からすべて木の小ホールで、ちょうどママさんたちのピュア・グレースという合唱団が練習をしていた。ゴスペルの歌声を座って聴いた。150席くらいの感じのいいホール。地域の交流施設としての役割を果たしていると感じた。


午後1時から3時まで、米沢市のすこやかセンターで山形県男女共同参画室主催の講演会で講演。50人くらいの市民。「ライフプランづくりをとおして自分の生き方を考えよう」というテーマ。ほとんどは女性だった。子どもをセンター内の託児所の預けて講演を聞くお母さんや、子どもを抱えて聞くお母さんの姿もあった。熱心に聴いていただいた。


米沢から東北自動車道に出て、仙台へ。